第179話 空亡㉚ 神の呪い
安倍晴明の屋敷は、思いのほか質素だった。権力者である藤原道長に仕えているのだから、かなりの大豪邸を想定していたが、どうやら空の邸宅よりも狭そうである。
庭には飾り気がなく、花などが植えられている様子もない。
兄から晴明の話を聞いた亡は、すぐさま妻を連れて彼に会おうと許可を取り付けた。
妖怪事案に関して、多大な貢献をした2人であるから無下にもできず、晴明側もすぐに了承した。
現在はこじんまりとした応接間で安倍晴明の登場を待っている。
神楽の目は泳いでいる。
お気付きなくある1点からある1点へと視線が揺れ動き、純白の手も忙しなく動き続けていた。
そんな彼女の手を、亡は優しく握った。
「大丈夫か? 」
「は、はい。ただ、やはり少し不安です」
自身の体に関して、彼女は余りにも無知だった。
先代の巫女はどこまで知っていたのか。守神の巫女について、なぜ詳しく教えてくれなかったのか、など様々な思考が頭を巡る。
脳の回転が堂々巡り になったところで、障子が開け放たれ、1人の男性が入室する。
白髪に染まった髪から、彼が相当に年齢を重ねていることが分かる。
しかし、双眸は輝きを失っておらず、顔に刻まれた皺からくる“老人”、という印象を軽減させていた。
彼は一礼をしてから神楽と亡の向かいに座り込む。
「お初にお目にかかります。安倍晴明と申します」
噂に
「要件は伺っております」
「そ、それでは……」
「結論から申し上げますと、神楽様、あなたは子を孕むことは出来ません」
心臓を杭で打たれたような痛みが、彼女を襲った。胸が握りつぶされているようだった。
「守神の巫女に宿る龍神様の加護は、“呪い”でもあります」
晴明は手に持っていた巻物を、2人の前に広げた。
神のごとく人々に敬われている龍と、人を喰らう龍が描かれていた。
「もとより神というのは人々に恵みをもたらす一方で、厄災ももたらす存在です。龍神様とて例外ではありません。龍神様の加護はあなたを守ってくれますが、それと同時に何かを奪っていくのです」
「その1つが、子を産めない体……と」
亡が呟くと、晴明は大きく頷いた。
「守神の巫女は、神の呪いを一手に引き受ける存在でもあるのです。神の災いを遠ざけるために、巫女1人にそれを集中させる。それが、守神の巫女の役目です」
「なぜそれを黙っていたんだ! 」
ぐいっと体を乗り出した亡に、晴明は伏し目がちに返した。
「申し訳ございません。本来なら、巫女の呪いについては秘匿事項でございます。管理者以外に知られてはなりません。道長様ですら、このことは知らないのですから」
道長は、神楽に亡との子供を産んで欲しいと思っていたそうだ。より強い霊術師が見られるのではないか、と。
巫女が子供を産めないことを知っていれば、そんな要望は出さないし、わざわざ彼女達を接触させるようなこともしないだろう。
「私は、巫女を置くことに疑問を感じておりました。今回、神楽様にこれをお伝えしたのも、その不満ゆえにございます」
神楽は拳を握りしめながら、顔を上げることなく言う。
「晴明様、巫女の秘密を教えていただき、感謝致します……」
亡が彼女の肩に手を置いたところで、空気を察した晴明は腰を上げた。
「ここより少し北に、紅葉の美しい森があります。お2人で行ってみてはいかがでしょう」
「……感謝する」
障子が静かに閉められ、晴明の後ろ姿は見えなくなった。
部屋からは、神楽のすすり泣く声だけが、僅かに外に漏れ出している。
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