第239話 大禍

「莉子、これからどうする? 」


 討魔庁の広い控え室の真ん中で、空亡が問いかける。

 ここにいるのは、神宮奏多と葵、それから私の空亡だけだ。


 私達がまず最初にすべきことは、討魔庁及び自衛隊を臨戦態勢にすること。

 おそらくだが、神野は青目の空亡の力でかなりの数の妖怪を使役しているはずだ。全力で潰し合うことになれば、過去に類を見ないほどの体妖怪戦が各地で展開されるだろう。


 長官補佐、今は長官代理を務めている不破によれば、人員の配備などは既に完了しており、後は総理の『大禍』の宣言を待つのみだという。

 奏多と葵以外の特殲も持ち場に派遣されたし、お母さんも、今はお偉方と戦闘参加のための協議中だ。

『大禍』、内閣総理大臣によって宣言される、妖怪による未曾有の大災害を示す緊急事態宣言だ。

 全ての討魔官と自衛隊の霊力、武器の無制限使用を可能にし、自衛隊を討魔庁の権限下に置く。


 神野との約束の2ヶ月まであと1ヶ月。

 総理は奏多の手によって助け出されており、既に記者会見の準備を行っている。

 そこで神野達のことを世間に明かし、大禍を宣言する予定だ。


「ぬらりひょんは帰っちゃったし、残りは沙羅に期待するしかないわね」


 沙羅は自分にできることをする、と言って芙蓉とどこかへ行ってしまった。

 できることは全てやった。それでも胸に取り付く不安をよそに時間は進んでいき、あっという間に記者会見の時間になった所で、突如としてドアが開け放たれた。

 白髪混じりの禿げた頭を乱して、長官代理の不破哲人が慌てて部屋に入ってきたのだ。


「ちょっと、どうしたの? 」

「そ、それが、アメリカの国防長官が来て……」

「アメリカの? 何をしに? 」


 奏多が目を点にして質問した。

 ゴクリと生唾を飲み込んでから不破はこたえる。


「日本に対する、核攻撃の通達を……」

「はぁ!? 」


 ***


「君が、四条莉子さんか」

「えぇ、そうです」


 流暢な日本語だった。

 私の目の前でどっかりとソファに座る男は、アメリカの国防長官、ケビン・ウィリアムズ。

 世界一の大国の国防を担う、合衆国の要人だ。


「短刀直入に言います。日本への攻撃を中止してください」

「……君も分かっているはずだ。妖怪というものを、世界がどれほど恐れているか」


 妖怪は日本にしかいない。通常兵器は彼らに対して効果が薄く、霊力を使うしかないが、その霊力を使える者も、ほぼ日本にしかいない。

 それ故に、外国は妖怪の力を恐れている。


「懸念は理解しています。でも、それは私達が……」

「何とかする、そう言いたいようだが、莉子。君の手は震えている」


 ハッとして自分の手を見ると、わずかだが小刻みに動いている。

 緊張、では無い。私は、これから来る大戦おおいくさに恐れをなしていた。


「怖いのか? 」

「……そりゃ、怖いですよ。だって、私達がしくじれば、みんな死んじゃうんですから」


 この小さな手に、この国の未来がかかっている。

 戦ってくれる仲間はいる。しかし、復活した龍神を完全に倒せるのは、その力に適合できる私だけだ。


「君は、正直になるのが下手なんだね」

「え? 」

「言いたいことは、“怖い”ではないだろ? 」


 彼の言っていることは、刹那の時間では理解することが難しかった。

 頭の中でその言葉を噛み砕いて、自分自身に投げかける。

 私が本当に求めているもの。私は、何が言いたい?


 何度も何度も問いかける内、次第に答えが見えてくる。でもそれは、とてもこの場に似つかわしくない言葉だ。


「遠慮していては、神の救いの手も掴み損ねるよ」


 ケビンのその一言が、恐る恐るながら私の口を開かせた。


「……相手は、強大です。この国の力を全て足しても、勝てるかは分かりません。だから、味方は多い方がいい。ケビンさん、


 隣で座って見ていた不破が、冷や汗を流しながら私を見る。

 攻撃を通達しに来た人間に、助けてくれなんて、馬鹿な話をしていると思う。

 でも、それが私の本当の気持ちだった。今は、誰でも、とにかく味方がたくさん欲しい。

 ケビンはニヤリと笑う。


「その言葉、待っていたよ」

「え? 」

「おい、大統領に伝えろ。核攻撃の必要は無いと」


 命令を受けた部下が、即座に部屋を飛び出していった。

 続けて、彼は私に言う。


「在日米軍、及びアメリカ太平洋艦隊は好きに使ってくれて構わない。実質的な指揮権は日本に移動する」

「え? ちょっと! 」

「霊力が無くても民間人の救助はできるし、妖怪にも、足止めくらいにはなるだろう。どうやら米軍が迷惑をかけたらしいしね。その罪滅ぼしだ」


 彼の言う迷惑とは、霊力を貫通するあの弾丸のことだろう。

 星条旗をつけた米兵も、反乱に加わっていた。


「で、でも、日本は戦場になるんですよ!? アメリカの兵士だって……」

「おや、みんな息巻いているよ。1人でも多くの命を救うとね」


 彼は立ち上がってドアに向かって歩み出す。


「まっ、待って! 」

「どうしたのかな? 」

「なんで、そこまで……」


 彼はふっ、と笑った後言った。


「好きなんだよ、この国が。それから、君のこともね、“リコ”」

「え、それ……」


 ケビンが胸ポケットから取り出したのは、キーホルダーだった。マイクを持って、ポーズを決めた、私のキーホルダー。

 そう、アイドルの時、グッズとして売り出したものだ。かなり最初期に出したもので、持っている人は古参のファンだけである。

 彼はされから振り返ることはせず、手だけを振って部屋を出ていった。


「気にしないでくれ。ただのファンだよ」


 ***


 ――くそっ! まだか!


 総理は焦っていた。

 ケビン国防長官の説得まで、何とか記者会見を引き伸ばさなければならない。

 ありもしない政策について話しているのも、もう限界だった。

 記者からの質問も無くなった頃だ。


「ケ、ケビン国防長官……」


 記者達の後ろから、にこやかに手を振る金髪の男性。

 秘書から合図が出たのは、その直後だった。


 彼は意を決したように、カメラに向き合う。


「えー、今、重大な事案が私の耳に届きました」


 ザワザワと揺れる室内。


「九条神野、という人物が、妖怪を使っての国家転覆を企てている、とのことです。烏楽での災害も、彼によるものと」


 ざわつきは一層激しくなる。


「政府は、この事案を国家存亡の危機に及ぶものであると考え、内閣総理大臣の権限をもってして、ここに、『大禍』を宣言します。討魔庁と自衛隊には、あらゆる戦闘行動の許可を。そして国民の皆様は、警察の指示に従い、速やかな避難をお願いします」


 この日、『大禍』の制度ができてから2度目の宣言が出された。

 後年、この『大禍』は歴史の1ページにこう記されることになる。


『日本史上、最大の妖怪災害』と。

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