思い出を思い返す時間なんて無いわ。思い出があればの話だけど


 安定、無難ともいえる人生。

 苦難やら災難やら波乱万丈から避けて、長いものに巻かれたままわたしは生きていた。

 常に周囲が喜ぶよう動いて、どこかのグループから外されないように立ち回っていた。

 強いものに従って、弱者にならないよう行動する。

 虐めに発展しそうになれば、それとなくやんわりと止めようと動いたこともあった。

 わたしは社会の爪弾きが起こした過去の事件を学び、そうならないように立ち回ってきた。

 必死に周りと合わせていくことを学び続けた。

 それが必ず、将来に役立つと信じて。


 最も、将来の理想なんて無かったのだけど。


 高校生活がそろそろ終わりそうになって、就職か進学かを選ぶ時期になった。

 その頃は多分、やりたいことを探すために進学したと思う。

 けれど理想も夢もないわたしが、何をやったところで上手くいくはずも無く。

 世間にあまり知られていない中小企業に就職していた。


 多くの者が夢を持つ。

 多くの者がスタートに立つ。

 多くの者が挫折を味わう。

 そして一握りの者だけが夢を叶えられる。


 わたしはスタートラインにすら立てなかった。

 その結果が無難と安定、ごく平凡な生活を享受する日常。

 仕事が終われば第一声が疲れた。

 飲み会があれば、最初に帰りたいと考える。

 月曜日が始まれば憂鬱になって。土曜日を迎えてもやることがない。


 そんな思い入れのない人生だからだろう。

 わたしはわたしの名前をとっくに忘れてしまった。

 あくまでわたしの名前は、わたし自身を指す言葉でしかなくなっていた。


 そんな日常を続けていると、ふと思ったのである。

 自分の人生はこのままでいいのか、って。

 自分で自分を誇れるような存在に成れなくて。

 それで本当に良いのかって。

 

 転職でもしようかと悩んでいたわたしの前で、子どもが車道に飛び出した。

 本当に一瞬の出来事だった。

 足は勝手に動いていた。

 見たことも無い、聞いたことも無い、すぐそこにいる置物のような存在に。

 身体が勝手に反応した。

 手は子どもを突き飛ばした。

 車の眩い照明が全身を突き刺した。

 何も思考ができなかった。

 行き場を失った手が戻ってくる。

 音は無く、強い衝撃が走った。

 痛みはなかった。

 走馬灯なんてものも無かった。

 意識は闇の中へ。

 ただ、夢の中へ自然と溶け込んでいくかのように。


 わたしは死んだ。


 そして産み落とされた、ダークエルフの女の子として。

 出会った神様っぽい存在からカグツチを貰って。

 けれどこの世界は日本じゃない。

 常に魔物の脅威に脅かされている。

 安全な場所などどこにもない。

 わたしが前世で活かしてきた技術も、パソコンなどないこの世界では何の役にも立たず。

 

 すっかり逃げることが癖になっていたわたしが、カグツチを貰ったところで何もできなかった。

 けれど不思議と居心地は良かった。

 百年間。空白の、何もない時期。

 テレビやら世間の動きやらない、ほとんど密閉された世界。

 ここでは日々大きく変化する、荒波のような世間に順応していく必要が無かった。

 スマホやパソコン、テレビを使って随一世間の動きを見る必要が無かった。

 カグツチを使うような危機が訪れることも無かった。


 気づけば百年の年月が経っていた。


 それでもわたしはただ、今の生活だけを享受していたい。

 何もない、変化もない、わたしがわたしであると認識した時から変わらない世界に、ずっと居続けていたい。

 わたしがこの世界に産み落とされたと同時に、世界に対して興味も関心も失った。

 そんなことをわたしは簡潔にミリアに話していった。


 ミリアはわたしの前世での一生を聞き終えた最初の反応は、


「空っぽなのね、あんた」


 なんてことのない、透明なグラスに向かって言うような言葉だった。


「本人が良いならそれで良いんじゃないのか?」


 いつの間にか復活を遂げていたハルナはそんな風に言ってくる。


「そうかもね」


 わたしはミリアの言葉にそれだけ返す。

 分かってくれなんて言わない。

 ミリアはまだ若い。

 わたしに出来るのはひとつの人生観を伝えることだけ。

 ミリアは鼻を鳴らした。


「私は嫌よ。やりたいことをやりたい! 世界だって見てみたい! こんなのにも広がっているんだから! だから私は、ガーリックの奴もターメリックの奴も倒せるくらい強くなるんだから!」


「そっか」


「けどそうね。あんたが社会を大切にしていることだけはよく分かったわ」


 社会を大切にしているというわけではないのだけどね。

 純粋に人として、最低限のマナーというか知識を身に着けておくべきって話。


「こいつは行き過ぎて社畜に足突っ込んでいるがな!」


 ハルナ、うるさい。

 もう少し早くに転職を考えていれば、結果はまた変わったのかしらね。

 転職先が今より高待遇なのか。

 転職するとしても職に就くとこまで行けるのだろうか?

 何より職に就けなかったとして、お金の心配もしなきゃいけない。

 辞めるに辞められなかったのよね、仕事。

 一から友人関係をまた広めていくのも辛かったし。


 身体を洗い終えたわたしはミリアとハルナにちょっと詰めてもらって、その隣にゆっくりと腰を下ろす。

 浴槽も三人入ればぎゅうぎゅう詰めで。

 足を曲げないと満足に身体を動かすことができないほどであった。

 ミリアは天井を見上げる。


「周りと馴染んでいく、ね」


 ミリアは反芻するかのように言葉を紡ぐ。

 そういう意味で考えると、ダークエルフに生まれたのは良かった。

 この種族、細かいことあんまり気にしないから。

 気にする性格だったら、狩りの時ミリアを入れなかっただろうしね。

 その前にハルナを入れることは無いだろう。

 ゾンビだし。


「そういえばあんたのその赤い紋様。消えないのね」


 ミリアはわたしのお腹に入れられた赤い紋様を手のひらで撫でてくる。

 少しくすぐったい。

 時刻は深夜を過ぎていて、わたしはもう眠いのに、まだまだ元気そうである。

 一体どこからそんな力が湧き出てくるのかしらね。


「確かメンマちゃんとかも入れてるよな。股関節近くの太ももと二の腕に」


「百歳になった誕生日に、親から入れてもらうものなの。魅力のひとつだから、簡単には落ちない塗料を使い、さらにその上から魔法で固定しているわ」


「それにしたってお前らのは淫紋か、やった数にしか見えねぇわ」


「失礼ね。メンマの場合は本人の希望。わたしのは……娯楽少ないから田舎って」


「マジみたいに聞こえるから止めろ!」


「メンマ、まだ百二十代よ? 人間の年齢にして十二歳。ちなみにわたしは百四十代で十四歳」


「ただのマセガキじゃねぇか!」


「ダークエルフだと別に珍しくないわ。五十歳超えたあたりから、子どもも大人も男女関係なく野外だろうと屋内だろうとハッスルするわ」


「登場する人物はみんな十八歳を超えていますじゃねぇんだよ!」


 どうでもいいけど、この中で一番年下なの多分ハルナなのよね。

 ミリアも多分、見た目からして百歳は超えていそう。

 でもよくよく考えてみたら、ハルナはゾンビだからわたしたちより年齢行っている可能性あるのね。


「つーかお前、性自認はどっちなんだよ!」


「多分女子だと思うわ。いつまでも前世を引き摺ったままとか未練がましいし」


「前世引き摺って社畜根性している奴が言う言葉かなぁ?」


「うるさいわねぇ」


 ハルナはいちいち細かいのよ。

 そうやってネチネチあれを言ったらこう返す。

 何が女体化は男性の心のままでいるか、男性が徐々に女性としての意識に変わっていく演出が好きよ。

 自分も女体化なのだから、自分の身体でやればいいじゃない。

 多分ハルナは、男性の心のままで居たいのだろうけど。


「ふーん」


 ミリアはミリアで遠慮なしにわたしのお腹をペタペタと触ってくる。

 それからついでにわたしの胸を手で挟んでくる。

 少し痛い。


「これ痛くないの? 出会った時から腫れているけど。ハルナもだけど」


「ぶっちゃけ痛いし重い」


「私のツタでも治らなかったし、ダークエルフって不便なのね」


 ミリアは自分とわたし、ハルナの胸を見比べて言う。

 男性時代の時は魅力的に映った巨乳だけど今は本当に重いし猫背になるし肩も凝る。

 今考えるともっとスラっとした体形に生まれたかった。

 ミリアが羨ましいよ。

 

 きっとミリアはスリムな体形で生まれることの多いエルフ族だから、近くに大きい胸の娘がいなかったのよね。

 きっとわたしやハルナ、この村の女の人みんなが奇病に掛かっていると思っているに違いないわ。

 実際、ダークエルフってみんなお胸がホルスタイン級だけど。

 ハルナすら小さい部類なのよね。

 わたしもハルナとミリアの胸を見比べ、ボソッと口にする。


「いっそ斬り落とそうかしら」


「それは無い側の台詞なんだわ」


「ナイフ振るとき揺れて邪魔なのよ」


「お前も銃を使えばいいじゃねぇかよ」


「カグツチ乗せるならナイフが良いのよ。銃よりもよっぽど効率的だわ」


「銃弾が当たらねぇだけだろ」


 なんでそれを知っているのかしらねとわたしはハルナを睨む。

 するとハルナは口を少し引きつらせて見せた。

 たまたま当たったってところかしらね。


「そうよ、銃弾が当たらないのよ。ノーコンって奴かしらね」


「そもそも女性で狩りをする人自体すくねぇじゃねぇかよ」


 わたしとメンマくらいね。

 男尊女卑、女尊男卑ってわけではないのだけど。

 お互い三大欲求が強いから。

 カグツチが便利だからって毎度狩りに繰り出されるこっちの身になってほしいわ。

 迂闊にカグツチを使ってしまったわたしが悪いのだけど。


「今度はハルナの話を聞きたい!」


 わたしの胸をしばらく弄んでいたミリアは、次第にハルナへと興味が移っていった。

 わたしはあんたなのに、ハルナはハルナなのね。

 ハルナは突然振られたのにも関わらず、時刻が夜だからか二つ返事で承諾していた。


 そうしてハルナが語りだすは、わたしよりも遥かに濃密な人生だった。

 ハルナが死んだのは高校生の頃。

 けれど、この世界に来てからはあまりある冒険の数々。

 ミリアは飛び出てくる話に、釣り餌に食いつく魚のようにまんまと引っ掛かっていた。

 元々ミリアはハルナ側。

 ミリアが見たい世界を見てきた側。

 わたしよりもハルナの話に夢中となるのは火を見るよりも明らかと言えた。

 まだまだ話の途中だというのに、ハルナの濃密な語りに耐えられなかったのだろう。

 次第にうつらうつらと船を漕ぎ始めた。

 それでもハルナの話を聞こうと、意識を保とうとしていた。

 けどおもむろにわたしの胸に顔を埋め、そのまま寝息を立て始める。


 その寝顔は非常に安らかなもので。

 やっぱり子どもは子どもだよねと思いながら、わたしはハルナに目を送る。

 日の出はまだ上がらない。

 少しでも睡眠時間を増やすためにわたしはミリアの身体を拭いて、服を着させてベッドまで運ぶ。


「じゃあお休み」


「夜! まだまだ夜はこれからだぞ!」


 うるさいハルナを放っておく。

 わたしも早く眠ろうと床に寝転がろうとすると、ミリアが寝ぼけたままわたしとハルナの服を掴んでいた。

 力が入っているのか細かに奮えて。

 ……いっか、面倒くさい。

 わたしはミリアの手をそのままにしてベッドに入り込む。

 月明かりの照らす夜。

 突き立て窓から入り込んでくる風は、ほんのちょっぴり寒くて。

 わたしはもっと毛布の中に入れるよう、自然とミリアの身体を抱き寄せていた。

 

 そうして迎えた次の日の朝。

 なんでか知らないけどミリアはわたしとハルナの前で仁王立ちしていた。

 ベッドに立ったミリアは宣言する。


「やってやるわ! わたし、ダークエルフと仲良くなって見せるわ!」

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