第61話 天狗の頭領

 がぁ、がぁ、と不思議な音を立てながら風が空気を切る。

 あちこちに点在する、藁で作られた天狗の家から飯を炊く煙が立ち上っていた。


 ここは烏鳴うなきたに。吹きやまない風が奏でる音が、からすの鳴き声に似ていることからその名が付けられた。


 辺りを山に囲まれたこの地形は、天狗の支配領域である。

 人里からわずか30キロの場所にあるが、立ち入りは固く禁じられていた。


 その天狗の家の中に、一際大きな屋敷が目につく。

 他の家屋は藁で作られた質素なものであるのに対し、この屋敷だけはしっかりと木造で作られていた。

 屋根こそ他と同じように藁が使われているが、ここに住まう天狗が特別な存在であることは明らかだった。


 ***


「では、そのようにお願いします」


 旅館の大宴会場を思わせる大きな縦長の部屋。


 そこに天狗がずらりと並ぶ様はまさに圧巻であった。


 その最端、武具と名画が飾られたスペースの前に、1人の女天狗が座っている。


 髪は肩口で切り揃えられ、その一部を編み込んで頭の後ろで小さなポニーテールにしていた。


 背中には大きな黒羽を畳んでおり、その大きさは彼女が大天狗おおてんぐであることを示していた。


 顔にはまだあどけなさが残っており、人間で言えば22歳程だろうか。


 彼女の号令を合図に、整列していた天狗達が一斉に部屋を出ていく。


「お疲れ様です母上」


 ただ1人、彼女の傍らに控える天狗だけは部屋を出ることはなく、彼女を労った。

 その天狗の背中に生える翼は、少し小ぶりであった。


「あなたもですよ澄清ちょうせい。調整に随分駆け回ってくれましたね」


 凛とした、しかし可愛らしい声だった。


 95歳の、妖怪としては非常に若い頭領である彼女、時雨はようやく日々の執務に慣れだした頃だった。


 だが、最近は問題が多く起こっており、その処理に忙殺されていた。


「本当に、人間とは戦わないのですか? 」

「はい。あの狼藉者共は、恐らく人間の中でも悪党の部類でしょう。罪のない人の子に、それを背負わせることはできません」


 数日前より谷に人間が出没するようになった。人の法律で立ち入りが禁じられたこの地へ入れば、その人間は裁かれることになる。


 それを案じた天狗達は、立ち入った人間に大事になる前に立ち去るように警告した。


 天狗もまた九尾、鬼と並ぶ三大部族。理性が高い彼らは無闇に人を襲ったりはしなかった。


 先に手を出したのは、人であった。


 警告に来た天狗の哨戒達に対して、霊術で攻撃を仕掛けてきたのだ。

 九尾と違い、彼らは数が多い分全員が大妖怪ということは無い。


 幸いまだ死傷者は出ていないが、時雨は先んじて手を打ち哨戒班の数を削減。その分1班につき1人、大妖怪である烏天狗を付けることにした。


 古くからの天狗のしきたりとしては、人から攻撃を受けた場合には、人里を襲撃することになっていた。


 だが、彼女はそれを良しとしなかった。


「人間の霊術師達は随分と強くなりました。人に危害を加えれば、私達は討伐対象となるでしょう。そうなれば、どれだけの天狗が死ぬか……想像もつきません。それに……」

「それに……? 」


 彼女は目を伏せて、彼の言葉を思い出す。


「私には、決して違えてはならない、約束があるのですから」

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