第238話 神宮奏多

 随分寒い冬だったのを覚えている。

 クリスマスに家族全員でイルミネーションを見に行くために、父が運転する車に乗っていた。


「奏多、夕飯は何がいい? 」


 助手席に乗るお母さんが、振り返って後部座席に座る私に問う。


「えっとね、ハンバーグ! 」

「うふふ、奏多は本当ハンバーグが好きねぇ」


 毎年恒例のこのイベント。

 その年も、このまま父の方に担がれてキラキラの光を見て、レストランでご飯を食べるのだと思っていた。

 妖怪に車が襲われて、両親が食べられた所を見たのは、その3分ほど後だった。


 破壊された車を漁りながら、全身を白い体毛に覆われた巨大な猿が、父の体を手に持っている。

 平均より大きな体躯をしていた彼が、すっぽりと妖怪の手の中に納まっていた。

 ゴキッと、硬いものを握りつぶした音が響いて、父の口から赤いものが飛び出す。


 母はというと、私を庇うように抱いたまま、もう一体、同じ種類の妖怪に後ろから生きたまま体を切り開かれて、内蔵を貪られている。


「奏多、奏多、奏多」


 私の名前を呼びながら、次第に彼女の力が抜けて、少し重くなった。

 ニンマリと笑みを浮かべて、2匹の妖怪が私を見ている。父も母ももう死んでいることは、まだ11だった私にもよく分かった。


「あっ、あああ……」


 両親が殺されたのだ、ということを理解した途端、湧き上がってきた感情は、怒りだった。

 悲しみより先に、目の前のこいつらを殺さなきゃいけないと、ある種の強迫観念のようなものに体を支配され、気がついた時には、既に妖怪をすり潰していた。


 その1週間後、私は討魔庁の管理下に置かれることになった。


 ***


 真っ白な部屋の中にはベッドしかない。頭がおかしくなりそうだった。

 1ヶ月はその部屋に監禁され、食事やトイレ、睡眠は許されても、一切の外出が出来なかった。

 時々来る、白衣を来た討魔官の検査を受けて、その度に聞こえてくる、「やはり殺処分か」の声。


 私は、霊力が強すぎる。更に重力や引力、あらゆる物理法則を操作できる術に目覚めていた。

 まだ幼い私がそれほどの力を持つことを、討魔庁は恐れたのだろう。どうやら私は殺されるらしいということは、直接聞かされなくてもすぐに理解できた。


「お母さん、お父さん、どこ? 助けて、助けてよぉ……」


 死のカウントダウンが着実に行われる中、もう居ない両親には、私を救うことはできない。

 死への恐怖、突如として目覚めた力への困惑。やがて私は、『ここにいる奴らを殺して脱出しよう』、そう考えるようになった。

 本来なら固くロックされているはずの、人を殺めるという行為に、なんの嫌悪感も抱かなくなっていた。多分、やろうと思えば本当にできただろう。

 良心の呵責や倫理観といった生来の感情は、私を止めるには力不足だった。


 明日、皆殺しにする。

 そう決意してベッドに入ろうとした時、この時間には開いたことの無かったドアが、勢いよく開け放たれた。


「お、おい! 立ち入りは禁止だと……」

「夜子さんの許可は貰ったって言ってるでしょ」


 一目見た時、可愛い人だと思った。

 長いまつ毛と人形のように左右対称の顔立ち。そして、美しい金色の髪。

 ふわりと香る甘い匂いが、彼女の存在を私に知らしめた。


「おまたせ。ごめんね、こんな所に閉じ込めちゃって」


 その人は、私が妖怪を殺した時、最初に現場に来た討魔官だった。


「私の名前は、西園寺葵。君は、神宮奏多ちゃんだよね? 」

「はい……」


 私に目線を合わせて自己紹介をした彼女は、ニッコリ微笑んた後立ち上がり、私に手を伸ばした。

 天使と見紛みまごうた。光など無いのに、その手は輝いていた。救いの手だった。


「ほら、もう大丈夫だよ」


 ――あぁ、この人は、ヒーローだ。


 握ったその手は暖かく、かつての母の手を思わせた。


 力をコントロールする術を身につけ、訓練を重ね、特例で13歳で討魔官となった私は、葵さんに憧れの感情を持つようになった。


 ――葵さんみたいに、なりたい。


 シンプルな夢だ。

 見た目を葵さんに寄せるために髪を染めた。でも、外見だけじゃ彼女にはなれなかった。

 だから私は彼女になるため、努めて優しくあろうとした。あの手のように、暖かい光を誰かに与えるために――


 ***


「――ほら、もう大丈夫だよ」


 少女が手を握る。暖かい。多分、私よりも。

 彼女に、父親の、総理大臣の無事を伝えて、その手を繋いだまま、私はあなたに語る。


 ――葵さん。私、優しくなれてますか?


 伝わる少女の体温が、私のそれより高いことが、私の願いを否定しているように感じられた。


 ――私は、冷たいのかな。


 暖かくなりたい。あの人みたいに。

 その強い想いを胸にしまいこんで、私は少女を父の元へ送り届けたのだった。






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