第1-8話 英雄の帰還




 たった一人でヒュドラを討伐し終えたレギアス。


 心臓を取って首も落とした。これで動くことがないことを確認した彼は、町に戻るために踵を返そうとする。そんな彼の目に届いた無機質な光。それに興味を惹かれた彼はそちらに向かって歩き出すとその光の発生源を拾い上げた。


「あん……。何じゃこりゃ」


 光を放っていたのは謎の金属片。親指ほどの大きさのそれがよく見るとそこら中に転がっており、ヒュドラの血に沈んでいた。金属片の裏側をよく見てみるとごくわずかではあるが、ヒュドラの鱗がくっついていた。


 恐らくヒュドラにくっついていたであろう大量の金属片。そしていきなり現れたヒュドラ。それに予兆のようなものを感じ取ったレギアスは思考を巡らせようとする。が、冷静になって思考を広げ直し、それが最優先事項でないことを結論付けると、その思考を一度止めた。


 とりあえず血に沈んでいたものも含めて金属片をすべて回収したレギアスはヒュドラの死体を一度放置することを決断すると、いち早く街に戻るために走り始めるのだった。






































 アルキュスを伴って一足先に町に戻って来たマリア。集会場に辿り着いた彼女を出迎えたのは絶望したような顔を浮かべたゾルダーグであった。


「アルキュス……、何て姿に……」


 青白いを通り越して、青黒い顔になって荒い息を上げているアルキュスを見て、膝をつくゾルダーグ。もっと 早く戻って来たならば、助かる手段もあったのだろうがこうなってはもう助けられない。もうこのまま娘は死んでしまうのだと思った彼が膝をついたのは親心として決して理解できないものではなかった。


 しかし、マリアはそんな彼の背後に回るとそのケツを蹴っ飛ばす。そして前のめりになった彼に檄を飛ばす。


「何諦めてるの! 娘が死ぬかもしれないって時にあなたが一番シャキッとしないでどうするのよ! まだ希望は残ってるんだからそれまで何とか頑張るしかないじゃない!」


「だが、これでは希望など……。そういえばレギアス殿は?」


「あいつは今一人でヒュドラと戦ってるわ」


 その言葉に集会場内にざわめきが起こる。本来ヒュドラというのは軍単位で、冒険者でも百人単位で討伐を試みるような存在であり、一人で相手をするなどもってのほかであるからだ。


「あいつは生かしておけって言ったのよ。だったら何とか生きたままあいつが帰ってくるのを待つのよ! まずはベットでもなんでもこの娘を寝かせられる場所を作るのよ! 早くしなさい!」


 しかし、レギアスの実力に絶対の自信を持っているマリアは彼が戻ってくると信じて疑わない。だからこそ彼女はアルキュスを延命させるために必死で手を尽くそう、そう決心して行動を起こしていた。


 そんな彼女に感化されて、今にも死にそうになっていたゾルダーグの顔にみるみる生気が取り戻していき、集会場の長としての落ち着きと威厳を取り戻した。


「医務室のベットを開けろ! それと町中からヒュドラ毒に効くありったけの薬を集めてこい! 完治する必要は無い! 時間が稼げれば何でもいい!」


 冷静さを取り戻した彼は部下の受付嬢たちに指示を出し始め、それに従って組合の職員が動き始める。集会場の奥の医務室に行き、彼女をベットに寝かしつけたマリアは本日二度目のペンダントに手を当て異空間に足を踏み入れた。


 そこから戻ってくるとちょうど医務室に薬を抱えたゾルダーグが入ってくる。彼は彼女の持っている杖のようなものを見て疑問の声を上げた。


「マリア様、それは一体……」


「回復の魔道具よ。これを使えば……」


 そう言うと彼女はベットのサイドテーブルにその杖を立て杖の根元についているスイッチのようなものを押し込んだ。


 直後、杖の先端から霧のようなものが出始める。微かに鼻を抜けるようなにおいのするその霧は少しの時間をかけてアルキュスを包み込むと、苦しみに呻いている彼女の呻きを弱め青黒く染まっていた彼女の肌の色を青白い色に正常に戻していく。


「こ、これは……!」


「即効性はないし、私がそばにいないと使えないけど、これでしばらくの間は苦痛から逃れられると思うわ。しばらく浴びてれば毒も抜けるかもしれないけど……。それには多分何十日もかかるからあの男が戻ってこなかった時の最終手段ね」


 マリアが魔道具の説明をするとゾルダーグはほっと安心したような表情を浮かべた。


「最も、あの男が帰ってこないようなことがあればこの町も危ないでしょうけどね」


「それはもちろんです。今日中に彼が戻ってこなかった場合、討伐部隊を編成します。この町を根城にしている勇者印持ちのヒヒイロカネ級含めた冒険者全てに任務クエストを発行し全戦力を持って討伐に当たります」


「随分気合が入っているみたいね」


「当然です。この町は魔族領域との境に近く、抜かれれば人類圏が危機に迫るのは時間の問題です。その前にこの町で食い止めなければ」


 ベットで寝ているアルキュスのそばで二人は今後のことを相談する。マリアはまるで為政者のような口ぶりで集会場の長であるゾルダーグ相手に今後の展望を話し合っていた。


 しかし、そんな彼の予想も無駄になってしまう。二人の耳に町から騒がしさが届く。まるで何かを称賛するような騒がしさ、歓声にもしやと思ったゾルダーグはベットそばの椅子から腰を浮かせると、外に向かって走り始める。


 そして外に出て歓声の上がるほうに視線を向けたところで彼の瞳に感動の涙が溢れて止まらなくなった。


 彼の視線の先には血まみれではあるものの、右手に蛇の首を、左手に何かしらの肉塊を持って歩くレギアスの姿が映っていた。右手のものはまさしくヒュドラを討伐した証拠であり、彼がヒュドラ相手に生きて帰ってきた照明であった。


「レギアス殿! お怪我は大丈夫ですか!?」


「ああん? 怪我なんてどこにもしてないぞ?」


「で、ですが血まみれで……」


 ゾルダーグの疑問はもっともであり、血だらけの彼は傍から見れば自分の血で汚れているようにしか見えない。だからこそゾルダーグはレギアスの怪我を心配した。


 しかし、傷を負ってなどいないレギアスからしてみればなんのことかさっぱりである。だからこそゾルダーグの問いに疑問で返す形を取ったのだ。


「こいつはヒュドラの返り血だ。俺は傷一つ負っちゃいない。それよりあの女はどこだ。ヒュドラの毒を解除するぞ」


 そういうとレギアスはゾルダーグを押しのけズカズカと歩き始める。案内しろといった彼であるが、実際にはアルキュスの居場所に大体の見当がついている。レギアスが最初に戻ってくる場所が集会場である以上、集会場から離しておく必要性はどこにもないのだ。


 集会場に入ってすぐに血まみれの身体に悲鳴が上がった彼であったが、無視して突き進み、医務室に辿り着くと、乱暴にその扉を開けその中に入っていく。


 彼の視線の先にはベットに寝ているアルキュスと、その横で静かに見守っているマリアがいた。しかし、それを喜ぶ暇もないままレギアスはそばに置いてある水差しを掴むと、その中の水をアルキュスにぶっかけた。


「おい、起きろ女」


「ちょっと病人なんだからもっと優しく……」


「知るか」


 顔全体に水がかかったことで呻き声をあげたアルキュスがゆっくりと目を開けた。彼女はレギアスの顔を見るとか細い声で彼の名前を呼んだ。既にゾルダーグも彼の背後に立っており、目を覚ましたことを喜んでいる。


「よし、起きたな。上出来だ」


 そう言うとレギアスは左手に持ったヒュドラの心臓をアルキュスの口元に差し出した。


「食え、ヒュドラの毒はこれで全部解毒できる」


「そ、そんな解毒方法が……」


「ヒュドラ殺しは心臓つぶしや傷口を焼いて塞ぐ方法が主のようだが、この心臓を抉り出して倒すのが最も後にとって効率がいい。もっとも出来る者は相当限られるだろうがな。ともかく早よ食え。間に合わなくなっても知らんぞ」


 そう言いながら口元で心臓を動かすレギアス。しかし、今のアルキュスは自分の心臓を動かすだけで手一杯。口を動かすことすら憚られるほど消耗しきっていた。


「……やっぱりこの状況で生肉を食べさせるなんて無茶よ。細かく刻んで無理やり飲ませるしか」


 ピクリとも動かないアルキュスに否定的な声を上げるマリア。腰を浮かせると心臓を刻むための道具を取りに部屋から出ようとする。


「動けないか。俺は出来ると見込んでいったんだがな」


 そんなときにレギアスの口から放たれた呟き。これがアルキュスの身体を動かす特大の燃料になる。父の顔も見て、それでも動かず諦めかけていた彼女の身体が瞬く間に動き始める。


 ベットに伏していたアルキュスの頭が少しずつ起き上がり始め、ゆっくりと開いていく口が心臓に近づいていく。それに対して手を出そうとしたマリアやゾルダーグがレギアスに止められ、室内は独特の緊張感に包まれる。


 そして舌が心臓に触れると、アルキュスは力の限りかじりついた。が、弱っている身体では心臓を噛み切ることが出来ずに歯形が付くのみ、それでも何とか噛み切ろうとして彼女は悪戦苦闘している。


 やはり今の自分では噛み切れないか、周りもアルキュス本人もそう思った。が、本人にだけはそれを諦めることの出来ない理由があり、それが原動力となって彼女の身体を動かしていた。目の前にがいるというのにどうしてその前で惨めな姿を見せることが出来るのか。そんなことが出来るはずもない。


「んぐぐぐぐ……」


 呻き声を上げながら肉を引き噛み切ろうとするアルキュス。その努力が実を結び、ついに心臓から肉が一片引きちぎれた。その一片を口に入れた彼女はそれを咀嚼し、飲み込めるようになったところで喉へと通した。


 すると、彼女の青黒く染まった肌の色がみるみるうちに健康的な物へと変化していく。毒のせいで強張っていた身体も緩んでいき、彼女の身体は健康を取り戻していった。苦痛から解放されたアルキュスはそのまま静かに眠りにつく。同時に医務室内に安心と静寂が訪れた。


「……どうやら今回の依頼はここまでみたいだな」


 そういうとレギアスは心臓の残りをゾルダーグに手渡した。


「生で食うのも悪くないがどうにか加工してやればヒュドラ毒の特効薬が作れるはずだ。それはせいぜいそっちでどうにかしろ」


「あの、レギアス様は?」


「俺は森に放置してきたヒュドラの死体の様子を見てくる。依頼完了の処理なんかは戻って来たらやる。準備しておけ」


 そう言うとレギアスは集会場の出口に向かって歩き始める。その後ろ姿に魅了されたように呆けて動けずにいたゾルダーグだったが、少ししてハッとしながら動きを再開すると深々と頭を下げ、精一杯の声量で感謝の気持ちを伝える。


「この度は、町を救っていただきありがとうございました!!!」


 その言葉を背に受けながらレギアスはヒュドラの死体を確認するために森に向かい始める。





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