第57話 操り人形

 むき出しの鉄骨が錆びついている。崩れた壁から月明かりが差し込む中、2人の男が汚れた西洋風のチェアに座っていた。


 青い法衣を身にまとった男は、目にかかる程度の長さの髪の毛を弄びながら、隣に座る和服の男に喋りかける。


「どうだ。ここは月がよく見えるだろう」

「月見だったらいつもの屋敷でいいだろ。なんでわざわざここに来る? もういいか? 霊体の方がよく眠れるんだが」


 和服の男は青い目を夜空に反射させながら、空に浮かぶ月を見ていた。


 崩壊したビルの隙間から覗く満月は、下界の人間たちには影響されず、変わらずにいる。


「西郷と美作が負けたみたいだぞ」


 彼はその言葉にも動じることなく、顔を空から離すことは無い。


「奴らは生き返って間もないだろ。美作に至っては、殆ど霊力が回復していなかった。まぁ、予定通りではあるのだろう? 」


 チェアが軋む音が聞こえる。法衣の男は体を後ろに倒して、全身から力を抜いていた。


「大蛇はこっちにも首があったからじきに生き返る。あの2人も、お前が戻せばいい。だが……」

「なんだ? 」


 法衣が擦れる音が、静かな部屋の中であるから、より音が響いた。


「あいつらはやる事が気に食わん。もうちょっと地獄で苦しんでいてもらう」

「悪党の癖に余計な道徳観など持つな。偽善だぞ」

「こりゃ手厳しいね」


 2人の会話は全く弾むことはない。

 話題が切り替わる度に会話がとぎれる。


「なぁ、もう少し仲良くしようぜ。せっかく俺の式神になったんだからよ。なぁ――」


 和服の男は少しだけ目を動かした。『式神』という言葉に反応したようだった。



「――空亡」


 空亡は何も言わない。

 ただ黙って、彼の言葉を聞くのみだ。


がこっちにある限り、お前は俺に従うしかない。いい加減に諦めろ」

「……分かっている」


 隙間から見えていた月に、影が重なる。ビルの上から這ってきた、大きなカメレオンのような妖怪が彼らを見ていた。


 背中にある無数の目をバラバラに動かして、法衣の男を補足する。


 その刹那、妖怪の体が弾け飛んだ。

 飛び散る血は男たちにかかるほんの手前で停止し、落ちていく。

 彼らには返り血は一切かかっていない。


「嫌な世界だよなぁ、本当に」


 座ったまま続ける法衣の男。


「妖怪よりずっと弱い人間が支配しているのに、永らえている世界。反吐が出る」


 おもむろに席から立ち、彼は崩れた隙間へと向かった。

 広がる東京の街を見下ろしながら、振り返って空亡に告げる。


「一足先に帰る。お前はもう少し月見を楽しみながら、昔のことにでも想いを馳せるんだな」


「じゃあな」と言ってビルから落ちた男の気配は、一瞬にしてその場から消えた。


 空亡は舌打ちの後、床を思い切り蹴る。


「俺は好き勝手に生きてみせるぞ」


 突然、突風が吹き荒れる。


「――――」


 彼が口に出した名前は、風に掻き消され部屋に響くことは無かった。

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