第91話 東雲朝水③

「助けて、朝水! 」


 止めろ。


「痛い! 痛い! 」


 止めろ。香織を離せ。


「助け……けて……」


 止めてよ。お願いだから。


 体のあちこちが折れ曲がったまま、香織が私の顔を見る。

 虚ろな死んだ目で。


「朝水、痛いよ……。なんで、助けてくれなかったの? 」


 違う、違うの香織。


「なんで私がこんな目に合わなきないけないの? 」


 ごめん、ごめんなさい。


「お前さえ、お前さえいなければ……! 」


 ごめんなさい……ごめんなさい……。


「お前なんか、生まれて来なければ良かったのに! 」


 ***


「おい! 朝水! 」


 芙蓉さんの声で頭が覚醒する。

 夢、なんの夢を……。


「凄いうなされてたから起こしちまった」


 さっきまで見ていた夢がフラッシュバックしてくる。

 折れ曲がる体、彼女の悲鳴。動かない私。


「え、ちょっと朝水!? 」


 胃の中から何かがせり上ってくるのを感じ、私はトイレに駆け込んだ。


「オエッ……! ガハッ……! 」


 夕食に食べた消化しきれていない食べ物が、私の体から出てくる。

 全部吐き出してしまいたいのに、上手くいかない。


 ただただ苦しい時間が続く。


 背中をそっと優しく撫でる手。

 温もりを感じた。


 芙蓉さんが私の背をさすっていた。


「オエエッ……! オエッ……! 」

「ここいてやるから、全部吐いちまえ」


 胃の内容物が無くなっても、私は吐き続けた。

 もう何も入っていないはずなのに、胃酸だけが口から出てくる。


 芙蓉さんはそんな私の背中をずっと撫で続けた。


「私からは、何も聞かない。お前が話したくなったら、その時でいいからさ。何に苦しんでるのか、教えてくれよ」


 空いた手で、芙蓉さんの服にしがみつきながら、私はトイレに篭もり続けた。


 ***


「デート、ですか? 」

「そうだよ! 私にもモテ期が来たってことだ」


 香月芙蓉、彼女はかなり乙女チックな考えを持っている。

 肉体関係を持つのは交際して3ヶ月以上経ってから。付き合ってもいない相手など言語道断。


 顔が良く実は男女問わずにモテている彼女だが、その貞操観念からか、中々彼氏ができない。できても続かない。


「明日の昼に食事に誘われてるんだよ! ほら、この人! 」


 下手に染めた金髪。耳と、口に大きなピアスを開け、ネックレスをジャラジャラさせた男。


 数々の男と身体的な接触をしてきた私には分かる。こいつは地雷だ。


「やめた方が良いと思います」

「なんで!? 見た目は怖いけど良い人なんだよ! 昨日さ、街で声をかけられて……」

「はぁ!? ナンパされて、ホイホイデートの予約したってことですか!? 」


 彼女はあんなロマンチックな生き方をしている癖に、変なところで警戒心が薄い。

 確かに彼女は強い。霊力を抜きにしても、素の腕力もゴリラ並だ。


 しかし、1人の女性である事には変わりない。

「大丈夫だ」と言い張る彼女が心配で、私はこっそり後を付けた。


 ***


 デートは最初は滞りなく進んだ。

 芙蓉さんは男にエスコートされ、食事を共にした。ファミレスだったが、彼女はそんな事を気にする人では無い。

 とても楽しそうだ。


 窓から見える男の口元が動いて、その後に向かいに座る芙蓉さんの顔が赤くなる。


 ――ただの勘違い、だったかな。


 その後もショッピングや映画などを経て、さすがにそろそろ帰ろうと思った頃。


「ねぇ、ホテル行こうよ」

「え? い、いや、そういうのはまだ早いのかなぁって……」


 ――ま、そんなもんですよね。


 肉体的興味の無い恋愛などありえない。男も女も、所詮は人間という動物の枠組みを外れることは出来ず、性欲という欲求は切り離すことは出来ない。


「えー、良いじゃん! 行こうよー」

「ちょ、ちょっと止めろよ! 」


 手を掴んできた男の腕を、芙蓉さんが振り払った。実力行使で彼女が負けることはないだろう。

 男は舌打ちを1つ。


「チッ、もういいや。今から彼女に来てもらうか」

「え? 彼女、って……? 」

「お前とヤれると思ってたのにダメだって言うから、自分の女に電話すんだよ」

「だって、私のこと好きって……」


 男は吹き出した。


「ダッハハ! 本気にしてたの? あんなんホテルに誘うためのご機嫌取りに決まってんじゃーん」


 彼女の力で殴り飛ばせば一瞬で泣かせることができるだろうに、芙蓉さんは下を向いているだけ。


 ――なんで泣きそうになってるんですか。


「美人だと思って声掛けたけどよ。ガサツだし女らしくねぇしで全然可愛くねぇのに、その上ヤれないんじゃ、価値ないじゃん」


 彼女の目から涙がこぼれるのを見て、我慢できなくなって、私はズカズカと男の方へ歩いていった。


「誰だよ、あんた」

「朝水? なんで……」


 男の頬を思いっきり平手で打つ。グーで殴られなかっただけ有り難いと思って欲しい。


「行きましょう、芙蓉さん」

「え、ちょ、ちょっと……」


 痛い痛いと喚き散らす男に目もくれず、彼女の手を掴んで歩みだした。


「おい、朝水……」

「今からデートしますよ」

「え? 」

「あんなカスより私とデートした方が1000倍は楽しいです。芙蓉さんが今日という日を泣いて終わらせないようにしてあげます」


 私に手を引かれていた彼女だが、その言葉を聞いてようやく私の隣に立って歩き出した。

 手を繋いだまま、彼女が笑顔で言う。


「私さ、お前の性欲に見境みさかいが無い生き方は嫌いだけどさ」


 手の繋ぎ方が、指を絡ませるようなものに変わった。


「お前本人は、好きだよ」


 ***


「芙蓉さん! 芙蓉さん! 」


 私達はようやく結界の外に出た。治癒術を使って、彼女の出血はひとまず止めた。

 しかし、体の損傷は治らない。


 心臓が止まっている。死んでいる人間の傷を治すことはできない。


「死なせない! また、私のせいで友達が死ぬなんて、そんなの絶対認めない! 」


 彼女の胸に両手を当てて強く押し込む。

 一定数心臓マッサージをしてから、人工呼吸。これを繰り返し行う。


「起きて、芙蓉さん! お願いだから! 」

「ゲホッ! ゲホッ! 」


 蘇生が成功した。

 私は急いで霊力を流し込んで、彼女の傷を癒す。


 一瞬の間を置いて、彼女の傷は完治した。


「芙蓉さん! 聞こえますか! 」

「朝……水……」


 彼女の目がゆっくりと開かれた。

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