第244話 西園寺葵 対 ??? ①

 葵の額には皺が刻まれる。

 しかめた顔から滲む怒りが、恩人の姿をした妖へと注がれ、拳を固くした。


「“百重ももえ結界 げき式”」


 100にも重なった結界を圧縮し、万物を貫く槍を形成した。

 結界は目に見えない。透明な巨大槍は放たれた瞬間に妖怪の胸を貫いた。轟く悲鳴と、吹き出す鮮血。

 それは、葵の動揺を誘うものであった。


「ぎ、ああああああああ!! 」

「っ!! 」


 彼女は頭を振って思考を正す。

 もしかしたら、などという甘い空想を取り払おうと、必死に目の前の敵に立ち向かった。


 妖怪の声は、正しく一条夜子のものである。遺伝情報を真似たのだから当然であろうが、それが眼前の人間にとっては、どんな幻惑術よりも効果があるものであると、妖怪は理解していた。


「その声で、わめくなよ! 」


 霊力で刀身を強化した、短刀による刺突。

 偽物の夜子の腹部を貫き、暖かい血が葵の手にかかった。

 そう、血が通っている、生きた人間のそれだ。


「っ! 違う! 違う! お前は違う! 」


 取り払おうとした空想は、しつこく彼女の頭を侵した。

 人間が動揺していることを察知した妖怪は、心の中で静かにほくそ笑む。


「痛、いよ……葵ちゃん……」


 二度と聞くことは無いであろうと思っていた、葵の脳に刻み込まれた声。

 それは、短刀を握る彼女の手から握力を奪い去った。

 カタリと地面に落ちた刀の音が、彼女を我に返す。


 慌ててそれを拾おうとした葵の腹に、妖力で強化された蹴りが、もろに入る。


「がっ、はっ! 」


 人間のものでは無い。圧倒的な脚力。

 彼女の体はサッカーボールのように吹き飛び、鉄筋コンクリートのビルに叩きつけられた。


 バラバラと崩れるビルの下敷きになる彼女を見て、妖怪はさぞ愉快そうに笑った。


「ひゃは! ひゃははははは!! 」


 だが葵は死んではいない。

 霊力で強化した肉体には、あれしきでは致命傷にはならなかった。

 瓦礫を跳ね除けて、彼女は鋭い眼光を妖怪に送ってやる。


 ――治癒術に使う分の霊力は勿体ない……。これぐらいだったら治さない方が良いか。


 若くはあるが豊富な戦闘経験で培ってきた討魔官の勘が、対峙している妖怪が一筋縄ではいかない相手であると、そう認識した。

 遺伝情報のコピーだけではなく、単純な戦闘能力が高いタイプの妖怪だと、葵は分析を進める。


 ――夜子さんの体をコピーしたのは、私を混乱させるため? いや、それ以外にもある……か。


 慎重な思考とは裏腹に、彼女の足には力が込もる。

 頭はクールに状況を解析しているが、その肉体は怒りというパワーに突き動かされていた。


 自然な無駄のない動きで、彼女は強く踏み出す。

 コンクリートが陥没するほどの強い踏み込みは、その力の全てを彼女の拳に伝えた。


「“百重結界 結”」


 生み出した結界は、守るためにあらず。

 葵の拳に多重の結界が構築され、厚い鋼鉄のグローブのようにパンチを強化した。

 圧倒的なスピードとパワー。妖怪は反応できておらず、未だに棒立ちのまま。


 ――当たった!


 彼女はそう確信した。

 しかし、その腕はくうを切り、衝撃は誰も居ないビルを破壊するだけだった。


「なっ! 今……! 」

「かはぁ! 」


 力が入った、全力の拳が葵の顔に入る。


「がっ! 」


 何とか踏ん張り、その場に留まる。

 鼻から噴き出すように垂れる血が、白い巫女服に赤い刺繍を入れた。


「こいつ、まさか……」


 妖怪が真似たのは、遺伝情報だけではなかった。

 その肉体に刻み込まれた、その者の霊力と霊術。そしてその特性。その全てが、奴の手中にあったのだ。


 ――未来を、見通せるのか……!


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