第182話 空亡㉝ 呪い

 胸に杭が刺さっているのかと錯覚した。呼吸すら忘れる程の激痛に、冷えた汗がたらりと頬を伝う。

 神楽は膝をついた。妖怪の前で。


 巨大なカマキリの妖怪は、持ち前の鎌を彼女の左腕に振り下ろす。

 鮮血が散って、彼女を新しい痛みが襲った。


「がっ、はっ! ぐぅぅ!! 」


 それでも胸の締めつけはやまない。骨まで切り裂かれた腕は、筋肉が断裂し、動かすこともできない。

 胸を襲う痛みで治癒術もまともにかけられず、彼女はただそこでのたうち回った。


 ――これは、いったい……!?


 彼女自身、自分の身に何が起こっているのかは分からない。まとまらない思考で考えてみても、何も浮かばなかった。


 妖怪は、今度は神楽の足を切り裂いた。ギリギリで繋がってはいるが、骨も筋肉も真っ二つに引き裂かれて、少し動かしただけで千切れそうだ。

 また絶叫が響く。


 彼女の急所には、妖怪の鎌が突き立てられることは無い。楽しんでいるのだ。人間が苦しむ様を。

 まともな理性もないくせに、愉悦を楽しむ感覚だけは1人前に備わっている。


 このままではまずい、神楽がそう思っても体が弾けそうな激痛は彼女を離しはしない。

 失血も相まって既に意識は飛びかけていた。


 やがてカマキリの鎌が、生きていたもう片方の足に振り下ろされ、3度目の絶叫が彼女の喉から飛び出した時、眼前に割って入った男の姿を最後にして、神楽の意識は途絶えた。


 ***


「そうですか、病ではないのですね」


 これで11人目。

 重傷を負った彼女を救出した亡は、傷が癒えた後、腕利きの医者達に彼女を見せた。

 胸に走る激しい激痛、と聞いて真っ先に思い浮かんだのは心の臓の病である。


 夫婦となってから4年、病とは無縁であった神楽のことであるから、亡は一層に不安だった。

 しかし、医者たちから帰ってくる答えはどれも、「分からない」というものだった。

 神楽は至って冷静ではあったが、亡は気が気がでは無い。


「ご心配なさらないでください。病では無いのであれば、良かったでしょう」


 そう彼の手を握る神楽の脳裏にも、不安は過ぎる。


 ――この感じ、もしかして……。


 彼女の予想が当たっていれば、これは原因不明の奇病などでは無い。

 そして、人間の力ではおそらく治すこともできないだろう。


 やがて心配そうに彼女に寄り添う亡を、気晴らしでもしてこいと家から出して、彼女は1人ぽつんと横になる。

 慣れしたんだ自宅の、天井が彼女を見ていた。


「やはり、呪いは呪いですか」


 神は妖怪以上に気まぐれなものだ。人間の気持ちなど考えてはくれない。


「亡さんは、大丈夫でしょうか……」


 彼女が考えるのは愛する夫のことばかりだ。


 自分がいなくなったあとの、夫のこと。


 神楽の頭には今、それしか無い。


「あなたは、私などに縛られないでくださいね」



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