第265話 時雨 対 霧雨 ①

 風が暴れていた。

 2人の大天狗の発する威圧感が空気を圧縮しているような錯覚すら覚える。


「あぁ、良かった」


 天狗の頭領、時雨は目を閉じて、感慨に浸る。

 彼女は口元を緩め、穏やかな表情で目の前の幸福を噛み締めた。


「何を言っている? 」


 老天狗の霧雨は訝しんだような目で、彼女を見た。


「あの時は、莉子様達に手伝って頂きましたから。あなただけは、私の力だけで殺したいと思ってたんです」


 温和で穏やか。温厚という字が天狗の体を纏っているような時雨が、明確な殺意を相手に向けていた。


「ふん! 大口を叩きおって! 」

「あの時はまだ、迷いがありました」

「ん? 」


 霧雨は自分の右腕に違和感を覚え、恐る恐るそちらに目をやる。

 遅れて、ぼとりと何かが彼の体からこぼれた。次いで見えたのは、赤く染まった腕と下にある血溜まり。


「ぬおお! 」


 霧雨の腕は切断されていた。時雨が放った、風の刃によって。


「ここには天狗も、人もおりません。壊れた街は、また建て直せばいい。私のような者でも、それならばお役に立てるでしょう」


 百戦錬磨の老天狗の足が1歩下がる。

 霧雨は改めて、目の前に立つ妖怪が大妖怪であること。そして、天狗の頭領であり、自分とは格の違う存在だということを認識した。


「霧雨、もう遠慮はしません。天狗の頭領たる私が、責任を持って、あなたを殺します」


 霧雨の眉間に皺が寄る。血管がはち切れんばかりに全身の血流が加速し、彼の憤りを伝えた。


「ぬけぬけと⋯⋯!? 」


 彼が治癒術で腕を再生した、その刹那。

 一瞬のうちに眼前に迫った時雨に、彼は対応できなかった。

 何も出来ず、何も分からないままに蹴り飛ばされ、いつの間にか空中にいた。


 ――なんだ、何をされた!? 吹き飛ばされたのか!?


 くるりと体を反転させ体勢を立て直した時には、天狗の頭領は視界から消えていた。


「どこにいった! 」

「“かまいたち”」

「上か!? 」


 視線を向けた時には、風の刃が眼前に迫っていた。

 手足が切り刻まれ、自分の血が真っ青な空に彩りをもたらすのがハッキリ分かった。


「くっ、舐めるな――」

「遅い」


 声を発した瞬間には、背後に時雨が回っていた。

 彼の頭を掴み、地上へ押し付けるように急降下して叩きつける。


「若輩と侮るのは構いませんが、私とて妖怪の頭領の1人です。あなたは所詮、少し他より力が強いというだけの凡百の妖怪。身の程をわきまえなさい」


 ――馬鹿な! 前はこれ程の力量差は無かったはず!


 周りに気を配る必要もなく、迷いもない。

 今の彼女は、自分の思うがままに力を振るえた。天狗の頭領、最強の天狗としての力を。


「この、小娘がぁ! 」


 霧雨が時雨を振り解き、腕を振るう。風の斬撃が時雨の背後のビルを4つほど切り裂いたが、彼女にはなんのダメージも無い。

 彼女は霧雨の頭の上にいるのだから。


 ――速度が、違いすぎる!


 彼の頭を踏みつけて、地面に挟んでグリグリと擦り付ける。


「私はしばしば、妖怪らしくないと言われます」


 次は霧雨の腹を蹴り上げ、浮き上がった彼の首を掴む。


「平穏を好み争いを嫌う。力ではなく調和を持って里を治める、ある意味では軟弱者だと。でも私、これでもしっかり妖怪なんですよ? 」


 そして、その腹を逆手の拳で突いた。

 吐いた血が彼女の顔を汚す。


「何も気にせずに滅茶苦茶にしていいって言われると、どうしても、ワクワクしてしまうんです」


 妖怪としての本能が脈動し、時雨の体を満たしていく。

 心臓の律動が、その興奮を伝達していた。


「誰に戦いを挑んだのか⋯⋯たっぷりと思い知らせて差し上げます」


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