第76話 焦り
天狗の里の中で、最も大きな家である頭領屋敷。
武士屋敷を思わせる造りになっているその木造建築には、ごく限られた天狗とその紹介のある者にしか立ち入りは許されない。
上級天狗である雪は、その限られた者の1人である。
彼女の紹介であっても、見知らぬ人間共を怪しんだのだろう。すんなりとはいかなかったが、雪の頼みを無下にすることはできず、ついに門番も折れた。
土間造りの玄関から上がってすぐの大広間で、私達は待機させられた。
「よーしよしよし」
芙蓉が膝の上に乗ったキャシーの顎を撫で回している。
いつもは私に乗ってる癖に、甘やかしてくれる人がいるとすぐにそっちに行く。あざとい猫である。
「雪さん、その、大丈夫ですか? 」
横に座る雪の顔色が良くない。心配になって声を掛けたが、どうやらそれどころでは無いらしい。
葵と顔を見合わせ、今はそっとしておくことにした。頭領と会って、何かあったら助け舟をだそう。
「ん? 」
「空亡? どうかしたの? 」
突然、空亡が明後日の方向を向いた。
「……いや、なんでもない。勘違いだろう」
疑問に思いつつも、それ以上の詮索はしない。
――やがて、30分ほど経った頃だろうか。
襖が開き、2人の天狗が顔を出した。
肩口までの黒髪、編み込みが入っていてそれを後ろで縛っている。綺麗な女天狗だ。
もう1人は、精悍な顔をした青年。短い髪の下で輝く双眸は、確かな生気を感じさせた。
女天狗は雪を1目見ると、すぐに目を逸らしてしまった。唇が固く結ばれている。
「お目通りをお許し頂き、ありがとうございます」
雪が頭を下げる。それに倣って、私達も同じようにした。
「……要件は、何ですか? 」
「この者達の話を、聞いてやって欲しいのです」
雪からの目配せで、私達は顔を上げた。
頭領、つまり時雨であろう女天狗の目は曇っている。
麗姫のような威厳は感じず、見た目より小さく見えた。
「短刀直入で失礼します。亡雫を、貰いたいんです」
私が亡雫の名を口出すと、彼女の表情に少しの動揺が走った。
だが、すぐさま時雨は返答する。
「なりません」
「っ! あれが無いと大変なことになるんです! 」
「……分かっています。空亡が目覚めるのでしょう」
時雨の目は、空亡に向けられた。
「そこの男性、あなたが空亡ですね? 」
「そうだ。知ってるなら話は早い。もう1人の空亡の方も……」
「えぇ、存じています」
彼女はぶれない。小銃のような速度で応答を繰り返す。
「だったら……」
「なりません」
空亡は困ったように頭をかく。
天狗というのは、真面目な種族である分融通がきかない、とは聞いていた。
だがここまでとは。
「あの亡雫は、我ら天狗に代々伝わる秘宝。『信頼の出来る者にしか渡してはならない』、と先々代の頃よりの厳命されています」
「
時雨の態度は一向に変わらない。「なりませぬ」という言葉しか返って来ない。
今のままでは埒が明かないと考えた私は、一旦会話を打ち切った。
「分かりました。亡雫の件は今度で構いません。今は、雪さんの話を聞いてあげてください」
良いのか、とでも言いたげな雪に微笑みで合図を送る。
「あの、時雨様! 私は、あの時の事をお詫びしたくて……」
「私に、あなたから謝罪をされる権利などありません」
「いいえ! あの時は私が間違っていたのです! 時雨様は、里を守るために……」
「違います。私がああしたのは、きっと、自分のためなんですから」
雪が時雨の言葉に反発しようとして口を開きかけた時、私達の後ろにある襖が勢いよく開け放たれた。
「取り込み中失礼致します! 時雨様、件の人間達が……」
「またですか。精鋭に対応を……」
「警備の天狗が、殺されました! 交戦した精鋭も5人ほど……。他の部隊が到着した時には、もはや敵の姿は無く……」
「な、そんな!? 」
時雨が初めて、驚愕の声を上げた。
控えて座っていた男天狗も立ち上がって、すぐさま指示を出し始める。
「
黄昏と呼ばれた老天狗が、襖の奥から部屋へと入る。
「は! ここに」
「……下級の天狗達に、戦支度をさせておけ」
「っ!?
「念の為です。これからのことは、軍議で決めましょう」
時雨は固く拳を握りしめ、私達に向き直る。
「今日は、お引き取りください」
どうしようかと葵達に相談しようと隣を見ると、彼女の顔が青ざめていた。
葵だけではない。芙蓉も、今まで余裕な態度を崩さなかった朝水も同じだ。
「お、お待ちください! 」
葵が悲痛な叫びを上げる。
「こ、今回の件は討魔庁もあずかり知らぬ所です! 決して、私達の方から戦いをするつもりはありません! 」
「その通りです! 時間をください! 討魔庁にこの事を連絡すれば、数日の内に首謀者を捕えます! 」
「どうか鉾を収めてください! 時間がかかりすぎるという事であれば、私達が敵の首を……」
葵、芙蓉、続いて朝水が見たこともないほどに動揺していた。
彼女達の悲痛な叫びも、時雨には届かず、やがて警備の天狗に腕を掴まれ、私達は無理やり追い出されてしまう。
外に出てなお、葵達の顔色は戻らない。
「ひとまず、私の家で」
私達は再び雪の家で、葵達から事情を聞くことにした。
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