第129話 命の還元

 どこともしれない暗い森の中。莉子の死に場所。涙が枯れてもすすり泣いていた葵の耳に、何者かの足音が響く。

 敵が戻ってきたのかと彼女は慌てて振り返った。


「誰!? 」

「莉子……」

「空、亡くん……」


 神野が逃げた後、残された妖怪の残党を処理した空亡達は急いで莉子の元へと向かった。まだ彼女が生きているかもしれない、という一縷の望みにかけて。


「あぁ……そんな……」


 ふらふらと莉子の亡骸に足を進める空亡に、葵が掴みかかった。

 そのまま彼を投げ飛ばし、とても彼女のものとは思えないほどに大きな声で怒鳴りつけた。


「なんで行かせた! 空亡くんの力だったら止められたでしょ!? なのになんで!? 」


 空亡は何も言わずに俯いているだけだ。


「何とか言えよ! 」


 たまらずに腕を振り上げる彼女を、八瀬童子が制止する。


「式神は……主の命令には逆らえない」

「え? 」


 空亡が重い口を開く。

 たどたどしく、言葉を捻り出していた。


「今まで、莉子は本気で制約をかけたことは無かった。だが、今回は、違う。俺は主の命令に縛られた。すまない」


 葵の拳は行き場所を無くした。彷徨うその右手を、彼女は左手で包み込んで隠した。


「ごめん、何も知らないのに」


 既に枯れ果てたはずの涙が、もう一雫、彼女の頬を流れた。


「私だって、こんなこと言う資格ないのに。ごめんなさい」


 葵は空亡の上から降りて、彼に手を差し伸べた。

 迷いながらも空亡はその手を掴む。がっしりと、離さないように。


「莉子ちゃんを青目にぶつけるように言ったのは、茜さん達、だよね? 空亡くんの手紙に書いてあった」

「葵、私達は……」


 茜の言葉を手で制した葵は、静かに首を振る。


「分かってる。監視されてたんでしょ? 体のどこかにマイク付きの小型カメラでも仕込まれて」


 図星だった。加賀夫妻の耳に付けられていた小型カメラは、神野の攻撃を受けた際に耳ごと破壊された。

 彼女達の強硬な言動も、全ては討魔庁上層部の差し金である。同じ組織に所属する葵には、奴らの腐り具合が手に取るように分かっていた。


「僕たちが、その子を死に追いやったのは事実だ……。面目無い。殺されても文句は言えない」


「ただ」と悠聖は続ける。


「尻拭いくらいはさせて欲しい。そのあとで、どんなに惨たらしく殺してくれてもいい」


 討魔官達が話し合う間、キャシーは莉子の頭から流れ出た血をペロペロと舐めていた。

 いつかのように、摂取しても力が膨れ上がることは無い。もう彼女の血には霊力も妖力も無い。死んだ者はそれを練る事ができないのだ。


 まるで喋ることができなかったあの時のように、キャシーは人語を離さず、にゃあにゃあ鳴いて莉子に身体を擦り付けた。

 彼女が昔、自分の声を目覚ましにしていたから、こうして鳴いていればまた起き出すのではないかと思っていた。

 しかし、そんなことはない。莉子は目を開けることも、呼吸をして肺を膨らませることも無いのだ。


「討魔庁が、神野達に対して総攻撃を仕掛けると決めた。奴らの居場所が分かったって」

「おい! 正気か!? 向こうには空亡がいるんだぞ!? しかも、黄泉から無限に兵隊やら妖怪やらを復活させることができる。勝ち目なんかない」


 八瀬が憤慨する。

 人間というのは、そこまで愚かな生き物であったか、と。


「勝てなくても、私達はやらなくちゃいけない。もう、うちらの組織のために1人死んだんだから」


 茜の視線の先には莉子がいる。

 彼女は不慮の事故で妖怪に殺されたのでも、自分の意思で戦いに赴いたのでもない。「相討ちくらいにはできるだろう」などと愚かな発想を持ち込んだ討魔庁に殺されたのだ。


「……死んでない」


 空亡が呟いた。


「莉子は、まだ死んでいない」


 一同は彼を哀れみの目で見た。

 現実を受け止めきれず、ついに淡い空想に飛び込んだのかと。


「俺の命を、莉子に還元する」

「お前、何いって……」


 もう彼の目には莉子しか写っていなかった。

 確かにその双眸がきらめいていて、使命感に燃えていた。


「俺と莉子には強い繋がりがある。命だって共有できるさ」

「待って! 空亡くんなしじゃ、神野達をどうやって止めるの!? 」

「分からない」

「分からないって……」

「でも、俺にとっては世界なんかよりも、1人の女の方が大事なんだ。例え世界が滅んだとしても、少しでもこいつが生き残る可能性があるなら、それに賭けたい」


 肩を掴む葵の手を振りほどいて、空亡は莉子のそばに膝まづいた。


「済まなかった、守ってやれなくて。せめて、長生きしてくれよ」


 彼が主人に触れようとした時、ぽふりと心地よい肉球が彼の手に置かれる。


「ねぇ、だったら、僕のを使ってよ」


 黒猫は言い放った。

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