第166話 空亡⑰ 天狗の頭領

「はぁっ、はぁっ、苦労させやがる……」


 空が肩で息をするのはいつぶりであろうか。

 鬼を3人同時に相手にした時ですら、ここまで疲弊することは無かった。

 彼は自身の天狗に対する評価を変えながら、駆け寄ってくる亡と神楽に向かって腕を突き上げた。


「兄さん、無事かい? 」

「身体中が痛いが、死にはせんな」

「体から妖力が抜けたら治癒してあげましょう」


「派手にやられたな。霧雨」


 3人の背後から、腹の底に響く、地鳴りのように低い声が聞こえた。


 短い髪は白に染まっていて、細いように見える体には確かに筋肉が引き締まっている。

 やや赤い顔は、伝承で伝え聞く天狗の姿を想起させた。

 老練の天狗であった。


「親玉のお出ましか」

「今度は俺たちがやろう。兄さんは下がっててくれ」


 前へ出た亡と神楽を一瞥してから、天狗の頭領は纏っていた着物を、上半身だけ脱ぎ捨てた。


「我が名は零雨れいう。天狗の頭領を務めている。さて、余計な言葉はいらぬ。かかってこい、人の子よ」


 彼の背中にある大きな黒い翼が広がった。砂塵のように羽根が舞って、雪のように降り注ぐ。

 霧雨の翼よりもふた回りは大きいそれを、ばさばさとはためかせ、零雨は2人の攻撃を誘っていた。


「“龍掌りゅうしょう”」


 先陣を切ったのは神楽だった。

 霊力を纏わせた掌底を、零雨の腹に目掛けて繰り出した。

 しかしそれは空振りに終わって、残った衝撃波が、誰もいない地形を破壊しただけであった。


 零雨は既に亡の眼前に迫っており、亡自身もそれに反応できなかった。

 彼がようやく、自分の目の前に敵がいることを自覚した時には、天狗の蹴りが顔面に当たっていた。


 吹き飛ばされたが、何とか体勢を整える。だが、目の前にはまた零雨。

 また蹴り飛ばされ、そしてまた接近を許す。


 ――速すぎる……!


 一撃ごとの攻撃力は、それほど高くはない。しかし、次々に叩き込まれる。連撃、また連撃。亡が一発食らったと思った時には、既に3発目の攻撃が放たれている。


「“竜骨りゅうこつ”! 」


 大地にぶつかる鉄拳。土地が破壊され、丸く凹む。


「追いついてくるか、人の女! 」


 神楽の攻撃をかわした天狗は、体を回転させて、彼女の首を蹴り込む。

 だが神楽もそれは予想していた。足を掴んで地面に叩きつける。


 零雨はうめき声を上げたが、すぐに起き上がって、彼女の腹を下から蹴り上げた。

 そのままの勢いで、神楽は亡に背中からぶつかる。


「がはっ! がはっ! 」

「おい、無事か!? 」


 鳩尾を襲った衝撃に、遅れて息苦しさがやってる。口から血を吐き出しつつも、彼女はそれ手で拭って立ち上がった。


「この程度、何事も……」

「“かまいたち”」

「っ! 危ない! 」


 神楽の体に気を囚われていた亡を、風の斬撃が襲う。

 咄嗟に彼を突き飛ばした神楽の右腕から、血が噴き上がった。


 自分の肘から先が宙を飛んでいくのを、神楽は自身の目で見た。

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