第119話 父親

「あんた、誰? 」


 私の名前を口にした男。セットもされていない、ただあるがままの髪を弄りながら、そいつは私に笑いかける。


「会いたかったよ」

「はぁ? 何言ってるの? 」


 気持ち悪い。ニタニタとノリで貼り付けたような笑みを浮かべている。

 男は倒れた鬼から立ち上がって、腕を大きく広げた。


「さぁ! 共に行こう! 世直しの戦が始まる! 」


 大袈裟に大の字になりながら、男は満面の笑みを崩さない。

 そういう仮面をつけているのかと思うほどに、表情の変化が無い。


「貴様、我らの里に足を踏み入れておいて何を……! 」


 彼を取り囲んでいた鬼の1人がその肩を掴む。腕も足も筋肉で盛り上がった、たくましい妖怪だ。


「邪魔しないでくれるかい? 」


 男が鬼の額を指で弾く。なんでもない、子供が揶揄うような動きだったが、鬼の体はボムボールのように弾んで崖に叩きつけられた。


「なっ!? 貴様! 」


 八瀬が憤慨する。

 鬼をあんなに容易く倒すなど、只者の所業では無い。

 晴明と道満と同等、いやそれ以上の使い手だろう。


「空亡! 」


 こいつは危険だ。ここで倒さなければならない。

 私はそう直感して自らも戦闘態勢を整えつつ、空亡を前に出した。


 男は空亡を前にしても怯むことも動じることもなかった。

 彼の妖力を纏った手刀がそいつの首に目掛けて振られるが、男は空亡の手を掴んでそれを受け止める。


「なに!? 」


 まさか避けもせずに真正面から受け止められるとは、彼も思っていなかったようだった。

 そのまま腕を暴れさせようとするが、しっかりと掴まれて動かすことができない。


「好き勝手しやがって! 」


 見かねた八瀬が男に飛びかかる。

 一拍遅れて私も後に続く。



 奴の口から発せられた名前は、よく聞き馴染んだ名前だ。だが、その名が指す人物は私の良く知る空亡では無い。


 そいつの目は、青かった。


「“現世うつしよ”」

「危ねぇ! 」


 私の前に八瀬が立ちはだかる。青目の空亡が繰り出した斬撃を、彼が受け止めてくれた。

 手足が千切れ、体に刃が刻まれる。衝撃で吹き飛んだ八瀬と共に、地面に背中から叩きつけられた。


「“四重結界”! 」

「鬱陶しい……! 」


 葵の結界も、青目の前では湯葉のように引き裂かれる。

 攻撃を手で払い除けながら、彼女の方に青目が近づいていく。


 突如、付近の温度がカッと熱くなる。青目の背後に、巨大な猫の手が迫った。


「あの時の化け猫か」


 だがその腕が当たることは無い。

 キャシーの一撃は時間が停止したようにその場に張り付けられ、彼の体は動かない。


「っ!? これは……」

「獣畜生如きが、俺を阻むつもりか? 」


 キャシーの顔に裏拳が叩き込まれる。木々を薙ぎ倒して、轟音を立てながら吹き飛ばされた。


「キャシー! 」

「ペットの心配ばかりしていて良いのかい? 」


 地面に擦るように空亡が転がってくる。あの男にやられたのか。

 傷を治して立ち上がった八瀬を支えて、私も膝を伸ばして、立ち上がる。


 相手はもう1人の空亡と、それに匹敵する強者。状況は絶望的だ。

 しかし、私の心は歓喜に満ち溢れていた。


 やっと。やっとだ。もうこの機会は訪れないと思っていた。

 願いが叶った。


 ――殺す、絶対殺す。青目あいつを、殺してやる!


「これで、私の罪を精算できる。お前を殺して、私はやっとお母さんに顔向けできる! 」

「俺を殺す? 紗奈でも相討ちが精一杯だったのに、お前が? 笑わせるな」


 青目は「しかし……」と呟いた後、顎に手を当てて私をじっくり観察した。


「あいつも、浮かばれんな。娘がこれでは……」

「お前が、お母さんを語るな! 」


 心臓から送られる血液が急激に増したような感覚がした。体全部が熱くなって、頭に血が昇っているのが自分でも分かる。

 私は体が思うままに青目に殴りかかった。


「っ! だめ、リコちゃん! 」

「“現世”」


 斬撃が私の体を斬り裂く。全身から血が噴き出して、目の前が赤く染った。

 構うものか。


「ほう……」

「はああああああ!!! 」


 霊力で強化した肉体は、攻撃を受けてもバラバラになることはない。傷こそ深く、焼かれたような激痛もある。だが、それは私を止めるには不十分だった。


「“竜骨”! 」


 全力で拳を顔面に叩きつける。彼に避ける素振りは無い。

 私の腕を止めたのは、法衣を纏った男だった。


「そんなに暴れたら、体が傷ついてしまうよ」

「何なんだよ、お前さっきから! 気持ち悪いんだよ! 何者なんだよ! 」


 体が少しも動かない。万力に握られているのかと錯覚するほど、強く腕を掴まれている。骨が軋む。


「いいよ、教えてあげる。俺の名前」


 ぱっ、と腕を離された。慌てて後ろに飛び退いて距離を取る。

 反撃してくる様子は無い。


「俺の名前は、九条くじょう神野しんの。莉子、君のだ」


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