第128話 ふざけた世界

 空亡の額には冷や汗が滲む。夏だというのに極寒の中にいるような寒さが彼を襲った。

 莉子と式神契約を結んだことで、彼の力は莉子に引っ張られて下がっていた。


 その枷が急に無くなった。それは即ち彼の主人である莉子の“死”を意味する。


「そんな……早すぎる……」

「呆けている場合じゃないよ! 」


 神野の手から霊力で作られたエネルギー弾が空亡に向けて発射される。

 彼はそれに目もくれることなく、ただただ呆然と己の手のひらを見つめていた。


 そんな彼を押しのけたのは、加賀夫妻だった。2人で空亡を突き飛ばして、自分達も寸前のところで神野の攻撃をかわす。

 それが耳辺りを掠め、2人は側頭部から出血した。


「おい! 何があった! 」


 突き飛ばされた空亡を抱きとめた八瀬が揺さぶる。

 虚空を見つめる彼に必死に語りかけた。


「俺の力が、強まった」

「あぁ? だったら……」

「莉子がいたから、俺の力は削れていたんだ。それが無くなった……」

「それって……」


 暫時動揺していた空亡だったが、先程の攻撃を受けて目が覚めたのか、神野をキッと睨みつけ、そこに向けて『幽玄神威』を放つ。

 周囲にあったビルが、押しつぶされるように破壊され、半球状のクレーターがそこに生まれた。


「やれやれ、流石に莉子が居ない君相手は無理だね。


 いつの間にか空に移動していた神野が、一同を見下ろす。そのまま彼の姿は半透明になり、霧のように霧散していく。


「待て! 」


 キャシーが牙を剥いて飛びかかる頃には、神野はもういなかった。

 顎は空気を噛み砕き、怒りのままに化け猫は咆哮を上げた。


 ***


「で? これで龍神を殺せると? 」


 所々崩れた廃寺の中、心ばかりに足元の汚れを払って座った青い目をした空亡が神野に語りかける。


「うん。あの邪神め、莉子に取り付いてやがった。これで奴は拠り所を失った。後は紗奈の娘を使って無理やり叩き起こすだけだ」

「自分の娘を殺させるとは、とんだクズ野郎だ。一緒に行こうとか言ってたのは何なんだ」

「臨機応変ってやつさ。すんなり応じてくれれば、痛い思いをさせずに済んだんだがね。全部終わった後、ちゃんとに生き返らせるさ。君の力でね」


 神野の歯がぎりっと鳴った。

 手の皮膚が破けんばかりに握りしめ、眼光は鋭く尖る。

 おもむろに、部屋の奥にあった扉の前へと彼は移動した。


「俺たちがこのふざけた世界を変える。もう、生贄はいらない」


 重い扉が軋みながら開け放たれる。


 中には白木の棺がびっしりと敷き詰められ、暗く重苦しい空気が、一層に引き締められていた。


 そのうち1つに手をかけ開け放つ。

 腕を組み、白装束を纏った死体が姿を見せる。死んでから時間が経っているのか、既にミイラ化しており、生前の面影は一切ない。


「これが全部、龍神の巫女の亡骸か。よく集めたもんだ」

「こんなもんじゃないさ。巫女はみんな短命だったからね。これでも、ほんの1握りさ」


 部屋の中に安置されている死体はゆうに100を超えるだろう。

 そのどれもが、若くして命を落とした『龍神の巫女』の死体だった。


「四条紗奈も、龍神の侵食が進んでいなければあの時の君なんか相手にならなかっただろうに」

「黙ってろ。それで、四条紗奈の死体は見つかってないのか? 」


 神野は顎に手を当てて、ニヤリと笑った。


「心当たりなら、ある」

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