第170話 空亡㉑ 筑前国へ

 九尾、天狗をくだした神楽達は、筑前国ちくぜんのくににある鬼の里へと向かった。

 既に強力な2種族が人間に破れたことで、ある程度の知性を持った妖怪達は人間を襲うことをやめている。

 河童かっぱなどはまさにそうで、彼らに尻に手を突っ込まれて殺される人間は、ここ数ヶ月見ていない。


 しかし、残った鬼は厄介な種族だ。

 戦いを好む彼らは、事ある毎に人間を襲い、霊術師と戦を繰り広げている。かの酒呑童子もそれだった。

 逆に言えば、鬼を屈服させれば人間の被害はかなり減るだろう。

 危険は伴うが、十分に価値はある。


 途中で長門国ながとのくにより舟を出してもらい、九州へ。

 随分遠くまで来たものだと、空は思った。


 山に囲まれた都に住んでいた空と亡は、海に馴染みが無い。

 今までは京の妖怪退治を主に請け負っていたため、山城やましろから出たことも無かった。

 船に揺られている最中、亡が柄にもなく気分を良くしているのを見て、神楽が微笑んでいたことを思い出す。


 どうやら、神楽のもう1つの企みは順調なようだ。


 ***


「え!? お姉さん方、鬼塚へ行くんですかい? 」


 船頭が驚いて声を上げる。舟を操作する手も思わず止まる。


「あそこは鬼に好き放題荒らされて、今は人っ子1人住んじゃいませんよ。悪いことは言いません。わざわざ鬼に食われに行くなんて、やめた方が良い」


 きっと彼は本心から3人を心配しているのだろう。実際、3人とも見た目は華奢な体格をしているため、霊術師であることが分からなければ無理もない。

 神楽など、触れば折れてしまいそうな程に細い腕と、化粧でもしているのかと思うほどに白い肌をしている。とても武術の心得があるようには見えない。


「心配ご無用です。私達は、鬼を食いに行くんですから」


 鬼を食う。その言葉に今度、船頭は声すら上げずにギョッと目を向いて彼女の方を見た。

 あんまりにおかしい光景だから、空は舟に寝そべったまま涙を浮かべて笑い転げた。


 ***


 やがて筑前にたどり着いた一行は、船頭に銭と米を送って彼を見送った後、信濃の時と同じように村人に宿を借りた。

 その村にはちょうど空き家があり、そこに寝泊まりすることになった。


「あの船頭、別れ際にこっちを拝んでたぞ」


 思い出し笑いに顔をニヤつかせながら空が言う。

 汁をたっぷりと飯にかけた亡が、これまた口元を歪ませてそれに答える。


「米を貰ったことに感謝しているのか、それとも、くくっ。俺たちがこれから死ぬと思って、祟りに合わないように祈ったか」


 彼はきっと、鬼に戦いを挑む愚か者を送ってしまったと思ったのだろう。


「20日後に、またあそこに来て欲しいと伝えてありますが、死んでると思って来てくれないかも」

「死体用の袋くらいは持ってきてくれんじゃないか」


 自分達が生きていると知った時のあの男の顔を思い浮かべると、それだけで笑えてくる。


 ***


 神楽は満たされていると思った。

 今まで手に入らなかったものが、立て続けに手の内に舞い込んでくる。


 友、信頼できる仲間、そして――。


 そこまで考えて、彼女は少し頬を夕焼け色にして、その思いをしまい込んだ。

 これを自覚するのは、旅が全て終わったあとがいい。そっちの方が感動的だ。


 神楽はゆっくりと目を閉じて、眠りについた。




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