第169話 空亡⑳ 友

 天狗の里は喧騒が支配していた。酒の匂いと天狗達の笑い声が響き渡り、囁き声など通らない。


「なんでこうなるんだ」


 全身に包帯を巻き付けた亡は、天狗達の態度に疑念を感じながらも酒を飲んでいた。


「がはは! 新しい盟友が生まれたのだ。めでたいではないか! しかもそれが人間とは、これまた珍しい。がはは! 」


 上機嫌に酒をあおる天狗の頭領零雨の体には、亡よりも多くの包帯が巻かれている。


「ふふっ、仲良くできるのは何よりじゃないですか。亡さん」


 彼の隣で上品に盃を傾ける神楽の腕は、すっかり生え揃っている。あの激戦の後、零雨の指示を受けた天狗達が総出で彼女に治癒術をかけた。

 神楽は口元に手を当てて亡に微笑む。酔っているのだろう。いつもより機嫌が良い。

 亡はまた酒をあおった。今はやけにこれが美味い。


 ***


「おい、まだ怒ってるのか」


 どんちゃん騒ぎの蚊帳の外、喧騒が遠くに聞こえる森の中で、霧雨は1人でやけ酒を飲む。

 空は何度も彼を誘っているが、いっこうに姿を見せない。


「我ら天狗が、人間と対等だと? 頭領様は気でも触れたのか」


 ずっと1人でこの調子である。

 やがて空も説得を諦めて、皆の輪の中に戻って行った。


「必ず、いつか必ず、天狗こそが最も優れていると証明してみせる」


 ***


 喧騒が静まった深夜。

 月明かりの元で、神楽は湯に浸かっていた。長い黒髪は、水に浸からないように後頭部でまとめられている。

 天狗の里に湧き出るこの温泉で、彼女は戦いの傷を癒していた。


 ――全部消えると良いのですが。


 今も彼女は自分に治癒術をかけ続けている。治癒術は傷が古くなれば古くなるほど効果が薄れていく。大きな古傷になれば、一生消えないだろう。

 もっとも、今彼女に刻まれているものは、自然に任せれば勝手に消えていく程度の大きさしかない。

 蓬莱神楽もまた、1人の女だった。肌には気を使う。


 ぱしゃぱしゃと肩にお湯をかけていると、背後から土を踏む音が聞こえた。

 妖怪か、と咄嗟に立ち上がる。


「あっ、亡さん」


 そこにいたのは、服を脱いだ亡。

 彼は驚いたようにこちらを見ていたが、すぐに顔を逸らして、居心地が悪そうに言った。


「す、すまん。出直す」

「は、はい。そうしてくれると、助かります。すぐに出ますから」


 木陰でゴソゴソと衣擦れの音が聞こえる。

 少し頬を赤くして、背後から聞こえるその音に向かって、神楽は語りかけた。


「……亡さんは、私のことを化け物だと思っていますか? 」


 返答は無い。

 ただ、布が擦れる音も、足音も止まった。彼が返答に困っている様子が伺える。

 やがて、神楽の髪から水滴が3つ落ちた頃、亡が答える。


「……強い、“女子おなご”だと思っている」

「そうですか……」


 少しだけ、彼女の口がほころんだ。


「それから、友だとも思っている」

「え? 」

「……2度も死地を共にして、友人にすらなれていなかったのか? 」

「そ、そういう訳では……、ただ……」


 拳に少し力が入った。


「今までに私の力を見た方は、皆、私に怯えていましたので」


 化け物、妖怪、鬼、様々な呼ばれ方をした。

 人間として見るものなどいなかったし、ましてや友と呼んでくれる者など皆無であった。


「お前ほど心強い友はいないさ」

「……そうですか」


 あぁ、良かった。


 二言目は、心の中で呟いた。

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