第130話 キャシー
「僕の体には、莉子の血が流れてる。空亡と同じようにほぼ一心同体さ。代わりには十分だろ? 」
しなやかな尾を振りながら、にこやかにキャシーは語った。
「だが、お前は……」
「僕だったらきっと死ぬこともないよ」
空亡がはっと顔を上げた。
「僕は普通の猫から妖怪になったんだ。言わば、普通の猫である僕と妖怪である僕、2つの命があるも同然。猫の方は莉子に使うには少し弱いけど、妖怪の方だったら大丈夫でしょ? 」
キャシーの状態は人間で言うならば二重人格に近い。性格、記憶などを共有しているが、化け猫としての力は莉子から与えられたものだ。
それを彼女に返せば、莉子の亡骸に再び命を吹き込めるだろう。
しかしそうした場合、キャシーは2度と喋ることはできない。もしかしたら記憶にも障害が出る可能性がある。
「ねぇ、お願い。やってよ」
黄色く光る眼が空亡を見ている。
***
僕は猫である。名前はまだ無い。
生まれた時には河川敷の下で、以来親も見つからず1匹で生きてきた。
まだ幼いこの体ではろくに活動できず、このまま死ぬのだろうと思っていた時、あの女に拾われた。
最初は心の底から喜んだ。家猫として生きる道が開けたかと。
しかし、あの女は酷い人間だった。虫の居所が悪いとすぐに僕に八つ当たりする。でも僕はそれに少しだけ安心していた。
僕が殴られている間は、あの子が傷つくことは無いから。
僕が初めてこの家に来てから、あの子は大層可愛がってくれた。撫でてエサをくれて、とても心地が良かった。
「私の名前は莉子。あなたは、うーん。キャシー、とかどう? 」
「にゃあ」
「そっかそっか。じゃああなたは今日からキャシー! よろしくね! 」
彼女は虐められる僕をみかねて、全ての世話を請け負った。ただでさえ学校に加えて、母親にこき使われているというのに。
僕の首には、莉子がくれた花柄の首輪が巻かれている。僕の宝物。
「嫌だ! 止めて、お母さん! 」
「あんたがコップを割るからでしょ! この無能娘! 」
「ごめんなさい! ごめんなさい! 痛い! 嫌だ、止めて! 」
彼女が殴られて傷を作る度に、僕は心臓を締め付けられた。代わって上げたい。守ってあげたい。あぁ、どうして僕は猫になんか生まれたのだろう。
ライオンや虎に生まれれば、莉子を傷つける人間なんか食い殺してやれるのに。
「もうタッくん急に来るんだもーん」
「ダメだった? 」
「ううん。ぜーんぜん」
気持ちの悪い媚びた声。おばさんの癖に無理するなよ。
また男を連れ込んでいる。この前とは違う男だ。
「おっ、猫いんじゃーん」
汚い金髪の男が僕の頭を撫でる。不愉快だ。
「ねぇ、タッくーん。ほんとに結婚してくれるの? 」
「当たり前だろ? お前こそ、あの約束覚えてるよな? 」
「勿論よぉ。莉子にはちゃーんと生命保険かけといたから」
何を言っている? 保険? 人間の社会はよく分からない。
「後は、事故に見せかけて殺すだけ」
何を言っている? 自分の娘を、殺す?
男が頭を撫でながら下品な笑い声を上げ、釣られるようにして女も笑う。
なんだ、こいつらは。人間じゃない。
「ギャハハ! 結構美人だったのに、勿体ねぇ。死ぬ前に、一発ヤラせてくれよ」
「えぇー、私寂しいー」
「ちゃんとに相手してやるからさ、ほらこの薬飲ませてさ。良いだろ? 」
「うふふ、しょうがないなぁー」
殺さなきゃ。僕が莉子を守らなきゃ。
「ぎゃあああ!! 痛ってぇ! 」
男の腕に思いっきり噛み付いた。もう少しで噛み切れる。
「このクソ猫! 」
お腹が熱くなった。何かが刺さっている。
女はそれで僕の腹を縦に横に引き裂いた。
臓物が溢れている。意識が朦朧として、視界が歪む。
「くっそ! 何だよこの猫! 」
「ごめんね! 大丈夫!? 今から捨ててくるから! 」
もっと、力が欲しい。莉子を守れる力が。
***
妖怪を踏みつけ、噛み潰し、爪で引き裂く。
こいつらは莉子の敵。莉子を虐める悪い奴ら。全員僕が倒してやる。
やっと、やっと手に入れた。この力。
莉子がくれたんだ。この子はまた宝物を僕にくれた。
彼女を守る牙に加えて彼女と話す口をくれた。
「莉子、大丈夫かい? 」
あぁ、莉子。
君を守るためなら、何だって差し出せる。舌でも心臓でも魂でも。
君を守るためなら、僕の全てを君にあげる――。
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