第84話 空隙

 道満の指先から感じる圧倒的な霊力。

 正面に立つだけで、体が痺れてくる程の圧倒的な力の壁だった。


「気をつけろ莉子。尾延山で戦った奴らとは格が違うぞ」


 空亡がそう耳打ちした刹那。

 道満の足元に六芒星が現れる。


「“道下乱呪どうけらんじゅ”」


 足元が膨れ上がるような違和感を感じ、私達は一斉に飛び退いた。


 大地が割れ、無数の剣が私達が立っていた場所を貫いた。


「“白狼びゃくろう”」


 視界の端に光が見えた。

 今度は晴明が印を結んで、足元に五芒星が映る。


 彼が天に投げた札が変化し、たちまち大きな狼となり、顎を開いて私達に食いかかった。


「キャシー! 」


 キャシーが化け猫へと変化して狼を前足で殴りつけた。

 狼は土埃を上げながらも倒れることはなく、こちらを睨みつける。


「狼の相手はお願い! 」

「了解」


 晴明が生み出した白狼はくろうの相手はキャシーに任せ、私と葵は晴明と対峙する。


「空亡、貴方は道満を」


 私がそう言うと、返事の代わりに彼は道満の方へと向き直った。


 ***


「伝説の大妖怪と手合わせできるとは、これは儲けものじゃ」

「あ? ボケちまったのか爺さん? 平安の頃を忘れたのか? 」


 空亡と道満が相まみえるのは初めてでは無い。霊術師と大妖怪、それも妖怪が全盛を迎えていた平安であれば、当然ながら戦ったことがあった。


 老練の道満は、霊術で出現させた刀を手に持ちつつ、記憶を辿るように眉間に皺を寄せた。


「そうじゃったか? どうも、お主の顔は覚えておるが、それ以外の記憶が……」

「どういうことだ」


 道満は覚えていないと言う。

 妖怪と人間がよく争っていた時のことであるから、かなりの激戦だった。


 蘆屋道満ほどの人間が、その経験を忘れるなど、空亡は不思議に思う。


 ――まぁ、知らないのであれば好都合。


 戦闘の記憶が無いのであれば、当然手の内も知られていない。

 だが、空亡には道満の術が分かる。


「聞きたいことは山積みだが、答えてはくれないだろ? 」

「当然」


 道満が答えると、間髪入れずに空亡は距離を詰めた。


「だったら、殺すしかないな」

「!? 」


 瞬間だった。空亡の素早い拳が、腹部に突き立てられる。


「ぬぅお……! 」


 口から血を流しながらも、老人は不敵に笑った。


「速いな……」

「速いだけ、だと思うか? 」

「なに? 」


 またも一瞬で距離を詰める空亡。

 まばたくく間もなく彼は道満の眼前にいた。


「なに!? 」


 顔面に叩き込まれる空亡の正拳が男の骨を砕いた。

 ばきばきと音を立てながら、道満は大きく吹き飛ばされる。


 空亡はそれにもまた瞬時に距離を詰める。


 ただの高速移動では無い。道満はそう直感した。

 直感したが、その正体は分からなかった。


 だが彼もまた百戦錬磨の霊術師である。宙に投げ出されたその状態であっても、半身をねじるようにして空亡を刀で斬りつけた。


 追撃のため勢いをつけた空亡は前に突っ込んでいる。

 目の前から迫る太刀を避ける術は無い。


 しかし、道満の手に帰ってきた手応えは、空を振ったものだけだった。


 そのまま空亡の膝蹴りを鳩尾みぞおちに受け、地面に転がる。


 ――確実に斬ったはず! なぜ……!?


 またも空亡が瞬時に距離を詰める。

 まるで瞬間移動のように。


 ――まさか……!


 道満は今度の拳はかわした。そのまま体を反転させ、妖怪の首をはねようと太刀を一閃した。


 だが当たらない。空気を斬る音だけが響く。

 物理法則が乱れたように、まるで最初から離れていたように、先程まで目前にあったはずの空亡の首が、刃が触れないギリギリの場所にあった。



 空亡の裏拳が顔に入った。


「なぜ当たらん……」

「本当に忘れちまってるみたいだな」


 移動、攻撃。反撃、空振り。

 この1連の動作をもう2度繰り返したところで、ようやく道満は気づく。


 ――高速で動いているのでは無い! 瞬間移動、空間を飛ばして……!


 その時、道満の脳内に記憶の濁流が流れ込んでくる。


「思い出したぞ、“空隙くうげき”か! 」


 ――なぜ忘れていた! 忘れるはずがないことを!


 空亡の固有の妖術、『空隙』。空間を操作する彼は、自分と相手の距離を飛ばして瞬間的に移動することが可能である。


 それだけでは無い。


「これも、そうであった! 」

「やっとか爺さんよ! 」


 確実に当たる距離、確実に当たる速度、確実に当たる角度でもって斬りこんでも、空亡の体を傷つけることはできない。


 相手との距離を飛ばして短くできるのであれば、当然、ことも可能だ。


 彼はそれを使って道満の刀が自身に届かないよう、空間を開けていた。


 再び空亡の拳が道満を襲う。


 ――こちらからの距離は、


 連撃。彼の反撃は全て空振りに終わる。


 ――だが、奴からの攻撃は、


 受け止めることはできても、かわすことはできない。

 常時、突如として眼前に現れる攻撃。どれほど空間を開けようとも、どれほど素早く身をかわそうとも、常に目の前に彼の拳や蹴りが迫る。


「ぬわああああああ! 」


 今までで最も大振りのパンチが、道満の顔を陥没させた。地面をえぐりとりながら、滑るようにして吹っ飛ばされる。


 ゆらりと道満は立ち上がった。


「あやつ、大事な記憶だけ消しおって」


 血にまみれながらも、依然その闘気は衰えない。


「まぁ良い。あと5分ほどは、気張らせて貰う」

「5分? 」


 道満の足元に六芒星が光った。

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