第78話 一喝

 頭領屋敷の大広間には、怒号が飛び交っていた。


「同胞が殺されたのだ! 報復すべきだ! 」

「人間と全面戦争になるのだぞ!? それに、1部の悪人の責を、全ての人間達にぶつけるのか! それは、誇りある戦いではない! 」

「怖気付いたか! 同胞を殺されて、見て見ぬふりか! そもそも、掟に従えば報復あるのみであろう! 」


 時雨は悩んでいた。

 掟には従わなければならない。だが、それは里の滅びを意味する。


 議場にいるのは、殆どが老年の天狗ばかり。掟を絶対とし、人間を力の弱い生き物と侮る、昔気質の者共だ。


 若輩の時雨は、彼らの意見に押されることがしばしばあった。

 件の反乱事件以降、部下の叛心ほんしんに気を使ったのが裏目に出たのだ。


 時雨本人は、人間と事を構えるなど選択肢にも無い。

 勝てるはずがない。


 三大部族達が人間に危害を加えなくなった要因の1つが、彼らが強くなったことだ。

 今の討魔庁は、例え九尾や鬼であっても一息で滅ぼせるだけの戦力を持っている。


 約1000年前の大妖怪達の謎の談合以後、知能が高い妖怪が人間を襲うことは減った。

 だが、時が進めば当然過激派も生まれる。人間を見下し、再び争おうとする彼らの心を折ったのが、その圧倒的な戦力だ。


 近年になってから整備されたそれは、他の部族の過激派を黙らせるには十分であった。

 だが、天狗は傾向として若干頭が硬い。


 今でも人間に勝てると、そう思い込んでいる者も少なくないのだ。


「頭領様! ご意見を! 」

「私は戦には反対です。今回の件は人間の制御を外れた者の行いでしょう。であれば、罪なき者を殺めるような戦いは避けるべきです」


 彼女ははっきりと自分の意見を申し出た。

 うんうんと頷き肯定する者、掟を蔑ろにしていると湧き上がる者、沈黙を貫いて中立に立とうとする者、十人十色の反応がある。


「ええい! 頭領様が戦わなくても、私の村だけでも戦いますぞ! 」


 過激派の1人が立ち上がって勇ましく吠えた。


「なりません! そのような勝手な事は……」

「私は掟に従うまでです! 」


 収拾がつかない。意見はほぼ真っ二つに分かれ、我関せずを貫く者までいる。

 柔軟性の無い天狗を纏めるのは困難だった。


 時雨が歯をかみ締めた時。


「雪様、今は軍議中です! 」

「えぇ、知っていますとも」


 ぱぁんと甲高い音と共に襖が開けられ、雪が姿を見せた。

 見張りの天狗がおろおろと右往左往している。


「雪様、何を……」

「この軍議に意味はありません。すぐに解散してください」


 ざわめきが広がる。上級とは言え、村長でもない彼女が軍議の場に殴り込んで来るだけでもご法度だ。

 しかも、あろうことか彼女は会議を解散しろと言う。


 時雨が頭領でなければ、その場で殺されてもおかしくない。


「何を言っているのか、わかっているのですか? 」

「あと数日もすれば、今回の件の首謀者が捕まります」


 雪は眉ひとつ動かさない。

 時雨が発する覇気にも動じず、その場に立っていた。


「犯人が捕まれば、全てが明らかになります。報復はその後でも良いのでは? 」


 湯が沸いたように、村長達は激昂した。

 口々に好き勝手に喚きたてるものだから、何を言っているのか分からない。


「黙りなさい! 」


 一喝。雪の怒声が轟いた。


「戦だ、報復だと、なぜそうも命を粗末に扱うのですか! 」


 彼女の勢いに押されたのか、村長達はすっかり閉口し、その言葉に耳を傾けた。


「そんなに死にたいのなら、あなた達だけで死んできなさい! 凝り固まった頭で勝手に決めたことを、下の者にまで押し付けるな! 」


 雪の口は回り続けた。


「時雨様、お願いします。私のように、家族をうしなう者を出さないでください! 」


 ――私は、卑怯者だ。時雨様の心の傷に、塩を塗っている。


 時雨は目を見開いて固まってしまった。

 村長達は、頭領に意見を求めた。


「頭領様! こやつの言うことなど真に受けてはいけません! 」

「……軍議は、取り止めです」


 小さく時雨は呟いた。


「何を言って……! 村長でもない天狗の指図を受けるのですか!? 」

「あなたは、五月雨様、でしたね。私の立場は何ですか? 」


 五月雨には、彼女の言葉の意図が読めなかった。


「当然、我らの頭領でございます……」

「では、なぜあなたは私に口答えを? 」


 そこでようやく五月雨は理解する。時雨がいかっていることを。


 聡明で優しい頭領。それが彼女の評価だった。時に甘すぎるほどに彼女は優しい。


 その怒りを目の当たりにする事は滅多になかった。


「い、いえ! 口答えなど! 」

「あなたは、村長でもない者の指図を受けるのか、と言いましたね? だったら、村長の分際で頭領の私に異を唱えることの愚かさも、分かるでしょう」


 五月雨は尻もちをつく。

 白く染った長い髪が揺れる。不揃いな歯が、カチカチと音を立てていた。


「あなたは掟を大事になさっているようです。結構なことです。では、この掟もご存知でしょう? 『頭領に逆らうこと、これを許さない』、報復の掟の1つ前です」


 時雨はゆっくりと五月雨に歩み寄る。

 その迫力に、そのほかの村長達もすっかり縮こまり、彼を助けようともしない。


「掟には従わなければならない。そうですよね? 」

「お、お許しください! す、全てはあなたの御心のままです! 2度とこのようなことは……」


 彼が土下座をして命乞いを始めたところで、時雨の隣に控えていた澄晴が割って入った。


「頭領様がお決めになったことです。軍議は一旦取り止め。異議のある者はおりませんね? 」


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