第220話 万化の目

 カーテンが風に揺られているのが分かった。

 窓から差し込む光が瞼を突き抜けて、私の目を刺激する。

 思えば、徹夜で戦ったらのだから体が睡眠を欲するのは当然だった。

 神野達が消えた後、明菜達に『考え』を説明する暇もなく、私の意識はそこに沈んだ。


 殺風景でこじんまりとしたこの部屋は、恐らくは討魔庁の仮眠室だろう。

 立て付けの悪い軋むドアを開けて、お盆に朝食を載せた朝水が入ってきた。


「起きてましたか」

「ごめん、今後のこと話そうと思ったんだけど」

「全くです。まぁ誰かさんのせいで時間はそれなりにあるので、ご心配には及びません」


 彼女のまなこがメガネのレンズ越しにじとりとこちらを見ていた。

 それを笑って誤魔化した後、私は盆の上の食事を腹に詰め込む。


「やっぱりみんな怒ってるよね」

「……実はそうでもありません」

「え? ほんと? 」

「はい。あのまま戦っても、多分負けてましたから。食べ終わったら1階まで来てください。みんなロビーで待ってますので」


 それだけ言うと朝水は、上手く開閉しないドアを力づくで開け放って部屋を出た。


「空亡……うわ、こいつも寝てるよ」


 霊体というのは便利なものだ。日光を気にせず惰眠を貪ることができるのだから。

 なんだか、久しぶりに穏やかな朝を迎えた気がする。

 私は最後の米を口に運んだ。


 ***


「おい拓真! お前ジョーカーすり替えやがったな! 」

「芙蓉ちゃんがよそ見するのが悪いんや。はい、うちは上がり」


 世界の危機にトランプとは、なんとも呑気なものだと思う。

 それを招いたのは私ではあるが。


「あ、莉子ちゃん。食べ終わった? 」


 特殲の面子はほぼ揃っている。

 ぬらりひょんと共に総理大臣の救出に向かった奏多がいないが、彼女に任せておけばそちらは安心だろう。


「うん。それでこれからのことなんだけど……」

「2ヶ月、準備は万端にしないとね」


 茜が顎に手を当てて、何やら考えこむ。

 残った討魔庁長官補佐は不破哲人だけ。聞くところによると、もう彼には権威などなく、特殲達の指示に従うだけの人間に成り下がっているそうだ。

 大方、茜は討魔庁の部隊編成やらを考えているのだろう。


「いや、最初の行動までは2ヶ月も待たないわよ? 」

「……は? 」


 全員、目を丸くして驚いている。


「全面戦争になる前に、やることあるでしょ? 」

「なにをするん? 」

「葵を連れ戻すに決まってるじゃない」


 葵の名を口にした途端、彼女達の表情が曇り始めた。


「葵ちゃんは……」

「なに? まさか、あの子が本心から裏切ったとでも思ってるの? 」

「そんな訳ないだろ! 」


 西郷が声を荒げて反論する。


「神野のせいで、何人死んだと思ってる。葵がそんなこと望むはずがない。でもな……! 」

「だったら、助けないと」

「っ! 」

「あの子、きっと今、苦しんでるから」


 彼女は優しい。

 命懸けで私を守ってくれたし、虐げられている者に対して哀れみを持つことができる。

 そんな人間が、望まぬ殺戮の手助けをさせられているのだ。どれほどの苦しみか、はかり知ることができない。


「助けるって言っても、あの子がどこにいるのか……」

「分かるわよ。こいつならね」


 空亡の霊体化を強制的に解除する。

 寝ぼけまなこを擦りながら欠伸をする彼の背を叩いて、みんなに説明させた。


「あー、これを使う」

「これは……? 」


 彼が指を立てて印を結ぶと、何も無い空間の狭間に眼球が浮かび出す。

 何とも気味の悪い光景だが、顔を顰めながらもみんなその目を覗き込んだ。


「え、これ、葵ちゃん? 」


 目の中に映し出されたのは敵のアジトにいるであろう、葵の姿だった。


「“万化ばんか”、この前取り込んだ亡雫のおかげで顕現した、俺の能力さ」

「でも、空亡の能力だったら向こうにバレてるんじゃ……」


 悠聖が不安そうに冷や汗を流す。


「いいや、この技は知らないはずだ」

「なんで? 」

「これは封印中に俺が編み出した技だ。空亡共通の能力じゃない」


 明菜の息を飲む音が、こちらの耳にも聞こえてくる。


「これなら、葵ちゃんのところに」

「そう。あの子を助けられる」

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