第1-11話 撃退


 アルキュスの言葉で男の意識も自然とそちらに向いてしまう。拳を振りかぶった体勢のまま、レギアスの方を向いた彼は、レギアスと視線を交錯させると同時に彼のことを見定めようと意識を巡らせた。


 だが、すぐに彼のことを下だと視ると不遜な気配を漂わせる。それでもマリアたちを相手にするよりは面白いと判断したのか、レギアスのことを見下ろしながら近寄っていく。


「このクソアマの師匠だぁ? このヒヒイロカネ級のバルデスさまとやり合おうってか?」


 高い身長を活かしてレギアスのことを見下ろすバルデス。見下すような視線をレギアスはじっと静かに見返す。


「それこそテメエがどこの誰だろうか知らねえが、新入り程度が俺とやり合おうなんて虫がいいと思わねえのか。魔道具の一つも身につけられねえような貧乏人が。おとなしく新入りは他のザコ共と一緒にどぶさらいでもやってろや」


 顎を上げて、見下すバルデス。そんな彼の物言いに腹を立てた周りの冒険者たちだったが、ぐっとこらえて甘んじた。ここで怒りをぶつけて矛先がこちらに向いたら。もしそんなことになれば彼らでは何人束になっても適わないのだ。それを彼の顔に浮かんでいる勇者印が示していた。


 自分の誇りである勇者印を見せつけるようにして胸を張りながら周りの者たちを見下すような態度を見せるバルデス。そんな彼の気配に周りの誰も何の反論もできなかった。たった一人を除いて。


「……フッ」


 鼻を鳴らして小さく口角を上げ、彼のことをあざ笑うかのような笑みを見せたレギアス。当然バルデスにもそれは届く。


「あ? テメエなに笑ってんだ?」


 バカにされたことを理解した彼は脳内で浮かんだ言葉を具現化するように声を漏らす。


「いや何……。どんなに強く振舞ったところで、どんなに強い装備を身に着けたところで、強い存在にはなれないのになと思ってな」

 

 その瞬間、その言葉の意味を理解した人間たちの緊張感が跳ね上がった。


「あ? それどういう――」


 意味を理解できなかったバルデスが聞き返そうとしたその時、矢継ぎ早にレギアスが続けて言葉を発する。


「それともお前の強者の基準は下級冒険者だってことか? そんなんじゃテメエの強さも知れたもんだ。喧嘩の仕方も知らねえお坊ちゃまみたいだしな。せいぜいお山の大将やってふんぞり返って気持ちよくなってろ」


 彼を嘲笑うかのように首を傾け、ニヤついた笑みを添えながら言葉をかけたレギアス。ここまで言われればその言葉の意味を掴めるというもの。ナメられているのだと理解したバルデスの怒りは一瞬で沸点まで到達する。ビキリと額に青筋を立てると勢いよく拳を振りかぶった。 


 手加減など一切ない、本気の拳。当たればまず間違いなく骨が折れ、最悪身体の中がスクランブルエッグになる。もちろんバルデスはそのつもりで行動したし、拳に籠る殺意は紛れもなく本物だった。


 だが、彼が振りかぶった拳は放たれる間もないまま、一瞬のうちに弾かれてしまった。当然弾いたのはレギアス。彼は振りかぶった拳の打ち始め、それより先を抑えることで彼の攻撃を先んじて防いだのだ。


 何が起こったのか分からずに混乱した素振りを見せるバルデス。そんな彼にレギアスはさらに言葉をかけた。


「ああいい。皆まで言わんでも状況は大体予想がつく。子供に何かされたから弁償しろとかそんな類だろう。エセの金持ちや強者のよく言うことだ。だがどうせ子供には払えない額を吹っ掛けてるんだろ? だったら俺が代わりに払ってやる」


 そういうと彼は親指で自分の胸元を指した。


「ここに入ってる。とってみろ最上級冒険者さんよ」


 ナメられただけでなく、挑発までされた。ここまでされて黙っていられるほどバルデスの気は長くない。再び勢いよく振りかぶった彼は拳を顔面目掛けて振るった。


 しかし、彼の拳はレギアスにとってあまりに大振りで見切り易すぎた。あっけなく捌かれると膝関節に蹴りが入る。その衝撃で体勢を崩したバルデス。だったが、防具の効果で痛みからすぐに解放されると矢継ぎ早に今度は足を取ろうと襲い掛かる。


 だが、全体重を乗せたタックルはひらりとバルデスの身体を踏み台代わりにされて躱される。その直後、バルデスの尻が軽く蹴られ体勢を崩した彼はつんのめって倒れこむ。


「力任せの大振りに、遮二無二突っ込むだけのタックル。これならまだ牛でも相手にしてる方が暇つぶしになるってもんだな」


 背後から侮蔑の言葉をかけられ、その言葉に血管が切れそうなほど激高するバルデスは跳ねるように振り返りながら立ち上がると再びレギアスに向かっていった。


 またタックルかと、レギアスがバリエーションのない攻撃に呆れていると彼の眼前に小石が迫った。


 あまりの怒りで逆に冷静さを取り戻したバルデスはこっそり小石を拾うとタックルと同時に彼の顔に向かって投げつけていた。その小石は危なげなく躱されてしまうが、その時一瞬レギアスの動きが止まる。


 そこに合わせてタックルを仕掛け、レギアスのことを捕まえようとするバルデス。二人の間にはそれなりに体格差が捕まればまず抑え込まれてしまうだろう。そこからはバルデスの料理次第でレギアスの今後が決まる。


「もらったァッ!?」


 ついにバルデスの諸手にレギアスが胸倉が収まってしまう。あとはバルデスが締めるだけでレギアスは完全に彼の手の内になる。そこからは思うがままだとバルデスは思わず歓喜の声を上げた。


 次の瞬間、バルデスの顎が跳ね上がった。捕まっても慌てなかったレギアスのアッパーが正確に顎を打ち上げたのだ。続いて跳ね上がったバルデスの顔に右ストレートが突き刺さる。その衝撃はレギアスのことを掴んでいた両手をうっかり離させてしまうほどであった。


「どうした。胸倉を掴むだけだったらお前が馬鹿にしたそこらの冒険者でも出来るぞ?」


 コンビネーションで魔の手から抜けたレギアスは、鼻を抑えて後退っているバルデスに追い打ちとして再び煽りの言葉をかける。


「……殺す」


 それに対するバルデスの返答は純粋な殺意であった。背中に携えていた戦槌を手に取ると、それを持ってレギアスを睨みつけた。


 ここから本気の殺し合いが始まるのか。野次馬の誰もが予想し、避難しようと動き始めたその時。それを止める第三者の声が響き渡った。


「何をしているお前たち!? 町中で武器を持ち出すなんて言語道断だぞ!!!」


 人垣を掻き分けて姿を現したのはゾルダーグ。慌てた様子でやってきた彼は戦っている二人を非難する声を上げ、さらに武器を持っているバルデスを鋭く警告する。


「バルデス! 貴様はまた暴力沙汰を起こしおって! 今度問題を起こしたら冒険者の活動停止だと忠告したはずだぞ!」


「うるせえぞジジイ! 俺は今こいつを叩きのめしたくて仕方ねえんだぞ!」


「反省する気はないってことだな! なら活動停止で決定だ! もしその間に問題を起こしたら冒険者の資格はく奪。そうなれば王都の勇者印持ちに追い回されることになることを覚悟して置けよ!」


 ゾルダーグの言葉で多少冷静になったバルデスは、怒りを自分の中で燻らせながらも、戦槌を下ろした。怒りのぶつける先を見失ってしまった彼は、怒りのままに歯をギリギリと鳴らすとその場を立ち去ろうと踵を返した。


「テメエ、夜道には気を付けろよ……」


「それはやめた方がいいな。夜道は人が少ない。襲われても助けてもらえないかもしれないぞ」


 最後の最後までレギアスはバルデスのことを煽り散らかす。彼の発言に腹を立てながらもバルデスはその場を去っていくのだった。


 その背中を見送るレギアス。その最中、彼はふと口を開く。


「おい、そこのお前。名前は?」


 彼が声をかけたのは今まで空気と化していたバルデスのお供の女であった。突然声を掛けられた彼女は戸惑いながらも彼の問いに答える。


「えっ? わ、私ですか? ひ、ヒナです……」


「そうか。覚えておくぞ」


 レギアスがそれだけ伝えるとヒナはバルデスを追って小走りでその場を去っていった。


































 二人が去っていき、妙な静けさに包まれたレギアス達。が、バルデスの背中が見えなくなった瞬間、野次馬から歓声が上がり、レギアスに称賛の言葉が浴びせられる。


「よくあいつをコテンパンにのしてくれたな兄ちゃん!」


「あいつの無茶苦茶さにはうんざりしてたのよ!」


「今度うちに遊びに来てくれよ。なんでも好きなもん奢ってやるからよ!」


 浴びせられる歓声を流しながらレギアスはアルキュスたちのもとに歩み寄ると気絶している子供の状態を見始めた。


「傷は大したことないな。ちょっと重めの打撲だろう。命に別状はないな」


 状態を確認したレギアスは自分をここまで連れてきた冒険者に子供を託し治療の出来る場所まで運ばせた。


 落ち着きを取り戻したところでゾルダーグたちが歩み寄ってくる。


「レギアス殿、大丈夫ですか?」


「あの男、ずいぶんと町の連中から嫌われてるみたいだな?」


 傷を負わないなど当たり前かのように問いかけに明確な返答をしないまま、会話を続けるとゾルダーグが彼の問いに答える。


「ええ、あのように粗暴な性格でやりたい放題でして……。半ば実力がある分、組合としても手が出しづらく……。ですが今回の一件でお灸は据えられたでしょう。しばらくは反省してくれるといいのですが……」


「むしろ悪化しそうだがな」


 ここで会話が切れるとゾルダーグは事態を処理するために集会場に戻っていった。一人残されたレギアスに今度はマリアたちが寄ってくる。


「師匠、助けてくれてありがとうございました。もし戦いになったら私だけじゃとても対処できなかったから……」


「だったら首を突っ込むなよ、と言いたいところだがどうせ先に首を突っ込んだのはそっちの女だろう

。身の程知らずめ」


「なんてこと言うのよ! 身の程云々より、子供に手を上げられたら大人が助けるのは当然じゃないの!」


「そういうことをしていいのはそれが出来る力のある奴だけだ。自分まで傷つくような真似してどうするんだアホ」


「アホって言った! 先までは難しい言い回しでバカにしてたのにシンプルにアホってバカにした!」


 レギアスの言葉にマリアは子供のように反応してギャンギャンと騒ぐ。それを鬱陶しく思いながらも、どこかその鬱陶しさに慣れ始めている自分にも、鬱陶しさを覚えるレギアスは深く深くため息をついた。


「ていうかさっきのあれも何なのよ! なんで男のほうには名前も聞かなかったのにあの女のほうには名前聞いたのよ? もしかして好みだったから手出そうとでもしてるのかしら?」


「次ふざけたことぬかしたら油10リットル飲ませるからな」


 ギャンギャンうるさいままふざけたことをぬかすマリアにギラっと睨みを聞かせて黙らせるレギアス。しかし、その話題はそこで途切れずにアルキュスがつなげることで続いてしまう。


「でも、実際なんで聞いたの? アルの考えじゃ敵の情報を少しでも知りたいからってくらいしか思いつかないんだけど……」


「……一応お前には忠告しておくが、相手から与えられる情報だけじゃなくて、自分から見つけた情報で相手の戦闘力がどのくらいは把握できるようになっておけよ」


「……どういうこと?」


「あの二人の、どっちがヤバいくらいすぐに分かるようになれってことだ」


 レギアスの言葉の真意を理解できず、アルキュスは首を傾げるのだった。














































「だあああああァァァ!!! あのクソボケがアアア!!!!!」


 怒号を上げて燻ぶった怒りを発散しようと地面に戦槌を地面に叩きつけるバルデス。その威力は凄まじく、小さなクレーターが出来上がるが、彼の与えられた怒りや屈辱は高々この程度で発散できるほど軽いものではなかった。


 冒険者としての活動停止を言い渡され町にいられなくなってしまった彼は、町の外で破壊の限りを尽くしていた。が、むしゃくしゃした感情を晴らすことが出来ずに子供のように物に当たり続けていた。今の彼らが根城にしている林の木々が彼の怒りの矛先になっており、みるみるうちに木々が倒されていく。


「ば、バルデスさん、落ち着いてください」


「うるせええええ! これが落ち着いていられるか!!!」


 そんな彼のことを何とか落ち着かせようとするヒナだったが、彼女の言葉に彼は耳を貸すはずもない。再び戦槌を振り上げると地面に叩きつける。


「この怒りはあいつにぶつけない限り晴らせねえ。テメエが黙っておとなしくしてろ!」


 ギリギリと奥歯を擦りながら、バルデスは声を張り上げる。しばらくしたら声は見かけ上落ち着き始めるが怒りは留まるところを知らずにいる。


「いいか、あの野郎には必ずケジメを付けさせる! お前は町に戻ってあの男の情報を少しでも集めて俺に持ってこい!」


 そう指示を出すとバルデスは背を向けて歩き始める。


「バルデスさん。どちらへ?」


「寝る。テメエはその間情報収集して飯でも作ってろ」


 そう言うと彼は離れたところの木の根元に腰を下ろして目を瞑った。それを確認したヒナは静かに歩き始めると林を後にしたのだった。




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