第234話 一条夜子①

 亡の死体は原型を留めてはいなかった。ぐちゃぐちゃになった命だったものを、空亡が静かに見つめている。

 今はそっとしておこうと、沙羅達の元へ行こうとした時、彼が口を開いた。


「こいつは化け物になりたがっていたが、結局最後まで人間を捨てられなかった」

「どういうこと? 」

「沙羅も、葵も、そしてお前も。誰も殺せていない。こいつにできたのは、自分で生み出した妖怪に間接的に人を襲わせることだけだ」


 思えば、お母さんも青目に直接殺されたのではなく、『降龍神楽』の副作用で死んだ。

 私を1度殺した時だって、あいつが命の還元のことを知らなかったとは思えない。

 結局、こいつも中途半端だったのだ。悪に染まることを望んでも、自分で手を下すことはできない。悪党になり損なったのだ。


「空亡」

「なんだ」

「お疲れ様」


 肉親を手にかけるのは、どんな気分なのか。私には想像もできない。

 せめて私にはできるのは、1人では無いということを彼に教えるだけだ。


 空亡は「ありがとう」と呟いて、天井に空いた穴から見える空を眺めていた。

 もう夜明けは近い。


 私も一緒になってそこを見つめていると、空から1人の影が降りてくる。


「お母さん! あいつは? 」

「ごめん。逃がした」


 ギリっと歯を食いしばった彼女の顔は、見た事ないほど怒りに満ちていた。


「夜子は!? 」

「……あっちに」


 夜子さんは今、沙羅と葵に介抱されている。空亡が先程治癒術をかけたが、少しばかりの延命にしかならないだろう。

 駆けていくお母さんについて、私も夜子さんの元へ向かった。


「夜子さん! 夜子さん! 」


 葵が顔を歪めて、涙を流しながら彼女の手を握っていた。

 ヒューヒューと横たわる夜子さんの口から空気が漏れ出す。もうもたないと、私は察した。


 ***


 私の名は、一条夜子。

 弱い霊力しか持ち合わせない、出来損ないの術師だ。私が討魔庁に入り、重宝されてきたのは、高度な占術せんじゅつのおかげ。

 でも、この力は全てを見通させてはくれなかった。


「訓練様式の変更? 」


あごひげを生やした強面の男が、怪訝そうに顔を歪める。


「はい。討魔官の損耗率は年々増加しています。損耗率を減らすためにも、優秀な人材の育成は不可欠です」


 私の出世は早かった。

 占術のこともあるし、何より名家中の名家である一条家の出身であることが大きかった。21の時には、長官補佐としての仕事を任されるようになり、こうして教育係として育成を担当している。


 これまでの討魔官の戦い方は、個人戦闘に重きを置いていた。しかし、それでは強力な妖怪に対応できない。

 私はそれの解決策として、 集団戦闘による妖怪討伐を主とした訓練様式を採用した。


「夜子さーん。訓練疲れたぁー」

「もう、香織かおりちゃん。ここは長官補佐の専用室よ? 勝手に入っちゃダメって言ってるじゃない」


 訓練の見学で顔を出すことの多い私には、こうして巫女候補の子達が甘えてくる。

 慕われているのか、舐められているのか。私は楽しいのでどっちでも良かったが、少し甘すぎるだろうか。


「あっ、そうだ。巫女服の件ありがとう! 」

「ふふっ、構わないわ。モチベーション維持のために、仕事着のデザインは重要だもの」


 少し前から増え始めた「狩衣に比べて巫女服がダサい」の声。それに応えて、デザインを一新。更に、刺繍などの独自アレンジを認めた。

 こうして不満点を解消していくことで、討魔官の募集人数を満たすことに繋がるのである。


「香織ちゃんも、あと1ヶ月で正式に巫女になれるのね」

「うん! ありがとうね、1人前にしてくれて」


 あとひと月で、初めて私が考案した訓練を受けた新人たちが正式に討魔官となる。

 教え子達の門出を嬉しく思うと同時に、少し不安でもあった。

 討魔官の死亡率は高い。彼女達が無事に定年を迎えられるかは、正直分からない。


「そんなに不安そうにしなくて大丈夫! 夜子さんの訓練を受けたんだもん! 絶対負けないから! 」


 そう言ってピースする彼女を見て、少し頬が綻ぶ。

 幼馴染の紗奈は子供が可愛くて仕方がないと言っていたが、教え子を持ってからはそれがよく分かる。


「初任務、無事に乗り越えてね」

「うん! 」


 危険が伴う仕事はどれもそうだが、最初が肝心だ。

 討魔官の死亡者のうち、初任務で死亡するものは全体の3割に上る。ここが、彼女たちにとって最初の関門だ。


 やがて時は過ぎて、香織ちゃん達は討魔官となり、そして、初任務の日がやってきた。

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