第71話 悪夢の始まる音
「とまぁ、こんな具合で。なぜかは分からぬのですが、唐突に振られてしまいました」
康二は明るく笑っているが、こちらはかける言葉が見つからずにいる。
ちょっとした失恋話ではない。
2人が口付けを交わした話をしている所で茶々を入れていた葵は、茶化したことが気まずいのか、目を泳がせながら冷や汗を流している。
「ちょっと、空亡。年長者なんだから気の利いた事の1つも言いなさいよ」
「無理に決まってるだろ。お前こそラブソングとか歌ってるんだからどうにかしろ」
ヒソヒソと私と空亡が責任の擦り付け合いをしているのを横目に、康二は布団の横に置いてあった手紙を手渡してくる。
「効果は薄いかもしれませんが、無いよりはマシでしょう。時雨様に渡してみてください」
「まず頭領に会えるのかしら……」
麗姫の時は空亡が知り合いだったから何とかなったが、今回はそうもいかない。
どうしたものかと悩んでいると、葵のスマホが鳴った。
「夜子さんからだ」
葵は1度電話に出たあと、直ぐにスピーカーにして全員に聞こえるようにした。
「ゲホッ! ゲホッ! もしもーし、聞こえるかしら。ゲホッ! 」
スマホの向こうから咳き込む声が聞こえる。
「夜子さん風邪引いたの? 」
「莉子ちゃん? そうなのよ。夏風邪が長引いちゃって」
落ち着く、風鈴のような声色だ。
「康二さん、お体の方は? 」
「はっはっはっ! まぁ、今は元気ですが、時期に死ぬでしょうなぁ! 」
老人特有の寿命トーク。恐らく、この世の誰もが上手い返しを思いつかないだろう。
夜子さんも例に漏れず、「ははは……」と愛想笑いをするだけだ。
「それでどうしたの? 夜子さん」
康二の失恋話から話題をそらす先を見つけた葵は元気を取り戻していた。
「それがね、天狗のとこにもいるみたいなのよ。興亡派の連中」
私達は、夜子さんの口からでは興亡派という言葉に警戒を強めた。尾延山で戦った男と女。あいつらはかなりの手練だった。
「芙蓉ちゃんと朝水ちゃんはもう戦ったらしいわよ。下っ端相手だけど」
「そーなんだ」
あまりにも薄い反応を示す葵。
相手が下っ端とはいえ、仲間が心配ではないのか。
「ちょっと、いくら何でももうちょっと心配してあげても……」
「大丈夫だと思うよ。芙蓉さんだってめちゃくちゃ強いし、朝水ちゃんは……殺しても死なないし」
同僚の実力に絶対の自信を置いているのか、葵は彼女達の勝利を信じて疑わない。
それは概ね正しく、興亡派の下っ端共は軒並み捕えられたそうだ。
「へぇ、意外。殺さなかったんだ、朝水ちゃん。いつもは殺害許可が出てる相手はすぐに真っ二つにするのに」
眼鏡、淫乱に加えて狂戦士という属性までが追加される東雲朝水。
どれだけ特徴を盛り込めば気が済むのか。
「あー、昨日芙蓉ちゃんとは別のホテルに泊まったらしいの。多分相手の男性が好みのタイプだったんでしょうね。機嫌が良かったんだと思うわ」
男の良し悪しで他人の生殺与奪が決定するのであれば、仮に空亡の性格がお眼鏡に叶わなければ、この女は敵になるのでは無いか。
一抹の不安が私の胸をよぎる。
「それでね、莉子ちゃん。とりあえずダメ元で天狗の里に行ってみて欲しいの。追い返されちゃったら、その時考えて。残念ながら、私にも良い方法は思いつかないわ」
夜子さんは「あぁ、それと」と1つ付け足す。
「朝水ちゃん達、そっちに行ったらしいわよ。衝動が抑えられないから会いに行くって」
インターホンの音が鳴る。
私達、いや。空亡にとっては、悪夢が始まる音だ。
少し経って、高道が顔を出した。
「東雲朝水さんと、香月芙蓉さん、と名乗る女性が2人お越しです」
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