第264話 キャシー、香月芙蓉 対 安倍晴明 ④

「“十二天将 白虎”! 」


 200メートルはあった芙蓉と晴明の距離が瞬時に縮まり、彼女の腹に掌底が打ち込まれた。手が体に触れると同時に、高出力の霊力が流れ込んだ。


 体をくの字に折り曲げ、口から赤を吐き出しながらビルに激突し、そのまま3つほどを貫いたところで芙蓉はようやく体勢を立て直す。


「“妖鳴波”! 」


 キャシーが口を開き、妖力の光線が晴明に向かう。

 彼は前と同じようにそちらに右手を向けて、式神の力を行使した。


「“十二天将 六合”」

「“霊慧弾”」


 しかし、その右手を芙蓉の弾丸が貫いた。

 瞬間、式神の力は消え失せて光線が直撃する。

 体の右半身部を失った晴明は、再び式神の力を使った。


「“十二天将 朱雀すざく”」


 真紅の炎が破壊された体を包み込み、1秒も経たないうちに消える。

 彼の半身は、元に戻っていた。


「“十二天将 天空”」


 次に彼は柏手を1つ叩いた。

 晴明から噴き出すように、白い霧が辺り一帯を包み込み、伸ばした腕すら見えないほどの白が、芙蓉とキャシーの視界を奪った。


「どこ行った! 」

「“十二天将 青龍”」


 晴明は前が見えなくなった芙蓉の背後に回り込んだ。

 そして、彼女背に手をかざす。

 式神の力を呼び起こした途端、巨大な顎に体を噛み砕かれたように、大きな歯型を残して彼女の腹がえぐれた。


「ああああああ!! がっ! 」


 今度は絶叫する芙蓉の顎を掴む。

 強く握りしめられ、声も出せない。


「“十二天将 勾陳こうちん”」


 またしても式神の力を使う。

 次にその力が向かう先は、芙蓉の体の内部だ。


「っ! がぼっ! ごぼっ! 」


 足をバタつかせながら彼女は悶えた。

 蛇に噛まれるような激痛が、内臓からやってくる。体に流し込まれた式神の力が、彼女の臓物を食い散らかしていた。


 ――しまった……、肺が……。


 肺が潰されたことで、大声を出してキャシーに場所を知らせることができない。


 ――だったら……!


 芙蓉の蹴りが晴明の腹を叩いた。


「がはっ! 」


 彼は声を出して悶えた。

 最初に彼女が出した絶叫で、霧の中でも大方の位置をキャシーは掴んでいるはずだ。

 それに加えて、晴明の声で細かい場所も把握できる。


「うおおお! 」


 キャシーの渾身の体当たりが命中し、芙蓉は解放された。

 自由になった彼女は1発、2発と『霊慧弾』を発射し、それを晴明に当てる。

 霧は晴れ、体の内側を食い荒らしていた式神も消えた。


「げほっ! がほっ! 」


 だが傷は大きい。

 治癒術では間に合わないほどのダメージが、彼女には蓄積していた。


「芙蓉、いける? 」


 サムズアップでそれに応えた。


「“十二天将 太裳だいじょう”、“十二天将 貴人”」


 光が男の体を包む。


 ――また、式神か。くそっ、消費した霊力が回復しやがった。


「“十二天将 白虎”! 」

「っ!! 」


 猛スピードで突撃してくる晴明を、キャシーが受け止め、その隙に芙蓉が『弾』を2発、発射した。


「“十二天将 玄武”」


 芙蓉の狙いは百発百中。外すことはないはずだった。

 しかし、弾丸は途中で軌道を変えて、キャシーの顔面に当たった。


「終わりです! 」


 顔面に迫る掌底。

 絶望的な状況だが、現代の術師の顔には、微笑があった。


「がっ! 」


 晴明の腹を、キャシーの顎が噛む。


「まだ生きて……、!? 」


 伝説の霊術師として知られる男は、自分の心臓が跳ねるのを感じた。

 強烈な激痛が、胸と頭を刺し貫く。


「こ、これは……」

「私がさっき撃ったのは、“霊慧弾”だけじゃない……」

「まさか、この化け猫に当てたのは、わざとか! 」


 キャシーの顔面に命中した弾丸は、彼の口の中で咥えられていた。

 今しがた噛み付いた腹から、芙蓉が銃弾を操作して晴明の肉体の内側で弾丸を暴れさせたのだ。

 式神を破壊する、『霊慧弾』と人間の体を破壊する通常の弾丸だ。


 伝説の術師の心臓と脳は、破壊し尽くされた。


「あんまり、舐めんなよ……」

「……見事」


 ふっと彼の意識が消え、空から地面に落ちていった。


 ***


 ――あぁ、これヤバいやつだ。


 安倍晴明を倒してすぐ、芙蓉の体は限界を迎えた。

 キャシーの叫び声も、よくは聞こえなかった。


 ――私が死んだら、朝水あいつ、泣いてくれるかな。


 彼女はゆっくりと目を閉じた。

 メガネがよく似合う、おさげ髪の友を思い出しながら。


 ***


「ん? あれ? 」

「……」


 死んだと思っていた。

 しかし、芙蓉はまた目を覚ます。意識を失う寸前まで思い浮かべていた人の、腕の中で。


「朝水……? 」

「心配、させないで、よ」


 しゃくりあげながら彼女をきつく抱擁する朝水は、また一層に腕に力を込めた。


「治して、くれたのか? 」

「当たり前、でしょ。ひっ、私が、いる限り、芙蓉さんは、死なせません」


 泣いてくれるか。

 死を覚悟した時に、唯一の心配事だった。

 しかし、これを見ればその答えは自明であろう。

 芙蓉は抱擁を相手に返した。


「芙蓉さん……」

「なんだ? 」


 朝水は1度、彼女から離れて顔を見せた。

 涙でぐちゃぐちゃになった目が、どうしようもなく綺麗に見えた。


「大好き、です……。いなく、ならないで……、ずっと、そばに居てください……」


 ふふっと微笑んだ後、芙蓉は朝水とおでこ同士をくっつけた。


「言われなくても、離れてやんない」


「あー、僕はお邪魔みたいだから先行くね」


 泣きながら笑う朝水と、その涙を拭う芙蓉を残して、キャシーは気まずそうにその場を離れた。

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