第1-9話 這いよる脅威
ヒュドラ討伐の事後処理をするべく、その死体回収の準備をしていたゾルダーグ。
そこらに出てくるモンスターの死体ならともかくヒュドラクラスのモンスターの死体となれば捨てるところがなく、余すところなく使うことが出来る。これを集会場としてもギルドとしても逃すわけにはいかなかった。
死体を回収したうえで保存するための冷却用の魔法が使える者や、森まで行く際に警護する人材、解体をするための業者にも声をかけて着々と準備を進めていた。
そこにレギアスが帰ってくる。
「レギアス殿。死体はどうでしたか」
「消えた」
レギアスの素っ気ない一言に思わずゾルダーグは素っ頓狂な声を漏らす。
「は、ハァ?」
「死体が消えていた。まるで最初からそんな生物はいなかったみたいにな。残ってたのは地面に染み込んだ血だけだ。それ以外は何も残っていなかった」
「そ、それではこの回収班は……」
「意味ねえな。まあ、首と心臓は残ってる。それでどうにかしろ」
そんな彼の言葉にゾルダーグはがっくりとうなだれ膝をつくのだった。
回収班の面々への謝罪行脚を終えてやっと息をつけるようになったゾルダーグが集会場の自室に戻ってくる。そこには椅子に座って白湯を飲んでいるレギアスがいた。
「あ、レギアス様。お待たせして申し訳ございません……」
「随分疲れるな。それなら俺の依頼の処理は明日で構わんぞ?」
「いえ、町の恩人をこれ以上お待たせするわけにはいきませんから……」
そういうと彼はレギアスの対面に座り、彼と向き合った。
「では、今回のヒュドラ討伐の依頼なのですが……。レギアス様、疑うようで申し訳ないのですが、本当に倒されたのですよね」
「正直心外も心外だが、気持ちは分からんでもない。だが、ヒュドラの毒を解いた心臓と集会場に残っている首が、何よりの証拠だ。それでも疑わしいのであれば今回の件はなかったことにしてくれても構わん」
「いえ、あれだけの証拠があれば上を納得させることはできるでしょう。報酬の方は冒険者登録をされた際に同時に開設した預金口座のほうに送金させていただきます。ご帰宅の際に受付に寄っていただければ金額の確認等できますので」
「分かった。確認しておく」
そう言うとレギアスはカップに残った白湯を飲み干した。空になったカップがコトリとテーブルに置かれるとそれをゾルダーグが手に取り、代わりを注ぎ始める。
「それにしてもヒュドラの死体は一体どこに消えてしまったのでしょうか……。この集会場の財源になると思ったのですが……」
「さあな」
おかわりを差し出されたレギアスがそれを口をつけながらゾルダーグの疑問に応じる。続けて彼は言葉を紡いだ。
「ともかく今回の一件、何かが裏で動いていることは間違いないな」
「と、言いますと?」
レギアスの言葉にゾルダーグが疑問を呈するとレギアスは少し呆れたように息をつくと言葉を続ける。
「ヒュドラっていうのは確か、北のほうにある谷、レパンド峡谷の奥深くに生息する生物だったはずだ。そいつがこんな人里近くに、それも前触れもなくいきなり現れるなんてどう考えても不自然だ。それに加えて倒した死体が消えた。ヒュドラのデカさ的に拾って帰れるようなものじゃないし、勝手に足が生えていなくなるなんて話も聞いたことがない。てことは誰かがヒュドラをこっちに送って倒されたから回収されたと考えるのが自然だろう。集会場の長のくせにそんなことも分からないのか?」
「いや、しかしいったい誰がそんなことを……」
「んなもん知るか。そんなに知りたきゃ誰かに調査依頼でも出せばいいだろう。俺はそういうのできないがな」
そう言うとレギアスはカップの中身をすべて飲み干し立ち上がった。
「馳走になった。これからもよろしく頼む」
それだけ伝えると彼は部屋を後にした。既に時間は夜遅く。窓の外を見ると太陽は完全に沈み切り、月が空に静かに煌めいていた。
とっとと今日の報酬を確認して寝ようと考えたレギアスは出口に向かって歩く。集会場も既に半閉店状態なのか、冒険者はおらず当直のものが受付で船を漕いでいる。静けさの漂う集会場では地面のきしむ音が嫌でも響き、空気を震わせる。
そんな静寂の中、空気を切るような音がレギアスの耳に届いた。不思議と興味を惹かれた彼はその音のする方向に歩み寄っていく。
辿りついたのは昨日、アルキュスと模擬戦を行った訓練場。そこでアルキュスが木剣を持ち素振りを繰り返していた。訓練場に顔を出したレギアスに気づくことなく素振りを繰り返している彼女は病み上がりにも拘らず、相当長い時間素振りを繰り返しているらしく、顔は汗まみれで服にはかなりの大きさの汗染みを作っていた。
彼女の素振りを黙って見詰めていたレギアス。しばらくの間、続いた不思議な時間だったが、彼女が汗を拭ったところでようやく彼の存在に気づく。
「なッ!? い、いつからそこに!?」
「少し前だよ。いい剣の振りだった」
しゃがみこんだ体勢のまま、アルキュスの問いに答え称賛を浴びせるレギアス。そんな彼にアルキュスは不信がった目を向けながら汗を拭うと、剣を腰元で落ち着かせた。
そして、小さく息を吸うと意を決したように口を開き、彼に問いを投げた。
「あなたは……、どうしてそんなに強いの」
「あん?」
「アルが十九で、あなたがが二十二。年は大して変わらない。なのに絶望的なくらいの差。一体何が違うの?」
彼女の中で昨日からずっと渦巻いていた問いだった。模擬戦では剣を当てることすらできずに弄ばれ、ヒュドラとの戦いでは自分は逃げることしか出来なかったのに、彼は無傷のままに倒してしまった。一体何が二人の間にあってここまでの開きが出来たのか。その答えにどうしても彼女はたどり着けずにいた。
そんな彼にレギアスはなんの躊躇いもなく答えを返す。
「あ? んなもん場数に決まってんだろ」
「ば、場数?」
「十歳の時から三千戦。それがどういう意味か分からんパッパラパーじゃ奴じゃねえだろう? お前がこのレベルに辿り着くまでにどれほどの努力をしたのかは知らんが、俺だってやってきてる。密度も数も、そこらの冒険者とは比較にならないレベルの中を揉まれてきた。それが闘技場から出てきたらコロリと負けるなんて洒落にもならんわ」
「場数の差……。たったのそれだけ?」
「当たり前だ。まあ、それ以外に強いてあげるとするなら……、まあ才能だろ、才能」
至極当然の答えかのような口ぶりで話すレギアスにすっかり毒気を抜かれてしまったアルキュスは殺気混じりの緊張感を解き小さく笑い始める。
「プッ、アハハハハ」
「何がおかしい? それとも毒のせいで頭をやられたか?」
突然笑い出した彼女にレギアスは眉を顰めたが、それでも彼女の喜色は消えなかった。
「そんな答え、思っても見なかったから。場数と才能ね。だったら同じく勇者印を持つアルが場数を踏めば追いつけるってこと?」
「どうだろうな。お前と俺ではそもそもの
「それじゃさっき言ったことと矛盾してる。ムカつく」
そう言ったアルキュスは徐に自分の荷物のそばに剣を置くと、レギアスのもとに歩み寄った。そしていきなり頭を深々と下げ感謝の言葉を紡いだ。
「命を救っていただいてありがとう。この御恩は一生忘れない。アルに出来ることであればなんでも協力させて」
感謝の気持ちを伝えたアルキュス。同時に彼女はさらに言葉を続けた。
「それとお願い。私を弟子にしてほしい! 貴方みたいに何が来ても動じないくらい強くなりたい」
彼に対して弟子入りを懇願するアルキュス。既に彼女の中でレギアスは憧れ、いや崇拝すべき存在、もしかしたらそれすらを通り越したものへと変化していた。そんな人物に師事しその技術の一端でも見に付けることが出来るのであれば彼女にとってこれほど素晴らしいことはなかった。
そんな彼女の懇願に対してレギアスは。
「断る」
その申し出を断った。
断られたことで言葉を失ってしまうアルキュス。ダメなのかと思ったのも束の間。だレギアスの言葉はそれで終わりではなかったらしく、彼はさらに続けて言葉を発する。
「俺は弟子が取らない。俺に稽古をつけてほしいんだったら声を掛けろ。その時の気分が良かったら稽古をつけてやる」
そう言うとレギアスは話は終わりだと言わんばかりに踵を返して歩き始めた。照れ隠しにも見えかねないその行動であったが、レギアスとしては単純に疲れたから帰って寝たい程度の考えの行動であった。
だが、そんなことは関係ない。アルキュスとしては稽古をつけてもらえるという歓喜の感情に飲み込まれ、そんなことを考える暇すらなくほぼ身体の赴くままに、彼の背中に頭を下げていた。
集会場の外に出たレギアスは、先ほどの彼女の姿を父親の姿を頭の中で重ね合わせていた。
「生真面目で義理堅いのは親の血なのかね……」
そう言いながら彼は宿に向かったのだった。
「あれ、アルキュスちゃんは? レギアスの奴は?」
そしてアルキュスも帰って静けさを取り戻した集会場に、うたた寝こいて取り残されたマリアの声が響くのだった。
時はレギアスがヒュドラを討伐した少し後まで遡る。彼がその場から立ち去った後、ヒュドラの死体に寄り添うようにして何者かが現れる。ヒュドラの死体の状態を確認するかのようにしゃがみこんで鱗を小さく撫でた。
しばらくそれを続けていたその人物だったが後、徐に立ち上がると小さな声で魔法の詠唱をする。
「
その言葉が力を持ったその瞬間、彼とその人物の姿はその場から瞬く間に姿を消して距離の壁を超えて跳躍した。
一瞬のうちに移動したその人物が辿りついたのは薄暗い森の中にザルボの森から少し離れた場所にある森に立てられた建物であった。その建物の前にヒュドラの死体を置いた彼はそれに処分するため、火をつけて燃やし始める。燃料をかけたわけでもないのに煌々と上がる炎は、瞬く間に死体を燃やし尽くした。
死体が灰になったのを確認した彼は建物の中に入る。すると彼のことを女の高い声が出迎えた。
「お疲れ~。どうだった、さすがにヒュドラを送り込んだんだから百人単位で数は減らせたでしょ?」
軽い口調で問いかける彼女に対して男の方は重めの口調で答える。
「いえ、それどころか送り込んだ森で殺されていました。恐らく一人して殺せていません」
「え、嘘!? そんな奴が今のハイルデインにいたの!?」
「え、見事なものでした。首を絡ませて動けなくなったところを心臓を抜き取り討伐。ヒュドラの首を絡ませるなんて正気とは思えない実力だ」
「あの町には確か勇者印を持った小娘がいたわよね。そいつがやったのかしら?」
「いえ、あの女にはまだそんなことが出来るような実力はないでしょう。というよりヒュドラを倒せる実力すらありません」
想定外の事態に饒舌になる二人。推察を深めながら会話を続ける。
「もう一人、ヒュドラを倒せるほうをわざわざ俺たちが出した依頼で遠ざけて、その間にヒュドラを送り込む作戦だったんだったのですが……。一体何者でしょう?」
「それじゃあ辞めるの? せっかくここまで進めてきたのに?」
「まさか。ここまで来てそんなことあるはずありません。もうすぐ引き離してた奴らがが町に戻ってくると報告が入っています。そしたら頃合いを見て攻撃を開始します。貴方も準備を忘れぬよう」
「それこそ誰に物言ってるのかしら。ヒュドラを倒した程度で喜ぶような連中に私が負けると思ってるの?」
「……あなたには余計な心配でしたか。それじゃあ、来るべき日までゆっくりと休んで」
そう言うと男は背を向けて建物から出ようとする。が、そんな彼の進行方向を銀色の鱗粉のようなものが阻んでいた。
「……なんでしょうこれは?」
「私に休むなんて選択肢があると思ってるのかしら? ほら、早くこっちに来て私を楽しませなさい」
ん、と首を傾げながら両手を広げる女。男にそれを拒む勇気はなかった。
「そうなっちゃうんですか……。わかりました、仰せのままに
両手を広げながら待ち侘びる表情を浮かべている女の手のうちに収まるため、男は少し疲れたような表情を浮かべながら歩み寄っていく。ゆっくりと跪くと彼女の胸元に静かに収まり、身体を委ねた。
そうして夜は静かに、しかし着実に更けていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます