第1-7話 覚悟、そして討伐


「ハァッ……、ハァッ……。なんでこんなことに……」


 ザルボの森でアルキュスは苦痛に喘ぎながら木にもたれかかる。彼女のそばからは木がミシミシという倒れる音が響いており、それに紛れるようにしてモンスターの唸り声も響き渡っている。


 依頼中、いきなり森に姿を現したヒュドラに襲われた彼女。自分とヒュドラの力を天秤にかけ、逃げようかと一瞬思った彼女だったが、このモンスターを野放しにした場合の危険性を頭の中で想像し、応戦にかかった。こいつから逃げるわけにはいかない。その思いで立ち向かった。


 魔法が弾け、巨躯が激しく蠢きながらの戦いは熾烈を極めに極めた。


 だが、彼女の力はヒュドラの息を止めるには能わなかった。斬っても斬っても堪える様子のないヒュドラにアルキュスの集中力は、徐々に削られて行き、一瞬の隙をつく形で牙が身体にかすってしまう。


 途端に身体中に回る猛毒。体験したことの無い苦痛に彼女の闘争心はあっという間に折られてしまった。


 そこからは防戦一方を強いられ、彼女は逃げることしかできない状況に陥れられていた。何もできないままに毒に侵され、戦えなくなった情けなさに心を蝕みながら彼女は森の中を駆ける。


「ダメ……。このままこいつを町に行かせるわけにはいかない……」


 迫りくるヒュドラにアルキュスはこいつを倒さずとも足止めするための方法を考える。しかし、ヒュドラは弱らせた獲物を嬲るかの如く、ゆっくりと、しかし着実に近づいてくる。あまり悠長に考えている時間はない。


「やるしかない……、か」


 刹那の熟考の末、彼女は結論を見出す。自分の命を懸けた捨て身の一撃であるが、こいつを町に行かせるわけにはいかず、彼女に出来る手札がこれしかないことを踏まえると覚悟を決めるしかなかった。


 自分の魔力、中でも最も得意な炎を操る魔法を自分の中で加速、膨張させていく。限界まで加速させ、高めた魔法を自分の中で炸裂させることで暴走を引き起こしヒュドラを討伐する、いわゆる自爆攻撃である。


 彼女の魔力では森が丸ごと吹き飛んでしまうかもしれない。その余波で町にも何らかの被害が出てしまう可能性があるが、このヒュドラを町に行かせないだけで万々歳だろう。ヒュドラが町に向かえばその程度では済まないのだから。


 だが、自分が死ぬのだと考えたその瞬間、彼女の脳裏に父親の顔が浮かび、思わず心が締め付けられ、唇がキュッと締まる。が、構っている時間はない。今の彼女には本当に時間がないのだ。親不孝者だと笑いながら、彼女は魔力を高め始めた。


 かつてないほどの素早さと密度で彼女は魔力を高めていく。最大限の集中をもって自爆の準備をするアルキュスの魔力は着実に高まっていった。あともう少し。

 

 だが、その彼女の集中力が仇となる。ふとした時、ヒュドラが動く音がしなくなりそのことを疑問に思った彼女は魔力を集めながら周囲を見回した。


 そんな彼女の目に映ったのは、彼女を取り囲む九本の蛇の首、そこに着いた爛々と光る十八個の瞳であった。彼女の集中力が災いして懐に入られたことに気づくことが出来なかった。既に彼女はヒュドラの口の中であり、逃れうるのは困難であった。


「――ッ!?」


 心臓が飛び出そうなほどの衝撃に集中が途切れそうになるが、鋼の精神力で抑え込むと急いで魔力を書き集め、自爆の準備を整えようとする。あと少し、あと少しなのだという自分を急かしながら魔力を集め燃える炎のように熱を込めていく。


 だが、そんなことをヒュドラが許すはずもない。彼女が何かを企んでいることに気づいた彼は即座に彼女を息の根を止めるべく九本の首を彼女に殺到させ、その牙を突き立てようとする。


 彼女が魔力を集めて自爆するのと、ヒュドラが噛みつきその牙を彼女に突き立てるのとではヒュドラの方が早い。ただでさえ、毒に侵され苦痛に呻いている彼女の身体にさらに毒を打ち込まれれば集中は途切れ、今までに溜め込んだ魔力はすべて無駄になる。


 だが、今の彼女に魔力を溜めながら動いて逃げ出すだけの余裕はない。動かない身体で迫りくるヒュドラの口内を見つめながら魔力を機械的に溜め続けることしかできなかった。


 瞬間身体に押し寄せる無力感。同時に彼女は自分の未熟さを呪い、自分に訪れる死と呼ばれるものを理解しようとした。


 しかし、そんな彼女に牙の突き刺さる痛烈な感触が走ることはなかった。代わりに感じたのはふわりと頬を撫でる風の感触と、内臓が浮き上がる様な浮遊感であった。 


 そこに既に彼女を覆っていた蛇の口内の景色はなく、代わりに木々の青々とした葉が一面に広がっていた。ものすごい速さで入れ替わっていく景色に彼女はアルキュスは困惑し、今まで溜めていた魔力を霧散させてしまう。


 混乱する頭の中で、彼女は自分の身に起こった出来事を理解する。少し視線を上げれば、抱きかかえるような体勢で木の上に立っているレギアスの姿があり、視線を下ろすとその先にヒュドラがいる。

 

 状況から考えると、つまり彼は目にも止まらぬ速さで近づくと、ヒュドラの絡まった首をすり抜け囲まれている彼女のもとに近づいた。そして彼女の身体を抱きかかえると、再び首の間をすり抜けて脱出し、距離を取るために木の上に登ったのだ。


 一体どれだけ身体能力、身体捌きを磨けばその領域に至れるのか。果たして今の自分に十年後、何十年後になった時、あのような動きが出来るだろうか。恐ろしいほどのレギアスの実力に彼女は思わず涙が流すと崇拝の笑みを零した。


「生きてる……、だが毒に侵されてる。 このままじゃ助からないか……」


 ヒュドラから目を離さないままにアルキュスの首元に手を伸ばし脈を測ったレギアスは彼女の状態を確認していく。小さな傷から毒に侵されていることを理解する。


「まあ、とりあえずこいつがいても邪魔になるだけか」


 状態を確認した彼は治療をしなければ死んでしまうが、今すぐに死ぬわけでもないという判断を下すと、彼女をこの戦場から離脱させることにした。幸いにも木の下で威嚇を繰り返しているヒュドラの意識はレギアスに向いている。今ならば安全に彼女を離脱させることが出来る。


「ダメだ……、一人であいつを討伐するなんて……」


「アーうるせえ、まともに倒せずに毒に侵された奴なんぞ邪魔なだけだ。おとなしく家に帰ってパパの飯でも食ってろ」


 レギアスとともに戦おうとする意志を見せたアルキュスだったが、その考えはすぐに一蹴される。


「おい!」


 レギアスは上空に呼びかけるように声を張り上げるとアルキュスの身体を上空に力の限り投げつけた。本来であれば重力に従い、落下してくるはずの彼女の身体は一向に姿を現すことがない。代わりに降り注いできたのは上空で待機してマリアの声であった。


「ちょ、大丈夫なのこれ!?」


「危険な状態だが急ぎじゃねえ。せいぜい死ぬほどの苦痛を味わい続けるだけだ。お前は帰ってそいつの治療でもしてろ!」


「あんたはどうするのよ! まさかヒュドラ相手に一人でやるつもり!?」


「ああ、そのまさかだよ。こいつを殺したら俺は走って帰る!」


 一人で戦おうとするレギアスに対し、抗議の声を上げるマリアだったがレギアスは聞く耳を持たない。


「言い訳ないでしょ! 私も一緒に……」


「そいつを無駄に苦しめたくなかったらとっとと行くんだな! ヒュドラの毒は死ぬほど苦しいぞ!」  


 一緒に戦おうとしたマリアだったが、レギアスの言葉にハッとさせられ視線を落とす。彼女の手の内で苦しんでいるアルキュスを見て彼女は決断する。


「……絶対に帰ってきなさいよ!!!」


「誰に言ってんだ雑魚女! その女、殺さず生かしておけよ!!!」


 そういうとマリアとアルキュスの気配がレギアスから遠ざかっていく。同時に彼の立っている木が揺れ、強引に振り落とされてしまった。


 地面に落下したレギアスが軽やかに着地し、前方に視線を向けるとそこには他所に意識を向けられ続けたことで怒りに狂っているヒュドラの姿があった。九本の首をくねらせながら蛇特有の音を鳴らして威嚇を繰り返している。今の双方の間の空気は罅の入ったグラスに水が満タンに入れられているようなもの。少しの振動で水がこぼれ、ヒビが広がり割れてしまう。そんな緊迫した状況であった。


 それでもレギアスは戦闘態勢をとると、


「久しぶりだな……。ヒュドラの相手をするのは」


 刹那、二人の戦いの火蓋が切られ、双方同時に動き出した。

































 レギアスを殺すべく、九本の首をまるで鞭のように振るい襲い掛かるヒュドラ。まともな人間であればその嵐のような攻撃に瞬く間に飲まれ物言わぬ肉塊となりヒュドラの糧になっていただろう。


 だが、レギアスはまるで次にどの首がどのように動くかが分かっているかのように最短距離をついて躱していく。森の木々も利用し、三次元的に動く彼を九本も首があるのにヒュドラは捉えることが出来ない。おまけに回避するだけでなく、ところどころで首に拳や足による肉弾戦を叩きこむという防御一辺倒でない玄人っぷりであった。


 しかし、それでは足りない。ヒュドラの硬い装甲を破るには拳や足の肉弾戦では威力が足りない。重量のある鈍器でもあれば話は変わってくるのだろうが、今の彼にそんなものはない。


 かといって剣での鋭い一撃は傷口が瞬く間に再生されてしまう。今のレギアスの手段では決め手がない。


 だが、そんな状態でレギアスが戦いを挑むはずがない。闘技場でのヒュドラとの交戦経験からどのような戦い方が有効で、どうすれば倒せるのかを彼は熟知している。だからこそ、一人で戦うという選択肢が取れたのだから。


 一度距離を取って呼吸を整えたレギアスは再度ヒュドラとの間合いを詰める。ひらひらと躱すレギアスにいい加減鬱陶しさを感じ始めていたヒュドラはここらで仕留めようと先ほど以上の猛攻を繰り出した。


 だが、それでもレギアスを捉えることが出来ない。締め付けようととぐろを巻けば跳び上がって首の上を走られ、噛みつこうと口を出せばいなされる。かといって巨体で押し潰そうにも纏わりつくよう、すばしっこくに動いているためになかなか狙いがつけられない。


 徐々にヒュドラはその攻撃に別の意図を感じ始める。完全におちょくられていると感じたヒュドラは怒りのボルテージを上げ、さらに攻撃を激しくさせる。だが、その動きは怒りと比例し徐々に単調な物へと変化していき、レギアスにとっても読みやすいものへと変化していった。


 狙い通りに事が進んでいることに、レギアスは思わず小さく口角を上げる。しかし、ヒュドラの討伐方法はここからが本番である。


 レギアスの動きがさらに変わり、ヒュドラの首の周りをすばしっこく動き回るように動きを変化させる。その小回りの利いた彼の動きにヒュドラ同士の首がぶつかり、ぎこちなさが生まれ始めた。


「行くか」


 短く呟いたレギアスはさらに素早さを上げる。ヒュドラの首、その一番先の首の口を掴むとそれを引っ張りながら別の首に近づく。当然、それを迎撃すべく別の首が伸びてくるが、それを躱し別の首の間をすり抜けるように動き、さらにはとぐろを巻いて輪になった場所を通り抜ける。


 するとヒュドラの首がまるであやとりの様に複雑に絡み合った。一瞬ヒュドラは何が起こったのかが分からず硬直する。


 だが、自分の身体がどのようになっているかが分からない生物は少ない。そしてそれを解決できない生物もまたいない。自分の首が絡まったのだとすぐに理解したヒュドラは自分の首をほどこうと自分の身体を動かし始めた。


 だが、レギアスがそんなことを許すはずがない。絡みつかせた張本人は初めて背中の剣を抜き放つとそれで絡み合った首の一部に突き刺した。


 その突き刺したところというのはなんと絡まりの核ともいえるべき場所。レギアスがその場所に狙って突き刺したことでヒュドラは首を解けなくなりもがいて首を小さく動かすことが出来なくなってしまう。


「相変わらず激昂すると首の制御が効かなくなるな。まあ、怒るように仕向けたんだが」


 ヒュドラを半分無力化し制圧したレギアス。しかし、まだこれで終わりではない。ヒュドラを倒して初めて町に迫る脅威というのは解決するのだ。


 ヒュドラの胴体に歩み寄るレギアスは懐からナイフを取り出した。彼が闘技場から立ち去る際にギレンに投げつけられたもの。


 それを逆手に握ったレギアスはそれを胴体に突き刺して一気に切り裂いた。それと同時にそこに手を突き入れた。


「お前の再生能力は心臓が起点だ。心臓が身体から離れた時点でその能力は失われる」


 しばらく胴体に腕を突き入れていたレギアスが腕を引き抜くと、そこには身体から離れてなお鼓動を続けるヒュドラの心臓が握られていた。同時に腕がコルクのような働きをして塞がれていた傷口から噴水の様に血が噴き出し、彼の身体が真っ赤に染まっていく。


 心臓が抜き取られたことで苦しみにのたうち回るヒュドラ。既に身体に力はなく、もがいていた首もピクピクと小さく動くのみである。最早戦闘能力はほとんどない。


 ほぼほぼヒュドラを制圧したレギアスは心臓を片手にしながら絡まった首に近づき、楔として撃ち込まれていた剣を一気に引き抜いた。


 その瞬間、ヒュドラの首が一斉にレギアスに襲い掛かる。最後の力を振り絞り目の前の存在と同士討ちになるために。油断の生まれやすい討伐した直後というものを本能的に感じとったヒュドラに取れる最後の手段であった。


 だが、ヒュドラを討伐したことのあるレギアスがそのことを知らないはずがない。故に油断などしておらず、襲い掛かってくるヒュドラの首を冷静に見据え続けていた。同時に剣を振りかぶり迎撃の体勢を取った。


 次の瞬間、レギアスは剣を一呼吸のうちに三振りする。その三閃のうちに九本の首がほぼ同時に斬られ重い音を立てながら地面に落下した。


 だが、ここでヒュドラにとっての幸運が訪れる。首を斬られたときに運よく切れた毒腺から飛んだ毒液がレギアスの頬に付いたのだ。ごく微量であっても人間を殺すことの出来るその毒は、触れただけでも人を苦しみに陥れることが出来る。


 しかし、同時にヒュドラには不幸も降りかかっていた。レギアスというヒュドラの討伐経験のあり、毒の対処の方法を知っている存在そのものは不幸の象徴と言って間違いないものだ。


 剣に付いた血を振り払い、背中に鞘に抑えながらレギアスはもう片方の手に握った心臓にかぶりついた。血にまみれでヒュドラの死体を傍らに心臓を貪る彼のその姿は恐ろしく鮮烈で、まるで獣のようであった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る