第66話 反逆

「氾濫因子……? 」


 康二の負傷事件から10日ほど経ったある日、側近から報告があった。


 若輩者の時雨が頭領となることを良く思わない天狗がいると。


「はい。近頃、霧雨殿の周りで不穏な動きが……」

「霧雨が……? あの方は先々代の頃からの長老です。そのような事をするとは……」

「決定的な証拠はありません。ただ、外部の人間と結託しているという噂があります。人間が霧雨殿の屋敷出入りするのを見たというものも。頭の片隅にでも、入れておいてください」


 霧雨という天狗はこの谷では最年長の天狗だ。その経験と知恵を他の天狗達から頼られており、時雨もまた例外ではない。


 谷の統治について、彼に相談を持ちかけたこともあるし、 今も彼は頭領屋敷に出入りする権限を持っている。


 しかし、本当に心当たりがないかと言われればそうとも言えない。


 彼は老齢であるが故に、いささか伝統や年功序列というものに縛られるきらいがある。


 妖力だけの時雨を、霧雨が侮っていたとしても不思議なことでは無い。

 そもそも時雨は家系図から見れば身分が高いとは言えず、父も母も烏天狗ではあるが、その翼は小さい。


 彼女が大天狗として産まれたのは、ある種の突然変異であった。


 また、次期頭領として時雨ではなく、霧雨を推す声も少ないながらあったのだ。

 その者たちが結託して反乱を起こそうとする、ということもまた考えられる。


「……分かりました。私も、自分の身の回りには気をつけましょう」


 しばしの思案の後、時雨は答えた。


 彼女は天狗の中では最も強い。命を脅かす存在など数える程度にしか存在しない。

 直接自分の命を狙う可能性は低いだろうと彼女は考えていたが、用心するに越したことはない。


 ***


 夜も更けたある日の深夜。時雨は厠に立った。


 いつもの縁側を歩きながら、彼女は勘づいていた。


 ――刺客ですか……。まさか、直接狙いに来るなんて。


 時雨の持つ力は、天狗であれば誰もが知るところである。

 戦いを挑むなど、自ら命を捨て去るようなものだ。


 だが、1つだけ気がかりがあった。


 彼女は自分の腹を撫でる。


 ――絶対、守らなきゃ。


 戦いとなれば身体への負担は避けられない。身重みおもである彼女にとっては、死活問題であった。


 間違っても、腹に攻撃を受けるなどあってはならない。


 ――この子を産んで、いつか康二様と共に暮らすんだ。


 彼女は息を大きく吸ってから、自分を尾行しつつ、不意をつこうとする影に向かって叫んだ。


「不意討ちなど出来ませんよ! 出てきなさい! 」


 そよ風が頬を撫で、それと共に現れる5人の天狗。

 4人は精悍な顔つきをした、青年の天狗であった。


 もう1人は、髪が白く染まり、所々が禿げ上がった年寄りだ。

 前髪が目にかかっている。


「霧雨様……」

「ご機嫌麗しゅう、頭領様」


 口角を釣り上げて笑う霧雨を、彼女は不気味に思った。


 思慮深い霧雨が、このような無謀ともとれる戦いを挑むなど考えにくい。


 何か策がある。そう直感した。


「曲者です! 誰かいないのですか! 」

「無駄です」


 時雨の叫びを、霧雨は冷たく遮った。


「屋敷の警備は殺しました」

「なっ……!? 」


 妖怪の頭領というものは、自分を守る護衛など置かない。

 多く場合、その種族で最も強い存在である頭領に対して警備など不要だ。


 今回は怪しげな噂を聞きつけていた事もあって、3人護衛を配置した。


 彼らは皆、天狗の中でも強力な者たちだ。

 霧雨もまた強者だが、老天狗の彼が勝てる相手ではなかった。


「馬鹿な……! あの者共は……! 」

「えぇ、えぇ、強い天狗です」


 霧雨は、前髪を上げて自分の目を時雨に見せつけた。


「しかし、“これ”には及ばない」


 霧雨の目が赤く光っている。

 そこからは溢れでんばかりの“霊力”を感じた。


「それは、霊力……? まさか、あなたは本当に人間と……」


 彼が人間と結託している、という噂は本当のようであった。

 妖怪が使う術とは明らかに違う。


 からくりは分からないが、霧雨の力は大きく膨らんでいた。


「貴様のような小娘が、ワシの上に立つなど、認めぬ! 断じて! 」

「やはり、それが理由ですか」


 歴戦の老天狗はニヤリと笑った。

 自らの勝利を確信しているように。


「殺さねばならない。お前も……腹の忌み子も……! 」

「っ!? 」


 ――バレている!? なぜ……!


 秘匿されていた情報を、霧雨が知っている。

 しかし、何故だと聞き返す時間は無かった。


「死んでしまえ! 未熟者が! 」

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