第85話 大竜巻

 空亡と道満の戦いのものであろう地鳴りが響いてくる。

 随分と遠くまで行ったものだ。


 隣に立つ葵は既に臨戦態勢で、小刀を逆手に持って晴明を睨みつけている。


「リコちゃん、私が結界で守るけど無理だけはしないでね」

「分かってる」


 私は治癒術が使えない。即ち、致命傷を負えば死ぬ。

 葵も、晴明と戦いながら私を回復させることはできないだろう。


 私が構えを取った時、晴明が宙を舞う葉っぱを掴んでこちらに投げた。


「“潰蛙かいけい”」


 ひらひらと舞う緑の葉。


「“四重結界しじゅうけっかい 守式しゅしき”! 」


 葵が慌てた様子で結界を張る。次の瞬間。上から押されるような強い圧迫感を感じた。


 立っていた地面に隕石が落ちたように、クレーターが刻まれる。


 葵の結界が無ければ私も潰れていただろう。


「ほう、現代にもこのような結界を張れる人間がいたとは」


 晴明は余裕の笑みを浮かべる。


 ――なに? 今の術。


 白狼や転移の術もそうだが、晴明が使う霊術はどれも見たことがない。


 それが異様な気持ち悪さを感じさせていた。


「あなた、なんでこんな事を……」


 伝承で聞く限り、蘆屋道満はともかくとして、安倍晴明は悪人だとは聞かない。

 道満と組んで、罪のない天狗を殺すような人間とは思えなかった。


「理由、ですか……。哀れみ、憐憫れんびん、義憤。形容する言葉は多くあります」


 晴明の手元に、霧が実体を持つようにして太刀が握られた。


「これは、あなたのためでもあるのですよ? 四条……いいえ、さん」

「っ! 私をその名前で呼ばないで! 今の私は四条莉子。四条紗奈の娘よ」


 ――私のため? どういうこと? どうしてこいつが、私の旧姓を……。


 頭を巡る思考を振り払って、私は戦いに集中し直した。


 ――とにかくこいつを倒して、時雨の元に連れ出さなきゃ……!


 力強く踏み込んで、晴明に詰め寄った。


「“竜骨”」


 竜の骨をも砕く一撃。龍神の巫女に代々伝わる秘伝の技。

 母が遺した伝書を読んで習得した、渾身の一撃。


 加減ができる相手では無いとは察していた。

 だから、全力で拳に霊力を込めて打ち出した。


 晴明はそれをいとも容易く避ける。背後にあった林が、『竜骨』の余波で吹き飛んで消える。逆に太刀の柄で私の鳩尾を突いた。


「がはっ! 」


 息が詰まる。全身から力が抜けていく。

 私は腹を抑えて、その場に倒れ込んだ。


 ――たった、一撃で……!


 いくら霊力を使っているとはいえ、たかだか一発貰っただけで動けなくなるのは初めてだった。


 刀の切っ先が私に突き立てられようという時、晴明の太刀が見えない何かに阻まれた。


「リコちゃんに、痛い思いさせんじゃねえええ!! 」

「っ!! 」


 飛びかかってきた葵が晴明の肩に小刀を突き立てる。

 噴出する血液の1部が彼女の顔にかかるが、お構い無しに鳩尾に膝蹴りを一発浴びせる。


 苦痛に顔を歪めながらも、晴明は彼女を振りほどいて後ろに飛び退いた。


「リコちゃん平気!? 治すところある!? 」

「へ、平気よ……ちょっと不覚を取っただけ」


 葵の手を借りて何とか立ち上がる。

 晴明は負った傷を回復しながら、彼女の方を見ていた。


「速すぎて感知できませんでしたよ。貴女程の霊術師は平安の時代にも、そう多くはいませんでしたよ」


 葵は彼の言葉に答えることはなく、ただただ睨んでいた。


「葵……? 」

「人の推しに手を上げておいて、気安く話しかけんな、ゲス野郎。はらわた引きずり出してやるからな」


 いつもと雰囲気が違う彼女におののいた私は、気にせずに目の前に敵を見た。


「いやいや、侮っていました。本気でやるつもりはなくとも、よもや2人ともここまでとは」


 温和な笑みを浮かべたまま、晴明は片手で太刀を構える。


 古いデザインの狩衣の袖が揺れ、白く美しい布がはためいた。


 風が鳴いた。


 それを合図にしたかのように、私達と晴明はともに、同時にそれぞれの敵にとびかかる。


 葵と晴明の刀がぶつかって、火花が散った。


 私はがら空きになった晴明の胴体に向かって蹴りを繰り出す。

 しかし、晴明は片手で印を結んで結界を生み出し、私の攻撃を防いだ。


 その隙を見逃さずに、今度は葵がたたみかける。的確に急所へ向かって小刀を振るうが、晴明は私の追撃を結界で防ぎながら、それら全てをかわしきった。


 後ろへ距離を取る晴明。


「“四重結界! ”」


 葵が晴明の目の前に壁のようにして結界を張る。

 前方を塞いだだけで、敵を閉じ込める意図は無い。


「なにを……? 」

「莉子ちゃん! 割って! 」


 私は彼女の言葉の意味するところを理解する前に、葵が張った結界を殴りつけて破壊した。


「“四重結界 攻式こうしき”! 」


 割れた結界の破片が突如として動き出し、晴明を斬り裂くべく突撃していく。


「なに!? 」


 さすがに余裕がなくなったのか、笑みが消えた晴明は結界の構築も間に合わず、急所だけを守って、手足を傷つける。


「これ程緻密な結界操作ができるとは……」


 間髪入れずに、私は手に霊力を集中させて晴明を殴りつける。


「“竜骨”! 」


 またも寸前でいなされる私の攻撃。

 当たりさえすれば、確実に倒せるであろう。だが、晴明は私の動きを読んでいるかのように、水のごとくのらりくらりと対処される。


 ならばと葵と呼吸を合わせて2人で攻めかかろうとした時。


 私の背後。そう、天狗の里があった場所から轟音が響いた。


 振り返ると、この世のものとは思えない程の巨大な竜巻が発生していた。


「あれは……」

「やっとですか。あの天狗も、仕事が遅いですね」


 晴明は空気に溶け込むようにして、その姿が徐々に薄くなる。


「“潰蛙”」

「っ! リコちゃん! 」


 葵が彼に追撃をしようとした時、またあの感覚がした。何かに押し潰される感覚。


 葵は晴明より私を優先した。結界を張って同じように私を守ったのだ。


 土埃が消えた頃には、晴明は消えていた。

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