第226話 凶刃

 ジメジメした空気が肌にまとわりついてくる。夜子さんは今、この施設の地下室にいるらしい。

 葵に導かれるまま、暗い階段を降りていく。


 大きな扉を開け、室内へ。

 大量の仏像と、それに似つかわしくない神具がビッシリと並べられていた。

 壁や天井には曼荼羅まんだらが描かれ、神道と仏教の思想が混在している。


 その部屋の中心に、私達が求める人がいた。


「結局、あなたもそっちに行っちゃったのね。葵ちゃん」


 酷く無感情で、冷たい声。

 そこには、いつも優しく私を包み込んでくれた一条夜子の面影は無かった。


「夜子さん、あんな奴らに力なんて貸すのやめましょうよ。どうしてこんなこと……」


 十分な距離をとって、私は彼女に言葉を投げ掛けた。


「全ての霊術師を、救うためよ」


 フードに隠された夜子さんの表情は見えない。でも、確かにこちらを見ている視線は、常に感じていた。


「どういうこと? 」

「討魔官が1年に平均して何人死ぬか、知ってる? 」


 私は知らない。

 そんな情報、政府は公開していないから。


「およそ4000人。毎年それくらいが妖怪との戦いで死んでる。これでも、私が長官補佐になる前より、随分減ったのよ? 」

「龍神の力で、それをどうするの? 」

「龍神に龍脈を全て吸い上げてもらって、霊力や妖力の源を絶つの。この力は全部、龍脈依存だからね」


 確かに龍脈を破壊すれば妖怪も生まれなくなるか、著しく力が弱まるだろう。

 しかし、私は空亡から龍脈について聞かされていた。あれを消したら、影響を受けるのは妖怪だけでは無い。


「そんなことしたら、人間だって! 」

「えぇ、元から霊力を持っていない人間は、死ぬでしょうね」

「そこまで分かってるならなんでよ! そんなことしたら、数千人とかそんな規模じゃない! この国だって滅びかねないのよ! 」

「私はそれでも、霊術師達を救いたいのよ。私は討魔官の教育担当だからね。今まで何人も育てて1人前にし、そして死ぬところを見てきた」

「でも、夜子さんのおかげで犠牲者は格段に減ってる! 」


 それまで沈黙を保っていた葵も、必死に言葉を紡ぎだそうとしていた。


「訓練様式や部隊編成、戦闘方法の改革で年々討魔官の死亡者は減ってるでしょ! この調子ならいつかは……」

「私には、そのいつかを見る時間が無いって、分かってるでしょ? 葵ちゃん」


 刃を返すようにして反応した夜子さんの言葉に、葵は拳を固く握りしめて再び沈黙した。


「ねぇ、それってどういう……」

「ガンなの私。末期のね」


 お腹に杭を打ち込まれたような、ズドンとした衝撃を受けた。


「あと1ヶ月ってところかしら。未だに動けているはほぼ奇跡よ。その奇跡を無駄にしないために、私は動いてる」


 ――風邪じゃなかったんだ……、あの咳。


 彼女と話す度にしていた、あの咳。長引いた風邪などではない。まさにこの人は、正死の淵を彷徨い続けていたのだ。


「今よりもっと妖怪による犠牲者が少なくなって、教え子が死なずに済む世の中。そんないつかを信じて待つより、より確実な方法をとったまでよ。分かったかしら、莉子ちゃん」


 分かった。分かってしまった。

 夜子さんはもう戻ってこないだろうことを。そして、彼女を救うことなど出来ないということを。

 でも、それでも……!


「私は、あなたを諦めきれない! 」

「諦めの悪い子。誰に似たのかしら。まぁ、いいわ。だったら、お願い。ちゃん」

「沙羅……? 」


 突如背後に感じる殺気。咄嗟に身を捻った。

 だが、私の脇腹は確かに熱を感じて、そして痛みを訴えた。


 ――刺された!? 誰に!


「莉子! 」


 目の前で私を庇うようにして立ちはだかる空亡の背中越しに、血の付いた短刀を持つ彼女の姿があった。

 あの制服は……。


「沙羅、どうして」


 四条沙羅。私の妹で、かけがえのない家族だ。

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