第75話 時雨の過去
天狗の住まいは、他の藁で作られた家とは違い木造だった。
粗末なものではあるが、天狗の中では上級の立場の者にしか与えられない物だ。
私達は、あの女天狗に手引きされ里へ入る事を許された。
てこでも動かなかった門番も、彼女が中に入れて欲しいと頼むと、先程までの態度が嘘のようにすんなりと門を開けた。
門番は、
「頭領様を助けて欲しいってどういうこと? 」
狭い家に6人と1匹。互いの肩がぶつかりそうな程に寄りあって座っている。
袖の長い山伏の格好をした雪は、長い髪を床につけながら、真剣な眼差しでこちらを見つめる。
「あの方は……里を守るために、罪を背負ったのです」
雪は静かな口調で語り始めた。
***
雪には夫が居ない。既に先立たれていた。その代わりに子が2人いた。
名を兄が
人間からすれば悪天候の名前を冠し、不吉な名のように見える。
だが天狗の社会では悪天候の名は、より『強さ』や『逞しさ』を表し、転じて子供が健康に過ごせるようにという願いが込められている。
特に上級天狗という訳でもない彼女は、住まいもみすぼらしく、毎日を細々と暮らしていたが、新しく頭領となった時雨は、そんな彼女達も気にかけていた。
元々夫が頭領の護衛役を務めていた事もあって、頭領屋敷のそばに住んでいたので、雪達は時雨と接触する機会も多かった。
時雨は、先代とも先々代とも違った頭領であった。彼女は末端の天狗であってもその名を覚え、見かければ声をかけていた。
雹と雷はそんな彼女を慕っており、時雨もよく2人と遊んでくれていた。
「時雨様、これ! 」
雹と雷は2人で作った花冠を時雨に差し出す。
白と黄色の花で彩られたもので、作り方を教えた雪も近くで微笑んで見守っていた。
「ん? くれるんですか? 」
「うん! あげる! 」
時雨は腰を屈めて、双子の手が頭に届くようにする。
「時雨様、綺麗……」
「ふふっ、ありがとうございます」
彼女は双子の頭を優しく撫でた。
優しく聡明で美しい頭領。
里の誰もが、彼女を慕っていた。当然ながら雪も例外では無い。
この方であれば里を、子供たちを守ってくれる。そう思っていた。
だが――
「雹! 雷! 」
――どれ程に時雨が優秀で、強い天狗であっても、守れないものもある。
突如として発生した大竜巻。
自然の力で生まれたものでは無いことは明白だった。
「時雨様はなぜ我々を巻き込んだ!? 」
「それ程の相手だったのか……」
近くの天狗達が騒ぐ声は耳に入らない。
ただ、この惨劇が時雨の力によってもたらされた事は理解した。
今はただ、竜巻に呑み込まれた2人を探さなければならない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
誰かの声が聞こえる。
大きな黒い翼、肩口で切り揃えられた髪。時雨だ。
「時雨様! 子供が、雹と雷が巻き込まれて! どこにいるか分かりませんか!? 」
彼女は雪の顔を見ると、絶望したように目を見開いて、その後俯く。
「時雨様! 」
顔を上げることなく、時雨は近くの崩れた家のそばを指さす。
雪は急いでそこに向かった。
「え? 」
見つけた。見間違うはずが無い。
確かに雹と雷の顔だ。
だが、雷の首から下には何もない。ただ赤く染まった地面があるだけだ。
雹は、上半身だけしか見えない。瓦礫に埋もれている訳でも無いのに。
「あ、ああ、あああ、いやあああああああああ!!! 」
雪は2人の亡骸を抱きしめて必死にその名を叫ぶ。当然、答えは返って来ない。
治癒術を使うが、これも当然効果は無い。
雪は唇を噛み締めながら振り向き、時雨に詰め寄って、全力で殴りつける。
それを見た他の天狗達が慌てて止めに入るが、彼女の怒りは収まらない。
「返せ! 雹と雷を! 」
時雨は抵抗することもせず、ただ「ごめんなさい」を繰り返すだけ。
「人殺し! 返してよ! 私の子供を、返して! 」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
彼女の怒号と時雨のすすり泣く声を拾うものは、誰もいない。
***
「あの時は、気が動転していて……。後から聞けば、時雨様は謀反人とたった1人で戦って、仕方なく力を使ったと知りました」
俯き気味に彼女は語る。
「いえ、少し考えれば時雨様が軽々しくあんなことをするはずがありません。私は、愚かでした」
その場の誰もが言葉を探っていたが、最初に口を開いたのは葵だった。
「その、仕方が無いと思います。お子さんを亡くされた直後ですし。あ、分かったような事を言ってごめんなさい」
固く結ばれていた雪の口が少しだけ綻んだ。
彼女はそのまま続けた。
「時雨様は、あの時被害を受けた天狗全員を、補償として上級天狗に昇格させました。この家も、その時貰ったものです。私もあの時の愚行を詫びたかったのですが、あれ以来、時雨様が里を出歩く事も少なくなって……」
雪は三つ指をついて、私達に頭を下げる。
「どうか、お願いします。私も一緒に時雨様に会わせてください。あの方を、苦しみから解き放ちたいのです」
私の返事は決まっていた。
「えぇ、もちろんよ。断る理由なんて無い」
「ありがとうございます! 」
私達は彼女の案内のもと、時雨がいる頭領屋敷へと向かった。
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