第132話 帰還
海の底から海面に引き上げられるように、意識が浮上してきた。
よく覚えていないが、心地よい夢を見ていた気がする。
ゆっくりと瞼を開けると、真っ赤に目を泣き腫らした葵が、空亡と一緒に私を見下ろしていた。
「あお、い……? 」
「リコちゃん! リコちゃん! 私のこと分かる!? なんともない!? 」
重い身体を起こすと、服が血だらけになっているのが分かった。破れた左側の巫女服から、素肌が露出していて、少し恥ずかしくなって慌ててそれを隠した。
「私は、確か……」
死んだはず。そう思い至った時、左の頬が熱くなった。
振り抜いた葵の手が見える。はたかれたのだと理解した。
彼女は次に、私に抱きついて泣き出してしまう。
「馬鹿! リコちゃんの馬鹿! なんで、勝手に行っちゃうの……! 」
彼女が怒っている理由は、十中八九、私の自殺未遂のような行動だろう。細い体を抱きしめると、それは少し震え始めた。
「怖かった……! リコちゃんが、居なくなっちゃうかと思って、凄く怖かった! 」
「ごめんね、葵」
しゃくりあげながら腕の中で泣き続ける彼女を、私と周囲のみんなはただ黙って見ていた。
ひとしきり泣き終わると、葵は体を離して、私の目を見て言う。
「私は、リコちゃんが推しなの。リコちゃんを責める奴はどんな奴でも許さない! それが例え、リコちゃん本人でも」
私は彼女の頬に手を当てて、「ありがとう」と一言呟いた。もう少し気の利いた言葉をかけて上げたいけど、今はそれしか思いつかない。
隣で良い子にお座りしているキャシーは、さっきから何も言わない。いや、もう話せないのか。
彼の最後の言葉だけは、はっきりと覚えていた。
「空亡、ごめん……」
「説教は後でたっぷりしてやる。今はさっさと休めるところに行って作戦会議だ」
「にゃあー」
キャシーが1つ鳴く。多分、これは同意の意思表示だろう。
彼を抱き上げて、空亡の元へ歩み寄る。
「ありがとう、キャシー」
「ごめんなさい」より、「ありがとう」の方がこの子に対しては適切だと思った。
***
私達は討魔庁の支部を宿として借りていた。指名手配される中で討魔庁に乗り込むのは危険だと思ったが、もはや彼らも私なんかを気にしている場合では無いらしい。
電話口の夜子さんは私が生きていたことに驚いた様子だったが、その後快く支部に連絡を取ってくれた。
討魔官用の宿舎の一室で、私達は向かいあって話し合った。
茜達は支部の方で会議があるらしい。
「八瀬、お前は別についてこなくても良かっただろ」
「乗りかかった船だ。それに、世界が滅んじまったら元も子もねぇ」
八瀬童子は神野打倒に向けて協力すると言ってくれた。
「で、どうするの? 奴らのアジトに乗り込んで行っちゃう? 」
「奴らがどこにいるのかも定かじゃない。それに、今のままじゃ返り討ちだ」
葵の提案を空亡が一瞬で否定した。
討魔庁も、当初は神野達のアジトを突き止めたと湧いていたが、先遣隊が調査したところそこはもぬけの殻。
どこかへ姿をくらましたらしい。
『降龍神楽』も空亡には通用しなかった。今の私達では、仮に神野と会えたとしても勝てないだろう。
「なぁ、莉子が生きているってあいつらは知らないんだろ? 」
八瀬が口を開く。
「だったら、バレたらヤバくないか? また殺しにくるぞ? 」
「片割れが命の共有について知らないことは無いと思うが……。だが、あの程度で済ませて追撃してこないところを見ると、神野に伝えて無いのかもしれん」
「どういうこと? 」
空亡に問う。
2人は契約を結んだ主従だ。情報の共有をしない意味が分からない。
「神野とかいう男、片割れが嫌いなタイプの人間だ。多分折り合いが悪い」
確かに、私の空亡を見ても、彼らは一筋縄では支配できない。
神野であっても、空亡を制御するのは難しいだろう。
「……私に考えがあるんだけど」
恐る恐る手を上げる。
「このまま一旦さ、私は死んだってことにしない? 」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている一同に私は続ける。
「私が死んでいると思っているなら、向こうから来ることはないでしょ? その隙に、態勢を整えるの」
神野達が私に接触した目的は、第1は私を仲間に引き入れることだろう。
私は亡雫で、なぜか龍神の力を使える。よくは分からないが、自分の体が、奴らの計画にとって何か重要な役割を果たしていることは予想がつく。
そして、それに失敗したから仕方なく殺害した。
ということは、私が討魔庁、もしくは赤目の空亡の手にあると困ることがあるのだろう。それを突き止める。
「態勢を整えるって、どうやって」
空亡が怪訝そうに私を見つめる。
「前に読んだ、お母さんの書いた伝書に『ぬらりひょん』っていう妖怪の記述があったの。確か、全妖怪の頂点に立つ大将軍、って書かれてた。あらゆる妖怪の中で最も長生きだって。彼だったら、空亡について何か知っていると思うの」
全妖怪の頭領、『ぬらりひょん』。私は彼のもつ知恵に期待していた。
「空亡、あなたは昔のことについて記憶が曖昧なんでしょ? 」
「……そうだ」
彼は自分の秘密について語らないのではなく、語れない。覚えていないのだそうだ。
彼ら空亡について知りたいのであれば、別の手段に頼るしかない。
「ね、どう? 私は、空亡の秘密が分かれば、神野の目的も分かるような気がするの」
葵がどたどたとこちらに詰め寄って、私の手を握った。
「リコちゃん天才! 私は賛成だよ! 」
「……まぁ、そうだな。俺たちはまだ知らないことが多すぎる。なぁ、八瀬。お前はやっぱり、ここに残ってくれないか」
空亡は隣に座る八瀬に語りかけた。
「なんでだよ? 」
「福岡は、奴らの手に渡す訳には行かないだろ。ここには、菅原道真の力が眠ってる」
福岡は、討魔庁が東京、京都に次ぐ重要区画として定めている土地だ。
菅原道真の呪いは凄まじく、その力を悪用されないよう多くの討魔官がここに配属されている。
彼は、八瀬に福岡の守備を頼んだのだ。神野がもう一度ここを狙ってこないとも限らない。
「……分かったよ。ぬらりひょんの居場所は分かるのか? 」
「それは、俺が知ってる」
***
「そろそろ来るか。空亡よ」
畳の敷かれただだっ広い部屋で、1人の老人が瓢箪をあおった。
口元から垂れる酒を拭って、男はニヤリと笑う。
「久しぶりの大戦になるな。これは」
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