第1-10話 戻った日常、新たな脅威


 翌日、レギアスが集会場に来ると早速アルキュスに稽古をつけてもらうように頼まれる。昨日の今日で彼女との約束を破るわけにはいかない。幸いなことにヒュドラの討伐報酬で当面の生活費は賄える。急ぎで依頼を受ける必要は無い。


 彼女の申し出を受けることにしたレギアス。早速二人は訓練場で木剣片手に向かいあうと訓練を始めるのだった。


 以前の模擬戦の様に観戦にやってくる冒険者が少なからずおり、適当にガヤでも飛ばしながら酒の肴にでもしようと思っていた。だが、そんな彼らの目論見はすぐに崩壊し、楽しむつもりだった彼らの顔は徐々に強張っていき、まるで悪夢でも見ているかのようにひきつっていく。


「あぐッ!?」


「九十五」


「ま、まだまだァ!? ハァッ!」


「九十六」

 

 木剣を肩口に叩きこまれ苦悶の声を上げながら折れることなく立ち向かうアルキュス。しかし、レギアスはそんな彼女の気合をへし折るかのように冷静に捌いて、今度は彼女の脇腹に木剣を入れた。


 あまりの容赦の無さにアルキュスの身体は傷だらけ。見ているだけの冒険者ですらそのあまりの無慈悲さに顔を青ざめてさせていた。


 ちなみにレギアスが呟いている数字は彼女の身体に入れられた木剣の回数であり、その間レギアスは一度たりとも攻撃をもらっていない。


「太刀筋はやっぱり悪くねえ。だが単純に素直すぎるな。そんなんじゃ一定水準を超えた敵にはすぐに読まれるぞ。もっと嘘つきになれ。その横薙ぎの次は右の逆袈裟だ。九十七」


 真っ向からの縦切りからの横薙ぎを言い当てられ、さらにその次に打とうとしていた手を言い当てられ、一瞬怯んだアルキュスの懐に飛び込んだレギアスの平手が彼女の目元に当たる。痛みで悶絶ししゃがみこんだ彼女は涙の溜まった瞳でレギアスを睨む。


「あと、剣に自信があるのはいいが少しは身体を使え。相手に打突での攻撃が無いとバレると剣だけに意識を割かれるぞ」


 しゃがみこんだ体勢からアルキュスは足払いを繰り出す。今のは所詮付け焼刃。軽く足を上げられて躱されると、振り抜いた足のくるぶしに突きが軽く刺さる。


「九十八。打突でお前のパワーじゃ相手を殺傷するだけの力は出せない。剣の中に混ぜながら崩しとして使え。剣と拳の殺傷力の違いは明白だ。優先順位を間違えるな。九十九」


 くるぶしを抑えながらまたまた悶絶しているアルキュスの肩口に剣が当てられる。


「どうした? もう終わりか?」


「ハァ……、ハァ……。ま、まだまだ……」


 自分が九十九回死んだことを自覚しながらも、ここで特訓を止めたくないアルキュスは立ち上がると同時に改めて剣を正眼に構え直した。そして持てるすべての集中を持って剣を振るい、レギアスに立ち向かう。


 だが、何度やってもレギアスには自慢の剣戟を軽くあしらわれてしまい、剣が掠ることすらない。もし掠ったとしてもそれは意図的に掠めさせているだけ。当てさせられているということで当てることが出来ているわけではない。


 だが、ここまで手酷くボコボコにされて成長が無いわけがない。剣戟の最中、彼女はじっくりと機を待っていた。


「……ここォッ!!!」


 誘導のための上段からの振り下ろしの直後の刹那、必ず相手の重心が横によるタイミングを見計らって彼女は足払いを仕掛けた。通常であれば絶対によけられないタイミングに加えて、ズレた重心は崩しやすい。それによって足を刈るまではいかぬまでも体勢を崩すことに成功する。


 そして崩れたその瞬間、彼女は渾身の振り下ろしを彼に打ち込んだ。確実に当たるそう信じてやまない彼女の太刀筋はとてもまっすぐで素直であった。


 だが、相手は世界でも屈指の使い手。彼女の思惑は見事に外れてしまった。


 振り下ろしを受け流すために剣を持ち上げたレギアス。剣同士が衝突した直後、レギアスの手首はまるで水に変化したかのように柔らかく動くと、彼女の振り下ろしを受けたのかすら分からないほど滑らかに受け流してしまった。


「え、グブゥッ!?」


 何をされたのか分からないまま、剣を振り下ろしたアルキュスの鳩尾にレギアスでの柄での殴打が深々と突き刺さる。腹部から空気が漏れ出すと同時に地面に膝をついた。


「ウッ……、オエエエエェェェ……」


 同時にこみあげてくるものを抑えきれなかった彼女は胃の中のものをすべて吐き出していく。びしゃびしゃという音とともに垂れ流されるそれにアルキュスは涙目になっていた。


「今のは悪くなかった。だが、お前が誘導しようとしてくるのと同じように相手も誘導しようとしてくるってことを頭に入れろ」


 彼の言葉で先ほどの振り下ろしまでが誘導されていたのだと知ったアルキュスは、改めて彼が遥か高みにいるを理解しながら吐瀉物の海に倒れこんだ。だが、それに気づかずレギアスは話を続ける。

 

「それと剣の持ち方が硬い。鋭く、それでいて柔らかく。自分が水になったように剣を握れ。って聞いてねえか……」


 そう言うと彼は彼女のそばに転がっている木剣を拾って返却しながら訓練場を後にした。当たり前かの様に彼女のことは放置して。


 訓練場を出てからすぐに彼に声をかけてきたのはゾルダーグ、入れ替わるようにして訓練場に入っていったのはマリアであった。


 声をかけてきたゾルダーグはかなり不安そうな表情を浮かべている。


「あのぅレギアス様。娘に訓練を付けていただけるのはありがたいのですが……。もう少し、その、手心というか……」


 彼のレギアスとの訓練を見て顔を青ざめさせていた者の一人。目の前で娘が容赦なくボコボコにされれば不安になるというものである。


 だが、レギアスは悪びれた様子なく答える。実際彼に全く悪気はないのだから。


「悪いが、俺はこれ以外のやり方は分からん。優しく教えてほしいって言うなら他を当たるように説得してくれ」


「それは……」


 おそらく無理でしょう、とゾルダーグが言う間にレギアスは言葉を続ける。


「あの女は素質がある。言ったことを素直に取り入れて食らいついてくる。それなりにこなせばものになるだろう。あんたが嫌だって言うなら訓練そのものも止めるがな」


 彼のフォローのようなものを何とも言えない感情で受け取ったゾルダーグ。しかし、それでも娘に称賛の言葉をかけてもらったことは感謝し、彼もまた訓練場に足を踏み入れていった。


 一人残されたレギアスは依頼を受けるでもなく、自分の鍛錬をするために外に出ていった。人目につかない、町の外で訓練をするために町の外へ出るための門に向かって歩みを進める。


 その途中、彼の目に一つの二人組が止まる。前を歩く巨躯の男は明らかに魔法の力が込められた鎧を身に纏っており、全身各所に様々な道具を身に着けていた。そのせいか自信に満ち溢れたような振る舞いをしており、胸を張って通りのど真ん中を堂々と歩いている。


 しかし、レギアスの目により強く留まったのは後ろに控えている小柄な女であった。服装から推察するに魔法使いであろう彼女は男の方とは対照的に小さく縮こまったような素振りをしながら、上目遣いで男の背中を見ながら歩いていた。


 その瞳、角度的に細めているように見えるその瞳に込められた闇のようなものを見出したレギアス。その不穏な瞳にざわつくものを感じた彼だったが、わざわざ手を出そうとは必要もないと判断し、二人のことを見逃した。


 だが、レギアスは知らない。この二人にはこの日のうちに対面してしまうことを。そして一触即発の状況になることを。





























 レギアスが集会場を離れて少し後の話、訓練場で倒れてしまったアルキュスに駆け寄ったマリアは早速自身の所有する魔道具で治療を開始する。放出された霧は彼女の身体中の痣を薄くしていく。


 一分ほど霧を浴びせたところでアルキュスが覚醒し、吐瀉物の海から起き上がる。


「気絶してた、ってクッサ……」


 自分のゲロに浸かっていた彼女は身体から放たれる酸っぱい臭いに顔をしかめた。すぐに魔法を使って自分の清潔さを取り戻し訓練場のゲロも掃除し、なかったことにした。


 掃除を終えたところで彼女は自分のことを治してくれたであろうマリアの存在に気が付き、ぺこりと頭を下げる。


「あっ、ありがとうございます……」


「気にしないで。薬とか使ったりして治すよりもこっちの方がずっと速いから」


 頭を下げてくる彼女に対して手を振って応えるマリア。はにかみながら答える彼女にアルキュスも思わず頬を綻ばせた。


 するとマリアの背後からゾルダーグが顔を覗かせる。心配そうな表情を浮かべていた彼だったが、笑みを浮かべている彼女を見てホッとしたような表情を浮かべる。しかし、すぐに再び心配そうな表情を浮かべると口を開く。

 

「アルキュス、本当に大丈夫か? 相当やられたみたいだが……」


 父親として、家族として彼女のことを心配するゾルダーグ。マリアもそのことは少し考えており、彼女の身を案じていた。


「大丈夫。あの人に少しでも追いつこうと思ったこうするのが一番早い。それに限界は超えないと成長できないから。だから格上のあの人に叩きのめしてもらって、今の自分のさらに向こう側に行く。そのためだったらこの程度なんてこともない」


 アルキュスは笑みともに確かな信念の籠った瞳を向け、彼の問いかけに答えた。その瞳には意地や負けず嫌いではなく、素直に前を向いて成長しようとしているという意志が籠っていた。


「そうか……。だったら頑張りなさい。父さんは応援してるから」

 

 そんなものを見せられて止めることが出来るほど彼は野暮ではない。彼女の覚悟を感じ取ったゾルダーグはそれ以上は何も言うことなく去っていった。


 彼が去っていき、二人残されたマリアとアルキュス。


「それにしても、あの人は本当に強いですね」


「ホントその通りよ。うちに勧誘したいくらいだわ」


「ん? それってどういう」


 アルキュスがマリアの発言を追及しようとした次の瞬間、外から微かに皿が割れるような甲高い音が二人の耳に届いた。


 本能的に何かが起こったのだと二人は察する。真っ先に立ち上がったマリアは集会場の外に駆けだしていき、その後に続くようにしてアルキュスも飛び出していった。
















































 町の外で鍛錬を終えて戻ってきたレギアス。そのおかげでいい感じに腹が空いていた彼は昼食として何を食べようかとなどとのんきな考えながら大通りを悠然と歩いていた。


「見つけた! どこ行ってたんだ!?」


 そんな彼のもとに冒険者らしき男が慌てた様子でやってくる。レギアスは彼が知り合いか、一瞬脳内で逡巡する。以前、模擬戦の時にちらっと見たような気がするからそれがらみで声をかけてきたのだろうと推察した。


 彼のことを探していたような口ぶりの男に対してレギアスは眉をひそめながら返答する。


「どこって別に俺がどこに行ってようがお前には関係ないだろう」


「ともかくなんでもいい。今すぐと一緒に来てくれ! あんたの力がいるんだよ」


「あ? 何でだよ。面倒ならそっちで適当に片付けろ」


 了承すら聞かずにつれていく前提で男はどこかに歩き出そうとする。まったく事態を飲み込めていないレギアスはそんな男の行動に忌避感を示し無視して他所へ歩き出そうとした。


「いいから! アンタの隣にいた女の子がやべえんだって!」


 しかし、男は慌てた様子でレギアスのことを手招きすると走り出す。一瞬無視して飯でも食いに行こうかと思った彼であったが、マリアが大変というワードが心に引っかかり男の背中を追うように足を動かし始めた。


 少しの間歩き続けたレギアスだったが、時が経つにつれて彼の耳に徐々に誰かが言い争うような声が届き始める。


「だから謝んなさいって言ってるでしょ! 子供にこんなことしておいて!」


「いい加減黙れって言ってんだろうが! 何でてめえにんなこと言われなきゃならねえんだよ」


 言い争っている声の主の一方に聞き覚えのあるレギアスはまた奴が問題を起こしているのかとうんざりしたような表情を浮かべた。言い争いを取り囲んでいる人垣を掻き分け、その騒ぎの中心に辿り着くと、やっと争っているもう片方の存在が分かる。


 それを見てレギアスはレギアスは眉を顰め、そして呆れたように目を細めた。


 人垣の中心には、先ほどすれ違った全身鎧の大男とその後ろにいた女。そして彼に対して額から血を流して倒れた子供を抱きかかえているマリアの姿があった。


 二人は倒れている子供に対して言い争っているらしく、状況から手を出したのが男の方であることは容易に想像がついた。


「いい加減にしなさいよアンタ。子供相手に大声で脅すような真似して。恥ずかしくないの?」


「あ? なんだクソアル。やんのか?」


「そういうところがあんたの嫌われる要因よ。なんでもかんでも暴力で解決しようとして。少しは理性的に解決できないの?」 


 双方のちょうど中間のあたりに出たレギアス。しかし、双方は彼が来ても言い争いを続けており、明らかに熱量が高まっていっている。


「ハッ、てめえら雑魚なんかに言われても何にも響かねえよ。この世界、強えもんが弱えもんから奪うのは当然じゃねえか。そういうでけえ口は俺以上の実績を一つでも積んでから言うんだよ。ザコが!」


 彼のことを言い負かそうとするアルキュスだったが、男の主張に唇を噛んだ。ここでなんとか言い返してもよかったが、彼のことを考えると言い返そうものならば実力行使のターンに移りかねないし、何より彼の言っていることはもっともな真実である(認めたくはないが)。だから言い返すことが出来なかった。


「力を振るうだけだったらサルでも出来るじゃない。そこに責任を持てるから人間なのよ! そんなことも分からないの!?」


 そこに当たり前のように油を注いだのがマリアであった。彼女の行動にはさすがのアルキュスも目を丸くする。


 遠回しにサル以下だと言われた(もちろんマリアにそんな意図はない)男は額に青筋を立てると、瞬時に拳を振りかぶった。もちろんその標的はマリア。彼女の肉体が彼の巨大な拳を食らえば骨の二、三本は軽く砕け散ることになる。


 そのことを予期したマリアは咄嗟に子供に覆いかぶさる。そして痛みを覚悟し目を瞑りぎゅっと身体を固くした。


「あっ、師匠!?」


「テメエの師匠になった覚えはねえぞ」


 そこでやっとレギアスの存在に気が付いたアルキュスが声を上げる。救世主の登場に歓喜の表情を浮かべるアルキュスに対してレギアスはいつも通りの表情で彼女の言葉にツッコミを入れるのだった。


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