第64話 月が綺麗でなくとも

 康二は自身の失態で生まれた諸々の諸問題を片付けた後、時雨との逢瀬を重ねていた。

 将来的に多くの者を束ねることになるという共通項のある2人は、会う度にその距離を縮めている。


 偶然にも2人は年齢も同じであった。

 妖怪というものは、何百歳となっても肉体は若いものだが、時雨はまだ17である。

 彼女達妖怪は20程度までは人と同じ早さで成長を重ねるが、ある時に加齢が止まり、数百年、数千年と若々しい全盛期の肉体を保つのだ。


「頭領様の病の方は? 」


 康二にとって気がかりだったのは、時雨の頭領就任の時期である。

 当代の頭領が死んでしまえば、彼女はその座につくことになるだろう。


「……芳しくありません。もっても一月ほどかと」

「不安、ですか? 」

「はい」


 呟いた時雨の瞳は月明かりに照らされ、上等なガラス細工のように輝いていた。


「時雨様……! 」


 突然に大きく声を出した康二を、彼女は不思議そうに見つめている。


 彼が道中で考えてきた台詞は、この瞬間にどこかへ飛んでいってしまった。


「いえ、その……、あなたが背負っているその荷、私にも分けて欲しいのです」


 康二が発した言葉の意図が読み取れない時雨は、尚更に顔に浮かべる疑問の色を強めていた。


「ですから、その、共に! 歩みたいと」


 ここまで聞けば、彼女にもその言葉の意味は理解出来た。


 人と妖。本来であれば許されない恋である。


 しかし、自らの内情に嘘をついて騙すこともまた、彼女には許されざる行いであった。


「私は、天狗です」

「えぇ、存じています。あなたの翼が教えてくれましたから」

「私と共にいれば、あなたは人間として歩むことは出来ません」

「構いません。あなたの永い一生の、ほんの少しでも、あなたの心を癒せるのなら」


 大きな満月が出ている。

 まるでランプのように2人を明るく照らしていた。


「……はい、喜んで」


 目尻に雫を溜めながら、彼女は笑顔で康二の告白に応じた。


 2人はしばらくの間、抱きしめ合っていた。


「……今日は、月が綺麗ですね」


 康二の腕の中で時雨は呟くように言った。


「今、私は自分が妖怪で良かったと思っています」

「何故ですか? 」


 互いの顔が見える程度に体を離し、彼女は康二の目を真っ直ぐに見据えて言う。


「あなたの目に映る私は、いつまでも美しいままでいられるから」


 満月にチリのような小さい雲がかかる。


「美しい月も陰ってしまえば、人の目も、心も、奪うことはできませんから」


 康二は彼女の肩を抱く手に力を込めた。


 月にかかった雲が通りすぎる。


「私は、たとえあなたの月が陰り、見えなくなっても、それを愛しましょう」


 時雨は大きく目を見開く。

 彼女もまた女である。愛する者の前では、美しくありたいと思っていた。


 時雨は自分の心臓が高鳴るのが分かった。

 胸の中心が早鐘を打っている。


「ありがとう」


 ひと言だけ答えた彼女は、再び康二の腕の中へと戻っていった。

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