第180話 空亡㉛ 愛する者

 秋になって化粧をした木々達は、それぞれの色に染まった葉を施すようにして落とす。

 赤や黄色で満たされた道を、神楽と亡は静かに歩いていた。


「ごめん、なさい……」


 それまで何も言わなかった神楽だが、山道を半分ほど過ぎた辺りでようやく口を開いた。

 重く、低く、沈んでいる。


「お前が謝ることじゃないだろ」


 彼女は、別段悪事など働いていない。ただ、重い代償を払わされただけだ。


「でも、亡さんも自分の子を……」


 見たかっただろう、そう口に出そうとして、できなかった。

 罪悪感や悲嘆、様々な感情が濁流のように彼女の心を押し流し、口を開くことができない。


「聞いてくれ、神楽」


 下を向く神楽の肩をがっしりと掴んだ亡は、彼女の目を真っ直ぐに見据え、そしてひとつひとつ言葉を絞り出すようにして言う。


「俺は、幸せだ」


 神楽の頬に一雫、流れるものがあった。


「お前と一緒になれて、どうしようもなく幸せだ。代償に、明日死ぬと言われても仕方がないと思えるほど」


 亡は目線をそらさない。

 その言葉が嘘偽りない本心であると、彼女に信じてもらいたいから。


「お前が苦しんでいることは分かる。でも、俺にはその苦しみを消すことができない。だから、これだけ伝えておきたい。お前が隣に居てくれるだけで、俺は思わず踊り出しそうなほど嬉しい」


 神楽の肩を掴む両手に力がこもる。

 彼女の顔が少し歪み始めた。


「俺はお前の他に何も望まない。ただ、お前が生きていてくれれば、俺はそれだけで生涯幸せだ」


 ついに、神楽の口から嗚咽が盛れ出した。

 しゃくり上げるような泣き声が、紅葉の中に吸い込まれていく。


「で、でも、私、子供……」

「お前は、一緒に居てくれるんだろう? 」


 2人の距離が近づく。

 神楽が亡にしがみつくようにして抱きついた。

 彼を見上げるような形になる。


「ほ、本当、に、いいん、ですか? 」

「当たり前だ。こんなに美しくてできた妻を貰っておいて、これ以上に何かを望んだら、きっと罰が下る」


 亡の指の腹が、彼女の涙を拭い去った。

 風に揺られた木々が、ガヤガヤと音を立てる。

 ついに神楽は堪えきれなくなって、亡の胸に顔を埋めて声を上げて泣き始めた。


「私も、あなたと、居れて、幸せ、です」


 頭を擦り付けるように、愛しい夫にもっと近づこうとする。


「大丈夫、こんなことが気にならないほど、俺はお前を愛するから」


 亡の大きな体が、妻を包み込んだ。


 それから日が暮れるまで、2人は抱き合って、そして神楽は泣き続けた。悪いものは全部吐き出してしまおうと、必死に泣いた。


 やがて、日が沈んで月が昇った。

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