第233話 極楽
「“幽世”! 」
放たれた幽玄神威が私に当たる寸前、空亡が自らと私の位置を入れ替えた。
「“幽玄神威”! 」
空亡同士、同じ技同士の押し合いになった。発せられる高出力の妖力は、並の者であれば近づいただけで焼き殺すだろう。
「その溜めじゃあこっちには対抗できないだろう! 」
「くそっ! があああああ! 」
青目の『幽玄神威』は今までに放ったものを合算したものだ。しかも言霊による詠唱付き。即席で発生させた空亡の『幽玄神威』では、とてもじゃないが出力が足りない。
「“
片腕に霊力を溜めて、それを限界まで練り上げて光線として撃ち出す技。
初めてやったが成功した。空亡の幽玄神威に合わせて、後ろから青目の技を押し返す。
「はっ! 無駄だ! 」
また奴の出力が上がった。2人分の力なのにこちらが押し負けている。
「亡、お前ももう分かってるだろ? 神楽はもう帰ってこない」
「っ!! 」
空亡が話しかけると、一瞬だが青目の出力が弱まり、ほんの少しだけこちらが押し返した。
「龍神の巫女はもう復活させたと言ったな? 一部を除いて」
また出力が少し弱まる。
動揺しているのだ。
「その中に、神楽もいるんじゃないか? もしあいつを生き返らせていたら、お前がアイツに従う理由は無い。いつまでも人間の式神でいるお前じゃないだろ」
「黙れ! 」
怒り任せに『幽玄神威』が巨大化していく。青目も全力で力を込めてこちらに対抗している。だが、余裕が消えたのは追い込まれている証拠でもある。
「“黄泉帰り”は相手に生き返る意志が無いと成立しない。対象が復活を拒否した場合、この術はできない」
「黙れ! 黙れ! 黙れ! 」
「それが神楽の意志だ! あいつは、お前が化け物になることを望んじゃいない! 」
「人間のままでいるなど、できるかあああああ! 」
そうか、彼は拒まれたのだ。ただ一人愛した女に。彼が差し伸べた手を、蓬莱神楽は払い除けた。
それは彼に対する愛ゆえだろう。しかし、肝心の青目の空亡、いや亡はそれを見ようとしない。
一層に勢いを強めた幽玄神威が、どんどんこちらの技を呑み込んでいく。
「俺は誰よりも強く、冷徹になる! 人間よりも、兄さんよりも! 」
「人間は、どこまでいっても人間を捨てることはできないさ」
「はっはっ! 何を言ってる! 現に人間の心を持ったままのお前より、俺の方が強く、完璧だ! 俺は化け物に成り上がったんだよ! 」
もう力が限界だ。
腕がもたない。
「人は、1人じゃない」
「なに? がああ! 」
青目の右顔が炸裂し、脳が飛び出した。
「あの、巫女か! 」
葵が最後の霊力を振り絞って、奴を攻撃したのだ。
隙が出来た。私は技を解除して、直接殴りかかっていくことにした。
「“竜骨”! 」
「くっ! 邪魔だ! 」
確かに腹に当たった。ダメージもある。
しかし青目も必死になって意識を保って、私を蹴り飛ばした。
床に叩きつけられた背中が、私の息を奪った。
「万策尽きたな」
奴が目を細める。
「いや、俺たちの勝ちだ」
空亡が笑う。
青目の体を、錆び付いた刀身が貫いた。
「かっ、はっ! これは、
青目の背後から神亡で彼を刺したのは、沙羅だった。
神亡は空亡が生み出した刀だ。膨大な妖力が込められている。それは、奴にとっても致命傷になった。
空亡の『幽玄神威』が、眩い閃光で青目を包み込んでいった。
「空亡が、最強の妖怪が、最後の一撃を、人間に託すのか……」
***
目を開くと、雲ひとつない青空が広がっていた。爽やかな風に絆されかけ、彼は戦いの最中であることを思い出し、飛び起きた。
広い広い、何も無い、草原だった。
亡は周りを見渡す。
「兄さん、莉子……」
「おや、極悪人が目覚めましたね」
鈴の音のような、落ち着いた声が彼の耳に届く。それは、どんな耽美で魅惑的な歌より、彼が聞きたいと望んでいた声だった。
絹のような長い黒髪が、風に揺れている。
「……神楽」
彼はそちらに手を伸ばし、途中で止めた。
「これは、夢か? 」
「いいえ。現実ですよ。あなたは死んだんです」
死んだ、と聞いても、彼には絶望は無かった。
「そうか。なぁ、俺のこと……」
「見損ないました」
間髪をいれず、ハッキリと彼女は口にする。
亡は自分を嘲るように笑うと、「そうか、そうか」と心底嬉しそうに空を見上げる。
「普通女を亡くしたからと言って、人間を皆殺しにしようとしませんよ」
「そうだな……。俺は、まともじゃない」
「ええそうです。きっとあなたは地獄行きは間違いありません」
亡は、そうだろう、と思った。もとより覚悟していたことだ。
きっと彼女は地獄になど行かず、極楽に行って贅沢三昧をした後、また現世に生まれ変わるのだ。彼にとっては、それが何より嬉しかった。
穢れてしまった自分と一緒にいることは、彼女にとっても良くは無い。そう思っていた。
「だから、もうしばらくしたら、一緒に行きましょう。地獄に」
「ダメだ! お前は、お前は俺とは違う! こんな化け物と一緒になど……」
「私はあなたと一緒なら、地獄に行っても、化け物になっても、怖くありません」
真っ直ぐ。嘘偽りのない視線が、亡を貫いた。目から雫が流れ出していく。
「しかし、それじゃあお前が……」
「あなたのいない極楽に行っても、意味はありません」
神楽はゆっくりと近づくと、そっと亡を抱きしめた。
「なんで……」
「どんなに見損なっても、あなたが、どんなに身を落としても。愛してる」
亡は膝から崩れ落ちて、恐る恐る、彼女の背中に手を回す。
「そこがどんな地獄でも、私はあなたと、亡と一緒にいたいんです。あなたの隣が、私にとっての極楽です」
「くっ、うあああ、ああ」
亡の口から嗚咽が漏れだした。震えた喉が、上手く言葉を吐き出させてくれない。
そんな彼の頬に、神楽の手が触れた。
「亡さん。お疲れ様でした」
「あり、がとう、神楽……」
夫婦はしばらく抱き合って、それから心ばかりに今までの思い出を語らって、2人で旅立っていく。
地獄という名の極楽に。
***
あとがき
ここまで読んでいただいてありがとうございます。これにて、もう1人の空亡、「亡」の物語は幕を閉じます。
夫婦で地獄に落ちた、ということで、感想はそれぞれだと思います。2人のその後を書くことはありませんが、生きている時と変わらない、幸せな時間を過ごしてくれるよう私は願っています。
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