第63話 自分というもの

 最後の晩餐かと思うほどに、腹に飯を詰め込んだ康二は、時雨に自分の身の上を話した。


 一時の感情に任せて父に反発し、家を出たこと。それを後悔していること。父に見捨てられていないか不安なこと。


 時雨は決して彼を否定することはなく、相槌を打ちながら話を聞いた。


「申し訳ありません。出会ったばかりなのに、愚痴を言ってしまって」

「ふふっ、構いませんよ。誰にだって1度は親に歯向かってみたくなるものです。妖怪だって、それは変わりませんよ」


 何か含んだ顔をする時雨を見て、康二は彼女のことを無性に知りたいと思った。


「良ければお話を聞かせて貰えませんか」


 彼女は少し迷った後、記憶を辿るようにゆっくりと話し始める。


「実は私は、次の天狗の頭領、ということになっています」

「なんと……」


 天狗と言えば九尾と鬼に肩を並べる妖怪。その頭領となれば、とんでもない大妖怪である。


「妖怪の頭領は血筋では決まりません。その部族の中で最も強い者が頭領となります」


 時雨は自分に生えた大きな烏の翼を広げて見せた。


「私は今の天狗の中では唯一の“大天狗”です。必然的に、私が次代の頭領となります」


 大天狗は天狗の中でも最も強力な種族である、と康二は聞いた事がある。


「当代の頭領様は病床にあります。もう長くはないでしょう」


 彼女は伏し目がちに話す。

 手をもじもじと動かしながら、彼女は続けた。


「私には、自信がありません。私に備わっているのは、力だけ……。天狗達をまとめていけるのかどうか……」


 康二には時雨の抱く不安が理解できた。

 日本有数の富豪である神室家の跡取り。天狗という強力な妖怪達の長になる女。


 2人の境遇はどことなく似ていた。


「私も、分かります。その気持ち」

「え? 」

「自分も、家を継いだ後、商売をやっていけるか、部下達を纏められるか不安なのです」


 時雨は彼の手を取って、微笑を浮かべて言う。


「似たもの同士、ですね。私達」


 温和なその笑みに、康二はどこか安心する感覚を覚え、彼もまたその手を握り返した。


「私は帰って、父に謝ってきます」

「はい。それが良いでしょう」

「そ、そうしたら! また、会いたいのです」


 康二はじっ、と時雨の目を見て言った。

 その視線を感じていると、時雨にも何か熱いものが込み上げてくるのがわかった。


「ここは、人間は立ち入り禁止ですよ? 」

「こ、こっそり! 隠れてきます! 」


 赤面しながら答える康二がなんだかおかしくて、時雨は笑う。

 目尻の涙を拭う。


「見つかってはなりませんよ? 境界までは、私が迎えにいきますからね」

「は、はい! 」


 ほっと息をついた康二は、父に対する謝罪の言葉と、お見合いを断るための交渉について考えていた。


 ***


 その晩に、康二は烏鳴谷を出て家に戻った。

 父に再会した彼は、殴られることを覚悟していたが、父から貰ったのは拳ではなく抱擁だった。


「あぁ、良かった……。心配したぞ、康二……」


 厳しかった父の涙を見たのは、これが初めてだった。

 康二は謝罪の言葉を何度も口にしながら、自分も固く父の背中を抱きしめたのだった。


「父さん、話があるんだ」


 そう言う彼の目を見て、父は全てを悟る。


「……見合いは無かったことにしよう」

「え!? 」


 康二がうんと考えた言い訳、口実が泡となって霧散していく。


「惚れた女ができたのだろう」


 全てが見通されていることを知った康二は、それ以上は何も言わなかった。

 ただ迷惑をかけた人間1人1人に謝罪をして回った。


 今彼が見合いを断った理由は、単なる突発的な反抗ではなく、確かな自分の意志を貫くためのものだ。


 康二はここに初めて、自らを表現できたのであった。

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