友人とじゃれ合うの、非常に久しぶりな気がするわ


 悲しいだとか、悔しいだとか、怒りとかはなかった。

 心にあったのは「あぁ、負けちゃったわ」という無にも近い感情のみ。

 わたしは上半身だけ起き上がらせて、ハルナに顔を向ける。


「一日でここまで仕上がるなら、最初からハルナがやればよかったじゃない」


「お前、本当に自分のこと以外興味無いのな」


 ハルナの随分な物言いにわたしは頬をむっと膨らませる。

 ハルナから言わせれば、元男がやっても気持ち悪い仕草の一言で終わると思うけど。

 ハルナ相手なら良いわって感情で。


「お前とメンマちゃんがミリアちゃんを鍛え始めた時からだよ。深夜の修行を始めたのは」


「そう。じゃあ育て方が良かったのね。初めから暇なハルナがやればよかったじゃない」


 ずっとわたしたちの仕事を見ているだけで、なんの手伝いもしてくれなかった。

 暇な時間があるのなら、わたしたちの代わりに修行をしてあげれば良かったのにって。

 だってハルナ、わたしよりも強いじゃない。

 ハルナは後ろ頭を掻きながら、わたしに手を差し伸べる。

 わたしは素直にハルナの手を掴みとって立ち上がる。

 

「なんも教えてねぇよ」


「あら意外」


「おれは後ろから違うと思ったら声を掛けるだけだ。何ひとつ教えてねぇよ」


 随分と厳しいというか、昔ながらの考え方というか、本人の力を尊重しているというか。

 それで強くなったのだから、ミリアが随分と呑み込みの早い娘だったってことね。

 わたしよりも強くなるなら、なおさらハルナに任せれば良かったわ。


「で、結局どうよ。神装持っているから余裕とかぶっこいておいて、それを持ってすらいないミリアに負けた気分は」


「どうもこうも無いわ。別に負けたところで――」


「分かんねぇ奴だな」


 ハルナは無機質な目でわたしの身体を地面に打ち付けてくる。

 ミリアのあたふたした様子が映りこむ。


「お前は、神装を持っていないミリアにすら負けてんだよ。それも一か月経つか経たないか程度で。負けても何も感じなかった? それが許されているのは昨日までなんだよ。今日負けたら終わりなんだよ」


「そうね」


「どうせお前はミリアが勝つとでも思っているんだろうが無理だ。神装持ちと仮定しなくともミリアは負ける。あれに勝つんならお前の力が必要なんだよ!」


「何を言いたいのか端的に」


「家族も家も平穏すら奪われるってことなんだよ!」


「……ふざけないでよ」


 わたしは胸倉を掴んでくるハルナの手首を強く握りこむ。

 流石に平穏を奪われるって言われたら、わたしだって対抗するわ。

 わたしだって、やるしかないならやるわ。

 けど違うじゃない? そんなの。


「わたしが少年漫画みたいなセリフをぶつけられて、躍起になると思った? 絶対に勝つって奮起すると思ったかしら? 寒いのよ、そういうの」


「言いたいことがあんならはっきり言えよ!」


「なら言わせてもらうわ。わたしの有用性はカグツチだけじゃない。わたしの心や感情、思いなんて全部無視。結局はみんな、わたしじゃなくて、わたしのカグツチが目当てなんじゃない!」


「わたしの身体目当てなんでしょみたいに言うんじゃねぇ! お前、想像以上にめんどくせぇな!」


「別に良いのよ、それでも。わたしが言いたいのは、わたしの心とか感情とか、全部断り切れない状況で追い込んでくることよ!」


「それはお前の責任だろうが! なんでもかんでも察して! わたしは黙っているけど。ってめんどくさい女の典型じゃねぇか!」


「無理に決まっているじゃないそんなの! 本音も何もかも押し込めないと相手に失礼なのよ! ならもう、それとなく察して貰うしかないじゃない!」


「無理だわ! 口に出せやアホが! 犯すぞ!」


「やればいいじゃない。わたしは何も思わないし、カグツチが強くなるだけなんでしょ? ハルナちゃん?」


「もうやだこいつ! 同じ元男! 転生者! 日本出身! 話が合うかと思ったらまったく合わねぇ! 大体社会性だとか社交性だとか謳うんなら、まず自分の振り見て我が振り直せよ!」


「言うは易く行うは難しよ!」


「ああいえばこう言うなお前は!」


「初めから何もしてこなかったハルナに言われたくないわ! だいたいこっちの仕事とか家のこととかお金払うばかりで――」


「話しの論点をすり替えるじゃあねぇぞクソアマが! こっちは居候でも部屋積みでもねぇぞ、この野郎が! 相手を不快にさせないのがマナーの本質だろ! てめぇこそマナー違反だろうが!」


 どうせあれよね?

 立ち止まっている間に後ろから来た人に追い抜かれる。

 追い抜かれるのが嫌ならさっさと歩けって言いたいのでしょ?

 嫌よ面倒くさい。

 別に追い抜かれても良いからずっと立ち止まっているんじゃない。

 立ち止まっているのが許されてきたのじゃない。

 それが今更になって、立ち止まんないで歩き出してほしいって。


「わたしはもう、自分がどうやって歩くのか、歩いていたのかすら忘れているのよ! 無理に決まっているじゃない!」


「なら今から歩けよ! 忘れたんなら歩けよ! 人間時代と、ダークエルフ時代の、寿命の違いが生んだ歪みだろ! なに心の筋肉衰えさせてんだよ! まだ車いす使うには早いだろうが! 杖使って歩いている分、老人の方が活躍してるわ!」


「嫌よ、疲れるじゃない! 感情論と説教は今の時代嫌われるわよ?」


「お前が一番感情的に動いてんだろうが!」


「誰だって安らぎの声とか辛いこととか嫌じゃない? 安らぎの声を掛けられたいじゃない? 頑張ってとか、仕事終わったの? とか言われたら萎えるじゃない!」


「癒し系ASMRにケチつけるヒキニートか! ああもういいわ。口を開くな。というか塞ぐわ」


 ハルナはわたしの口に手のひらを被せてくる。

 なんとか取り外そうとしても、ハルナの力が強くて難しい。

 ミリアは何か怯えた目でわたしを見てくる。

 半分悪いのは認めるけど、もう半分はハルナよハルナ。

 いくつかは冗談で言ったのに。

 

 ……けどそうよね。

 わたしはわたし。

 今のまま、逃げ続けても良いと思うのよね。

 でも今日だけはそれが許されないのよね。

 仕方ないとかじゃないわ。

 今日だけはやらなければいけない日なのよね。

 わたしはハルナの手首から手を放す。

 そしてすぐにハルナの首に腕を回してわたしの元に引き寄せる。


「はっ、急になんだ!?」


 手のひらが少しずれた瞬間、わたしはハルナの耳元で囁きかける。


「ありがとね」


「……いや、無理。全然ときめかなかったわ。前後のせいでまったくと言っていいほど無理だわ。無理無理無理、吐き気する。吐いていいか?」


「……ハルナも神装持ちよね。じゃあその身体の神装、鍛えてやるわ!」


「てめぇ如きに負けるかレベル1の色欲褐色種族が! ダークエルフの女の子は非常にそそられるが、お前とメンマは論外だわ!」


 わたしはカグツチを放出しながら、ハルナを抑え付けにかかった。

 ハルナは神装をだしているのかどうか分からないけど、わたしの手や腕を抑えて全力で抵抗してくる。

 取っ組み合いを始めるわたしたちに、ミリアが乾いた笑みを浮かべながら一言零した。


「仲良いわねぇ」


 喧嘩をしているようで、ただのじゃれ合いにしか見えていなかったのでしょうね。

 それにわたしもハルナも何も言わなかった。

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