第240話 生みの親
住宅街にぽつりと建つなんの変哲もない一軒家。
そこは、私が昔住んでいた、忌々しいあの場所だ。
「はぁ、思い出したくないわね」
「莉子ちゃん、大丈夫? 」
葵が心配そうに私の顔を覗き込む。
彼女には、私の全てを打ち明けた。虐待されていたことも、お母さんとは血が繋がっていないことも。
あの人……私の生みの親はまだここに住んでいる。
――本当に、ここにあるの?
『九条家の秘宝? 』
『えぇ。多分、莉子の生みの親が持っているはずよ』
神野に対する切り札になりうる九条家の秘宝。お母さんが教えてくれたそれを、私は回収しに来た。
「空亡。記憶を戻して」
空亡は何も言わず、家の中にいるであろう人物に術をかけた。
あの時青目の空亡によって、この街の人間からは私の記憶が消されている。一から説明するのも面倒なので、あの人の記憶だけは元に戻しておこうと思った。
「よし。終わったぞ」
大きく息を吸い込んで、インターフォンを押す。反応はない。もう一度押す。反応は無い。ドアノブに手をかけてゆっくりと回した。
鍵が開いている。
薄暗い家の中には物が散乱しており、争った形跡がある。
そして何より目につくのは、壁についた大量の血痕。既に乾いており、かなり前についたものだと分かる。
そして鼻に来るのは、明らかな腐乱臭。
葵と空亡と目を見合せて、靴を履いたまま急いで中に入った。
「ねぇ、母さん! いないの! 私よ! 莉子! 」
大声を出しても、一切の反応が無い。
リビングを抜けて、キッチンへ向かう。洗い物をする台の影から、人間の足が見えていた。
駆け寄ると、あの人がそこに倒れていた。
「母、さん……」
葵達もそばに来て、私の生みの親の死体を見た。
もう腐敗が進んでいて、顔の半分は腐り落ちている。
「神野の方が早かったか……」
空亡が舌打ちをして、ウロウロとリビングを見渡した。
「母、さん」
分からない。
特段、この人に思い入れなど無かった。私を虐待した、憎い相手だ。
別に今も、悲しみなんて感じていない。それでも、彼女の亡骸に私は手を伸ばした。
まだ腐っていない右頬をさすって、体をなぞっていくと、もう体温が無くなった、物と化した人間の冷たさが伝わってくる。
やがて私の指は、彼女の左手へ。
手の平を通って、指先に到達する。
そして彼女がいつも肌身離さず身につけていた、結婚指輪に触れた時だった。
強烈な閃光を放って、指輪がどんどん形を変えていく。
「なっ、なに!? 」
「これは……封印術の1種だね」
葵が興味深そうに光を直視して言う。
やがて指輪は形を変えて、1本の短刀になった。
「……多分、莉子ちゃんの霊力に反応するように、この人が封印したんだと思う。凄く強い封印だから、多分本人にも解けないよ。この人も、霊術師だったんだ……」
「俺も、こんな封印術は見た事が無い。限りなく特殊な術だ」
「じゃあ、もしかしてこれが……」
葵は深く頷いた。
「神野の手下も、これじゃあ見つけようが無い。霊力も感じるし、間違いなくこれが秘宝だと思う」
「母さん、なんでそんなことを……」
なんで、私にだけ解除できるような封印をしたのだろうか。
自分を捨てた神野への恨みのために、いつか彼を殺せるようにしたのか。いや。それなら自分で解除できるよう設定するはずだ。
「もう、聞けないか」
彼女の真意は、彼女にしか分からない。
私は苦しそうに見開いていた、母さんの目をゆっくりと閉じさせた。
「ねぇ、葵」
「なぁに? 」
「この人さ、私のことぶったり、奴隷みたいに扱ってたんだ」
思い返すのは、幼少の頃。
「でも、でもね」
あの時は、この人も私も笑っていた。
「優しい時も、あったんだ」
「……そっか」
葵が優しく私の肩を抱く。
涙は無かった。悲しみも無い。
でも、何か心にぽっかりと隙間ができたような気がした。
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