第176話 空亡㉗ ぬらりひょん

 出羽国でわのくにに存在する、名も無き山。かつて百鬼夜行にて妖怪達を率いた大将軍、ぬらりひょんが住んでいるという。

 天まで続くかと思われる山道を登り続けると、ようやく彼の砦が見えてきた。


 簡素な作りである。

 砦というより、屋敷に近い。とてもではないが、位が高い大妖怪の住まいとは思えなかった。


「これがぬらりひょんの家か? そこらの商人の屋敷の方が立派だぞ」


 空が殺風景な庭を見つめる。

 なんの飾り気もない庭だ。寂しさすら感じる。


「あのー! 御用があって参りました! 」

「おいおい、そんな礼儀正しく……」


 神楽はまるで知人の家にでも来たかのように声を張り上げた。

 呆れた顔でそれを見つめる亡も、彼女の行動には大体察しがついており、口ほどには驚いてもいなければ諌めることもしない。


 返事は無い。


 無理やり扉を蹴り飛ばして入るか、と空が思った時、屋敷全体が青白い光に包まれた。

 やがて光が収まって、彼らの視界がはっきりとすると、彼らはいつの間にか大きな広間にポツリと佇んでいた。


 目の前には、瓢箪から浴びるようにして酒を飲んでいる老人が目につく。

 引き締まった上裸の体と、腰まである白髪に染まりきった髪。八瀬童子の証言と一致する。


「ぬらりひょん……様……」


 神楽が呟いた。


「ぷはぁー! いかにも」


 口元を手で拭い、彼は瓢箪を振った。どうやら空になったようである。


「不戦の協定、じゃな? 」


 一言、彼が言葉を発しただけで、圧倒的な迫力が神楽達を前から押した。

 今まで戦ってきた妖怪の頭領達と比べても、更に異質な力を感じた。


「は、はい……」

「良いぞ」

「は? 」


 深く皺が刻まれた顔を、少しも歪めることなく、当然のことであるようにぬらりひょんは言った。


「良いといっている。結ぼう、ちぎりを」

「え? こ、こんなあっさり? 」


 神楽は驚き、兄弟は言葉も出ない。

 3人はこれからこの大妖怪と戦うのだと、決死の覚悟を決めていた。それがガラガラと音を立てて無駄なものになっていくのを、3人共感じていた。


「儂はそれほど戦好きという訳でもない。先の百鬼夜行で存分に暴れたしな」


 ぬらりひょんは先の大戦にて、関東から集められたぜいを1人で殲滅させた。

 あの源頼光を持ってしても、勝てるかどうかは分からぬと言われたほどの強者である。それが戦が好きでは無いとは、一体どういうことだ。


「何言ってんだ? あんだけ強いのに……」

「力比べは好きじゃ。儂が嫌いなのは戦の方。有象無象を葬ったところで、何が楽しい。陣頭に立てば面倒事も多いし、こうして酒も飲めん。良い事などひとつもない」


 彼は「それに……」と続ける。


「儂が本気になれば、お主達では勝てぬ。分かるであろう? 」


 ぬらりひょんの妖力が、ほんの少しだが解放される。

 瞬間、部屋は分かたれた。


 一方は灼熱の炎に包まれ、もう一方は凍てつく氷に閉ざされた。


「っ!? これは……!」

「弱者をいたぶるのは好きでは無い。無駄に挑んでくる人間が減るのは、儂にとっても好都合。女子よ、ここは1つ、無血開城と行こうではないか」


 瞬き1つもしない内に神楽の前へと距離を詰めたぬらりひょんは、その肩に手を置いた。

 その手に触れた瞬間、神楽は理解した。


 ――勝てない、この妖怪には……。決して……。


「貴様、何を……!? 」


 狼狽える亡を手で制し、神楽はぬらりひょんに答える。


「分かりました。今後、組織だっての戦はお互いに控えましょう」


 こうして、妖怪との不戦を巡る度はあまりに呆気なく終わった。

 彼女達は、ようやく都に戻ることができたのだった。


 ――――――――――――――――――――


 あとがき


 初めての試みですが、あとがきを付けてみました。

 今回のエピソードでぬらりひょんの戦闘シーンを書こうと思いましたが、もっとインパクトのあるバトルにしたいので、彼にはもう少し後で戦ってもらうことにします。


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