第92話 黄泉からの帰還

「ははっ、死ぬかと思ったわ」


 自身の血にまみれた衣服を見ながら、芙蓉は冗談めかして笑った。


 朝水は彼女に背を向けるように座り直し、目元をぬぐった。


「まったく……。あなたは私と違ってすぐ死ぬんですから、無茶しないでください」

「……泣いてんのか? 」

「泣いてません」


 芙蓉は彼女の強がりを鼻で笑って、「ありがとう」と一言だけ呟いた。


 ***


 豪風が吹き荒れる。天狗の里に出現した竜巻は、付近の家々を巻き込みながら勢いを強めていた。


 突風に飛ばされぬよう、足に力を踏ん張る雪は、竜巻に向かって突っ込んでいく1つの影を見た。


「時雨様……」


 渦を巻く風が弾ける。はち切れた風船のように内側から爆発し、その内に存在した妖怪。

 この竜巻を出現させた術者である。


 天狗の頭領、時雨はその者に見覚えがあった。

 いや、忘れることもできないと言った方が的確か。


「霧、雨……」


 あの日、彼女の命を狙い、里を脅かした大罪人。

 彼女が多くの同胞を殺めることになった、その原因を作った天狗。


「なぜ生きているのですか……! 」


 間違いなく、霧雨はあの時死んだはずであった。時雨がその手で殺したのだ。間違うはずもない。


「黄泉から、帰ったのですよ」


 口が裂けんばかりに笑みを浮かべる霧雨。そのいやらしい顔が、時雨にあの日のことを鮮明に思い出させた。


「1度殺して死なぬなら、もう1度黄泉へ送るまでです」

「くっくっくっ。私ではあなたには敵わない。これは、ほんのご挨拶です」

「逃がすと思いますか! “カマイタチ”! 」


 腕を大きく振るって、風の刃が霧雨に飛ばされる。しかし、彼に当たる寸前でそれは弾かれた。


「あなたは……!? 」

「あれは手に入れましたか? 霧雨」

「上々よ」


 狩衣、おそらくは平安のものであろう。それを纏った優しげな顔つきをした男が、彼女の前に立ちはだかった。


「では、これにて失礼」

「っ! 待ちなさい! 」


 彼女の2度目の攻撃が当たるより先に、彼らは忽然と消えた。空気に溶け込んだようにしていなくなった2人を探す時雨に、大急ぎで駆けつけた澄晴が叫んだ。


「母上! 亡雫が盗まれました! 」

「そんな……! あの方の結界が破られたと……!? 」


 更に澄晴は続ける。


「また、里の東方に人間の、霊術師の群れが……」

「人間……? 」

「長老達は人間からの宣戦布告だと沸き立ち、勝手に前線へ……」

「討魔庁がそのようなことをするはずがない。まさか、さっきの男が……? 」


 時雨は思案を纏めるより先に、澄晴に指示を与えた。


「長老達に伝令を出して、戦闘は控えるように伝えてください」

「奴らは敵では無いと? 」

「敵であることは確かですし、討ち果たさなければならないでしょう。ただ、嫌な予感がします。私が対処するから離れろと伝えてください」


 澄晴が去ったすぐ後、彼女の元へ、莉子達が息を切らしてやってくる。

 時雨は彼女達を待っていたのだ――。

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