第143話 呪い
茜はゆっくりと目を開けた。劇場の幕が上がるようにゆっくりと。
最初目に映ったのは、膝をついて泣きじゃくる悠聖の姿。なぜ泣いているのか、そう問おうとして手を地面につくと、生ぬるい感触が彼女の手を掴んだ。
少しどろりとしていて、粘り気のあるそれはどうやら血液のようだった。
体を見渡すと、胸元からトマトケチャップみたいに血が伝っている。
初め、自分が負傷しているのかと思ったが痛みは無い。立ち上がろうと再び手を地面について、足に力を込めると、視界の端に太い木の枝のようなものが見えた。
起き抜けで歪む視界で、ジッと目を凝らしてピントを合わせると段々とそれの正体が見えてくる。
「腕……? 」
人間の腕。肘の先から指までの一部分だけがそこに落ちていた。自分のものでは無い。彼女にはしっかりと2本の腕がついているし、落ちている腕は筋肉が発達していて、恐らく男性のものだ。
悠聖の腕も健在だ。では誰の腕だろう。今度は腕を手に取って観察する。
なぜだか、見覚えがあった。いつも触れていたような気がする。
そう、丁度あの人の腕のようだ。そういえば、どこに行ったのだろう。姿が見当たらない。
観察を続ける。盛り上がった筋肉に、厚い皮膚。指はゴツゴツと骨ばっていて逞しい。ふと、キラリと光るものを指先に認めた。
銀色に鈍く光るマリッジリング。大きなダイヤモンドがついている。かなりの高級品だ。
彼女が将竜から貰ったものと、同じデザイン。
呼吸を浅くし、唾を呑み込みながら彼女は指輪をそっと外し、裏に掘られている刻印を見る。
彼女達は、自分の指輪に相手の名前を掘っていた。どんなときも共に居れるように、という願いを込めたリングだ。
血で汚れていたが、辛うじて名前が読めた。アルファベットだ。
“AKANE”
それを見た瞬間に、記憶の濁流が彼女の脳を襲った。
裂ける肉、折れる骨。そして、口いっぱいに広がる血の味。
自分が食べている。食べている相手は――。
「いやあああああ!! そんな、そんなの!! 」
半狂乱になりながら、彼女は落ちていた刀で自分の腹を引き裂こうとする。
ハッと我に返った悠聖は、必死に彼女を抱きしめて、腕を止める。
「離して! 助けないと! 早く、出さないと! 」
「止めろ! ダメだ、茜ちゃん! 」
彼の声は茜には届かない。
今は弱まってはいるが、妖喰らいとなった彼女をそれ以上止めることは困難だった。
「ごめん、茜ちゃん」
彼女の腹に手を当て、霊力を流し込む。強い衝撃に襲われた茜は、その場で気を失った。
「……なんで、なんでだよ。タッちゃん」
失意のどん底とはこういうことだろう。頭が上手く回らず、思考がまとまらない。
次にどういう行動を起こせば良いのか分からない。
――助けてくれよ、タッちゃん。
彼の名を思った時、頬にひんやりとした感触があった。
氷のように冷たいその手には、不思議と嫌悪感が無かった。
悠聖の体を触れる腕は数を増やし、やがて彼の足を、腕を、肩を掴む。決して傷つけようとする動きでは無い。
「タッちゃん? 」
その影のように真っ黒な腕が、茜を持ち上げ、悠聖の腕の中に収めた。
「そうか。君は、僕を……呪ってくれたんだね」
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