第126話 悲哀と絶望
体が潰れるようだと思った。内蔵が全部圧迫されて、今にも口から飛び出してきそう。お腹も胸も、全身のあちこちが痛いのに、力だけは出る。
痛くて痛くて、すぐに戦うことを
「はぁっ! はぁっ! はぁっ! 」
呼吸が浅くなる。上手く息を吸い込めない。
お母さんはこんな状態で戦っていたのか。
腕を振るう、足を振るう。私の攻撃が空亡の体を確実に破壊していった。
軋む腕を突き出して、腹に拳を叩き込んで、奴が前のめりになったところを、膝で顔面を叩く。
浮き上がったその体に肘打ちして、地面に叩きつける。衝撃で空亡の体が埋まった。
馬乗りになって顔を強打し続けた。
「死ね! 死ね! よくもお母さんを! 」
妖怪の体は頑丈だ。だから念入りに壊さなくてはならない。
肉体の造形を保てないほどにぐちゃぐちゃにして、細切れにしなければこいつは死なない。
私が18回目の拳を振り上げた時、腹に熱いものを感じた。空亡の妖力で練り上げられたエネルギーの塊が、私の腹をえぐったのだ。
男の拳ほどの大きさの風穴が空いた。痛い。血が止まらない。
でも、私は構わずに殴り続けた。18、19、20……。空亡の頭が潰れるまで。
やがて、彼は動かなくなった。頭はすり潰されて無くなっていた。
「やった……! 倒せた……! はひっ! はははっ! 」
笑いが止まらない。仇を取れて嬉しいから? 違う。
潰れたこいつの頭がおかしくてたまらない。手にこびり付いた赤い血の温もりが、心地よくてたまらない。
なんだか、頭がおかしくなってる。自分のものじゃないみたいに、勝手に感情をこねくり回される。
「はははっ! ははっ! げほっ! オエッ! ははっ……! 」
多分、肺が潰れた。『降龍神楽』の影響だろう。嘔吐感に似た、不愉快な感触と共に口から血を吐き出す。
――でも、私はやった。勝ったんだ。
あの空亡を倒した。大戦果だ。
きっと私の名は多くの人が知るところになるし、多くの人が私を愛してくれる。
いいなぁ。それを考えるだけで胸が踊る。
「龍神に毒されたか。お前たちは、いつまでその邪神に頼り続ける? 」
後ろから声が聞こえる。おかしい。さっき殺したはずなのに。眼下にあった空亡の死体が消えて、丸太が現れた。
――幻……?
「なん……で……? 」
「俺に同じ技が2度通用すると思ったか? 」
「龍神の巫女でもないものが、無理やり力を使うからそうなる。まぁ、発狂しようがしまいが、どの道死ぬことには変わりないか」
空亡の手がこちらに向く。
戦わなきゃ。そう思って1歩踏み出して、途端に力が抜ける。
「“現世”」
肩が外れた。いや、肩が無くなった。文字通り。
私の左半身が吹き飛ばされた。飛び散った血液が顔にかかる。
「ああああああああああああ!!! 」
絶叫。喉が千切そう。
さっきまでは気にならなかったはずの痛みが、意識した途端に私の脳内を埋めつくした。
体が勝手にびくつく。死の間際だからか。
「ただの人間が、ここまでの生命力を持つとはな。いや、人間でもないか」
空亡の言っている言葉を処理できない。ただ、痛い、苦しい。それが頭の容量をいっぱいにしている。
「なんでお前らは、いつもそうなんだ」
手のひらを向けられている。痛い。妖力が集まっている。苦しい。
苦痛に埋め尽くされた頭で、死が迫っていることだけは呑み込めた。
あれ?
私は自分の感情が分からなくなった。あんなに死にたいと、消えたいと思っていたのに。死ななきゃいけないと思っていたのに。
――怖い、死にたくない。
そう思う自分が確かにいる。
空亡や葵、キャシー。そして沙羅の顔が浮かんできて、みんなと離れたくないと思ってしまう。
「ま、待っ……て……」
情けない。この後に及んで命乞いとは。
死ぬ時はみんなこうなるのか。でも、お母さんは泣き言1つ言わなかった。
かっこよかったなぁ。あんな風に死にたかった。
「じゃあな、化け物。お前は、四条紗奈にはなれないよ」
顔に強い衝撃をほんの一瞬だけ感じた後、目の前が暗くなった。
***
暗い森の中を、葵は重い体を引きずって走っていた。腹の傷がズキズキと痛む。
莉子たちが里を離れた直後に彼女は目覚めた。
手当してくれていた鬼から、空亡からの手紙を預かる。
そこには、莉子は青目の空亡と刺し違えようとしていること。止められなかった事の謝罪。莉子を飛ばす予定地が記されていた。
重傷の体を引きずって、彼女は全速力で空を飛び、その近くまで来た。
先程まで聞こえていた爆発音や衝撃音が聞こえない。戦いが終わったようだ。
彼女の頭の中は、莉子のことしかなかった。自分が行ってどうするのか。手負いの状態で空亡と戦えるのか。そんなことは思考のうちに含まれていない。
木々の残骸や荒れた地面が多くなる。確実にそこに近づいている。
――リコちゃん。待ってて、絶対に死なせたりしない。私が守ってあげる。
彼女もまた、精神的な面で危ういところがある。烏楽での1件から罪悪感が彼女の心に重りとして乗っている。
だから莉子の苦しみにも気づくことができなかった。
――大丈夫。リコちゃんは1人じゃない。抱きしめて、頭を撫でて、リコちゃんは何も悪くないって、そう伝えなきゃ。
また残骸が多くなる。きっとすぐそこだ。
クレーターのように森が禿げた場所がある。きっとあそこだ。
「リコちゃん、リコちゃん、リコちゃ、ん……」
赤い。液体がトマトケチャップのように彼女の服を汚している。
「あ、あぁ……」
左半身が無い。タンクを切ったみたいに血が流れ出している。
頭も、半分無い。脳が飛び出している。
「あぁ……あぁ……あああ……! 」
目が開いているのに虚ろで、生気を全く感じない。
――どうして?
――――そんなはずはない。
指先が彼女の頬に触れる。冷たい。氷みたいに。彼女の髪を結っていた、母の形見だという赤紐がするりと落ちた。
「ああああああああああああ! リコちゃん! リコちゃん! 」
葵の目から堰を切ったように涙が溢れ出す。絶叫を轟かせながら、莉子の体を揺さぶって懸命に傷を治そうとした。
「治れ! 治れ! 治れよ! なんで……嘘嘘嘘! いやだ、嫌だよぉ……」
いくら霊力を放出しようとも、死体に治癒術はできない。
彼女の体に触れる度にする、ひんやりとした感触が、葵に死を実感させた。
「ああああああああ!! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 」
葵は子供のように泣きじゃくりながら、霊力を使い続ける。それが無駄な行動であると、自覚していてるのにも関わらず。
夜が近づいた森の中に、1人の少女の悲哀が反響し続けていた。
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