第69話 地獄

 時雨を中心に巨大な竜巻が周辺の大気を切り裂きながら、大地を破壊していく。


「馬鹿な! 里を巻き込むつもりか!? 」

「あなたを倒すには、仕方の無いことです」


 ――そう、仕方がない……。


 彼女は、霧雨という将来の脅威を排除するため、里の天狗を犠牲にする決断をした。


 その目に映るのは天狗たちの家が破壊されていく様子。

 時雨が起こした風で引き裂かれる者、吹き飛ばされ地面に叩きつけられるもの。


 そして、彼らが死んだ証拠となる大量の血。


 下唇を噛みきるほどに口を力を込め、彼女は自らの罪悪感を押し潰した。


「こんなもの! “来迎神風らいごうかみかぜ”! 」


 霧雨は自分に向かってくる竜巻を防ぐため、自らも時雨と似た技を使った。

 時雨が出したそれよりも遥かに巨大な竜巻。


 里の被害を考えなくて済む彼は、惜しげも無く全力を出せる。


 時雨の技は押し返されつつあった。


「くっ、ああああああ!! 」


 彼女はまた力を込める。

 戦いに巻き込まれて死んでいく天狗達を、頭の中から追い出すようにして叫んだ。


 壊れた結界の隙間から、子供天狗が2人見えた。


 ***


「時雨様、これ! 」


 8つほどになる双子の天狗達が、時雨に花冠を差し出した。

 可愛らしい男の子と女の子だった。


「ん? くれるんですか? 」

「うん! あげる! 」


 時雨は腰を屈めて、双子の手が頭に届くようにする。


「時雨様、綺麗……」

「ふふっ、ありがとうございます」


 彼女は双子の頭を優しく撫でた。


 ――この子も産まれたら、こんな感じでしょうか。


 彼女は双子を微笑みながら見守りつつ、いずれ産まれる自分の子に想いを馳せていた。


 ***


「あの時の……」


 時雨に花冠をくれた幼い双子。


 2人は突如として現れた竜巻を、呆然と見つめていた。


「あっ……」


 時雨が逃げて、と叫ぼうとした次の瞬間には、2人は風に呑まれた。


 それだけでは無い。

 彼女を慕ってくれた同胞が、次々と彼女の力によって引き裂かれていく。


 一瞬、力が弱まった。


 霧雨はその隙を逃さない。


「やはり貴女は、修羅にはなりきれん! 」


 小さくなった時雨の技は、霧雨の技に飲まれていく。


 風が、彼女の皮膚を切り裂いた。


「くっ! 」


 覚悟を決めたつもりでも、1度惨劇を見てしまえば、それは頭にこびりついて離れなくなる。


 霧雨は強い。だが、彼女が全力を出せば、勝てない相手ではない。


 彼は時雨が全力を出せないことも計算に含めて襲撃したのだ。


 ――あなたが背負っているその荷、私にも分けて欲しいのです。


 罪悪感に心が押し潰されそうになった彼女の脳裏に、康二が語りかける。


 ――たとえあなたの月が陰り、見えなくなっても、それを愛しましょう。


 ――人と妖怪は共に歩めると思うのです。


「康二、様……」


 ――そうだ、死ねない。死んだら、いけない!


 時雨は妖力を全て解放した。

 先程よりも更に激しく、里は蹂躙されていく。


「うあああああああああ!!! 」

「里ごと消すつもりか!? 」


 涙を風に飛ばしたながら、彼女は霧雨の竜巻を押し返す。

 叫び声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。自分の名を呼んで助けを求めている。


 その1つ1つが彼女の心を蝕み、脳を焼いていった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 力を解放しつつ、彼女は呟くように謝罪する。

 罪の意識に殺されないよう、体が防衛本能として涙と言葉を押し出していた。


「時雨様! 助けて、助けてぇ!! 」

「うわああああ!! 」


 呼吸が浅くなる。

 心臓が早くなる。


「馬鹿な! この女が、里を切り捨てるなど……! 」


 霧雨は体を裂かれながら、徐々に消滅していく。


 時雨の目は、既に霧雨の方を向いていない。

 彼女が今戦っているのは、己の犯した罪過である。


「ああああああ!! 話が違うぞ、! お前が大丈夫だって言ったのに! 」


 霧雨の体が破裂し、消えていく。

 時雨は勝負がついたことを確認すると、すぐさま術を解除した。


 ***


 地獄だった。


「痛い! 痛い! 早く、治して……! 」


 手足を欠損し、のたうち回る者。


「子供を、助けてください……。誰か、治癒術を……」


 バラバラになった赤子を抱いて助けを求める母親。


 原型もとどめずに死んだ者。


 全て、時雨がやったことである。


 彼女は光の無い目で、見かけた怪我人に治癒術をかけて回った。


 ふらふらとした足取りで歩いていると、子供の頭が2つ瓦礫の間から見えた。


 花冠をくれた、双子だ。


「っ! 待ってて! 今、助け……」


 瓦礫をどかし、治癒術を試みようとする時雨は絶句した。


 妹の方にあるのは、頭だけだった。首から下は、破裂してしまったのか、水風船が割れたように血の海が広がっている。


 兄の方は、下半身が無い。時雨が前を見ると、千切れた彼のものであろう腰が見える。


 兄の手は、妹の方へ伸ばされていた。

 彼女の手があったであろう場所に。


 目を開けたまま死んだ、双子の目が、彼女を捉えた。


「うぐっ! おええっ……! がはっ! 」


 せり上る嘔吐感から、胃液を吐き出す。

 胃の中には何も入っていないはずなのに、吐き気が止まらない。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 頭を抱えながらすすり泣く時雨の声は、地獄の中の喧騒にかき消されて消えていった。

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