第120話 幽玄神威

 私には父親はいなかった。いや、正確にはいるのかどうかも分からなかった。

 物心ついた時から、家には前の母親しかいなかったし、教えてもらおうとも思わなかった。


 思えば、私は自分の人となりについて無頓着だった。

 自分自身のことも、家族のことも。もっとも、私にとって家族と呼べる存在は四条家の面々だけだが。


「私の父親? そんなの誰が信じると……」

「君の母親の名前、九条明美だろ? 旧姓は田中」


 九条明美は私の産みの親の名前だ。親と呼ぶことにすら嫌悪感を覚えるが、あいつの元に産まれてしまったものは仕方がない。


 しかし、何故この男が知っている? 明美は名の知れた人物では無い。

 何より、私の今の姓は四条だ。調べても出てくるものでは無い。


「……私の母親は、四条紗奈だけよ」

「はははっ、まあ無理もないか。あんなだらしのない女じゃ、母なんて呼びたくは無いだろう」


 虫唾が走る。こいつと話していると、記憶から消し去りたいあの頃を思い出して、血管がキュッと引き締まる感覚に陥る。


「いい加減にして。私は父親の顔も名前も知らないし、興味も無い。あなたが誰であろうと、私達にとっての敵、それだけよ」


 仮にこいつが父親だったとして、だから何だと言うのか。こいつは敵。私と、私の大事な人を傷つける奴だ。


「空亡! 」

「分かってる! 」


 空亡を前に出して、同時に飛びかかる。

 少し遅れて、八瀬と葵もそれに続いた。


 私の拳は神野に掴まれ、その急所には届かない。しかし、目の前の敵の相手をしている時、人は無防備だ。


 今の奴は空亡の攻撃には対応できない。


「“神亡”! 」


 神亡で斬り掛かる空亡を止めようと、青目がその前に立ちはだかる。だが――


「“四重結界”! 」

「“巌流剛砕がんりゅうごうさい”! 」


 葵が結界によって青目の動きを阻み、八瀬がその外から結界を砕きながら彼を殴りつけた。

 大きくくの字に折れ曲がった青目の体は、そのまま地面を破壊しながら森の中へと消えていった。


 空亡の剣が、神野を引き裂く。首と胴体を完全に分かたれ、そのまま倒れ伏した。


「おいおい、酷いじゃないか」


 奴はそのまま立ち上がる。首がない状態で、足の力だけで上体を引き起こし、落ちている生首を拾い上げた。


 彼はそれを切断された断面に付けると、すぐに皮膚同士が接着され、元に戻ってしまう。


「化け物か……」

「ふぅん、困った。これじゃあ埒が明かないね」


 神野の周囲をそれまで傍観していた鬼たちが囲み出す。

 1人1人が強力な妖怪だ、この数を相手にするのはいくら奴でも骨が折れるだろう。


「空亡ー」


 森の中から破裂したような爆発が起きた後、土埃を舞わせながら上空に青目の空亡が待機している。

 神野もふわりと浮き上がって、その傍に。


「面倒だから、この里ごと消しちゃうか」

「亡雫の女は良いのか? 」

空亡あいつが守るでしょ」


 神野は両の手のひらを合わせる。彼の体に溜まっていた膨大な霊力が、徐々に外に漏れだしてきた。



「“転”」


 次の瞬間、神野の霊力が急激に低下し、代わりに青目の力が膨れ上がった。


 ――そんな、あれは……式神にしか……。


 霊力の妖力変換は式神に対してしかできない。つまり、青目の空亡は、神野の……。


「っ!! まずい、お前ら逃げろ! 」


 八瀬が周りにいる鬼たちに叫ぶ。

 だが、もうそんな時間は残されていなかった。


「“幽玄神威”」


 空亡の手のひらから発せられた妖力の塊。里に向かって放たれたそれは、一瞬で私達の眼前に迫った――。


 ***


 眼下に広がっていた森も、鬼の里も、全てが更地と化した。

 パラパラと小石が落ちる中、神野は口元に笑みを浮かべる。


「周りの者だけ連れて空間移動か……、咄嗟にしては上出来だね」


 ふと、視界に動くものが移る。瓦礫の中、足が潰れた鬼が立ち上がろうとしていた。


 神野はその鬼の前に着地し、頭を踏みつける。脳みそが飛び散り、彼の足は赤く染まった。


「また会いに行くよ、莉子」

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