第216話 特域殲魔課

 葵は短刀を抜き去った。左手で印を結びながら、右手に短刀を構えた近接戦闘に切り替えた。

 彼女は霊力を使いすぎると疲弊する。烏楽の時に目にしたことだ。あれが演技だったとは考えにくい。


 現に今、彼女の霊力出力が落ちているのが手に取るように分かる。

 短刀を振るう手にも力が入っていない。

 刃を突き立てようと真っ直ぐに振り下ろされる手を掴むと、僅かに震えていた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 息も上がって、足元も覚束無い彼女に、もはや戦う術など残されていない。

 決着はついていた。

 自暴自棄にも見えるその姿が目に痛くて、腕の中に抱きしめた。


「もうめよって」

「離して……! 私は……! 」


 彼女に伝えたかった言葉を口に出そうとした。


「葵、私ね……」


「“幽玄神威”」


 頭の上から降り注ぐ、太陽にも思えるそれは私達に着弾する前に爆発して霧散した。


「……青目の空亡! 」

「下がってろ、莉子! 」


 割って入った空亡がこちらに叫ぶ間に、葵は私の手をするりと抜けて、ふよふよと敵の方へと飛んで行った。

 夜子さんも、青目の後ろに控えていて、やってきた葵を抱き止めた後に彼を睨みつけた。


「あなた、今葵ちゃんごと……! 」

「死んだら生き返らせてやるさ」


 彼女の怒りを、青目は意に介することない。視線はずっと、自分の兄である赤目の空亡に向けられていた。


 このことは予想はできていた。だからこそ空亡を待機させていたんだ。1つ当てが外れたのは、神野の姿が見えないことだ。


「その女を早く渡せ」

「通るとでも? そんなお願いが」

「押し通すまで」


 ふっ、と2人の空亡が姿が消え、摩天楼より高い天空で拳がぶつかり合う。

 高出力の妖力がぶつかり合い、衝撃波が地上にまで押し寄せてくる。ビルのガラスは割れて、雨のように鋭い欠片が降り注いだ。


 2つの妖力は互いにせめぎ合っていたが、徐々に青目の方が優勢になっていく。

 加勢に行こうと私の意識がそちらに向いた瞬間、頭上から“あぎと”が迫り来た。

 大きな虎の口が、それまで私が立っていた道路のアスファルトを噛み砕いた。


 ――妖怪が……!


 沈黙を保っていた妖怪の群れが、スイッチを入れられたみたいに一斉に動き出した。


「まずい! このままじゃ! 」


 一般市民が危険にさらされる。そしてさらに、討魔庁の部隊が反撃をするために交戦したら、空亡の戦いに巻き込まれる。

 普通の討魔官では空亡の相手にはならない。虐殺されるだろう。


 とりあえず、目の前に現れた虎の妖怪を蹴り飛ばす。

 空亡には頼れない。これくらいは自分の力で何とかしなければならない。私はそのまま、妖怪の討滅を開始した。

 結論から言えば、この妖怪に私が負けることは無いだろう。


 しかし、街の人々は別だ。


「うわあああああ」


 男性が1人、巨大な毛むくじゃらの猿の妖怪に体を掴まれ、その口へと運び込まれる。


「くそっ! 邪魔! 」


 慌てて助けようとしても、次々へと群がる下級妖怪を払うので手一杯だった。

 妖怪の歯が、男の顔にくい込んた。


めろ! 」


 伸ばした手は空を掴む。男の元へはとても届かない。

 妖怪の顎が閉じきって、男の血が飛び出るその寸前だった。


 血が飛び出したのは、妖怪の首だった。

 男をキャッチし、私の前に降り立った人物は、くるりとこちらに振り向いた。


「久しぶりやな、莉子ちゃん」

「明菜! 」

「うちだけやないで」


 次々と妖怪を駆逐する人影は、そのどれもが私が見切った顔だった。

 敵を切り裂く影、体を撃ち抜く銃弾、キズを負うこともいとわずに突進する女。


「おい、数が多すぎないか? 影が足りねぇぞ」

「はぁ、私も回復に回ってサボる訳にはいかなそうですね。芙蓉さん、頑張ってください」

「いや、数少なくても働けよ、朝水」

「拓真、芙蓉、朝水! 」




 黒い腕が妖怪を持ち上げ、それを女が刀で真っ二つに叩き切った。


「霊力もつかな? 」

「切れたら私が戦うわよ悠聖さん」

「悠聖、茜! 」


 連絡が取れなかった、もっと言えば死んだと思っていた特殲の面々が、化け物達を瞬く間に蹂躙していく。


「葵ちゃん……」


 葵を見た明菜の目が、少し潤んだ。

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