第68話 罪

「あなた、同胞を……! 」

「言ったでしょう? もう手を取り合う時は終わった! これからの天狗は、弱肉強食の理が全てを支配するのです! 」


 猛烈な突風が吹き荒れた。その風よりも速く、霧雨は時雨の視覚外に潜り込み、彼女の腹めがけて拳を突き出す。


 ――いけない!


 腕でそれを庇う時雨。彼女の腕は強烈な痛みと共に吹き飛ばされていく。


「ぐああああ!! 」


 悶えながらも、彼女は腕を修復する。

 霧雨の一撃は速く重い。彼女ですら反応が遅れた。


「ははははははっ!! ははっ! ふぇっ! 」


 霧雨は歪んだ顔を手で覆いながら、狂乱の笑い声を上げる。


「ふへへっ、ふへっ! あああああああああ!!! 」


 しかし、表情が即座に切り替わると、今度は発狂したように叫びながら、自分の顔の皮膚を引きちぎった。


「な、なにを……! 」

「うるさい! うるさい! 今から殺すところだろ!? 一々喋るな! 」


 彼が誰と話しているのか、時雨には分からない。

 ただ、目の前の老天狗が狂っていることだけは分かった。


「へ? あぁ、済まない大声出して。そうか、お前は私を心配して、へへっ! くははははっ」


 霧雨の身に何が起こっているのか。時雨にとっては、そんなことどうでも良かった。

 今、彼女が考えるべきことは、どうこの男を倒すか、それだけだ。


「“カマイタチ”! 」


 時雨は腕を大きく振り抜いて、突風を巻き起こす。

 その風は刃と化して霧雨の体を切り裂いた。


 確実に真っ二つに切れたはずのその肉体だが、彼の体は即座に修復していく。


 ――やはり、妖力が強くなっている。もっと強力な攻撃じゃないと、効果がない……!


「ははっ! お返しですよ! “カマイタチ”! 」


 時雨と同じ、風による刃。

 だが、霧雨のそれは彼女が放ったものより遥かに大きく、そして鋭かった。


 時雨は全身に風を受け、身体中を滅多切りにされる。

 痛覚は強烈なものであったが、大妖怪である彼女にとっては致命傷ではない。


 修復していく体の内、腹にだけは傷1つない。


「そのような枷を宿していては、満足に戦えないでしょうに」


 霧雨は、彼女が身篭っている事を知っていた。時雨がその身に宿す我が子を、守りながら戦わざるを得ないと判断して攻撃している。


「貴女は甘すぎる! その忌み子だけでは無い! 里のことを考えるあまり、本気を出せていない」


 時雨が本気で戦えば、霧雨は難なく倒せるであろう。

 だが、頭領たる彼女が本気を出せば、里に対する被害は甚大なものとなる。


 今張られている結界は、戦闘の余波を外に漏らさずに防いでくれるようなものでは無い。


 時雨がその力を解放すれば、里は半壊するだろう。


「だから我らは勝てない! 先代も先々代もそうだった。みな、甘すぎる! 」

「九尾も、そして今は鬼も、無益な争いはしていません。時代は変わっているのです。どちらが上とか、勝った負けたで語る時ではありません」


 霧雨は齢4000歳を超える。寿命が長い妖怪の中でも、特に長く生きていた。


 彼が若かったころは、妖怪達にとって争いの時代だった。

 霧雨は時代を逆行させ、再び妖怪同士で戦をしようとしている。


「今の妖怪共は腑抜けている! 妖として生を受けたからには、その圧倒的な力を振るうことこそ生きる道! 人を喰らい、他の妖怪を殺し、頂点を極める! あの時代こそが、我らの黄金期だ! 」


 老天狗は腕を大きく広げ、天に向かって叫ぶように演説した。


「それが、今はなんだ? 天狗も九尾も、果ては鬼までもが、人には危害を加えないなど甘いことを言って! しかも、我らが頭領は下等種族の人間の子を孕んだ! 知恵を持たない下級妖怪どもの方が、余程に妖怪らしいではないか! 」


 彼の目は曇っている。今の時代を直視できず、好き勝手に暴れていた時のことを忘れられずにいる。


様ですら隠居してしまった。ならば! 儂がやるしかあるまい! あの時代を知っている、儂が……」

「くだらない」


 時雨は言葉を吐き捨てた。


「早い話が、若いころの破天荒が忘れられない、というだけではないですか」

「なんだと……? 」


 霧雨の眉間にシワが寄っていく。

 瞳孔が開き、目が揺らぐ。


「人と妖怪は分かり合うことができます。この子が、そう教えてくれました」

「……じゃあ、その子も! 忌まわしき貴様の夫も、我が屠ってくれよう! 」


 確かに、腹の子をかばいつつ、更に里のことまで気にかけていては、時雨に勝ち目はない。


 ――康二様、私は今から許されざる罪を2つ、犯します。


 彼女は1つ目の罪を、実行しようとしていた。


「“乱風散華”! 」

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