第55話 母の夢、子の夢
宴会から1夜明け、私達は次の目的地に向かうことにした。
美緒さんからの連絡で、夜子さんが占った結果、長野県に次の亡雫があるという。
葵達は二日酔いで潰れた私を置いて先に屋敷を出た。
彼女達を恨めしく思いながら気だるい体を引きずって、私も屋敷の庭に出た時、麗姫が何かを手に持って声をかけてきた。
「莉子、これを持っていくと良い」
麗姫が手渡したのは勾玉だった。翡翠色に鮮やかに光る美しい石だ。
紐が通してあり、首から下げることができるようになっている。
「これは……? 」
「お主の母、九条紗奈が置いていったものじゃ」
「お母さんが? 」
母から九尾の里の話は聞いたことが無かった。彼女は仕事の話を私達にすることを避けていたから。
妖怪の話も聞いたことがないし、まさか九尾の頭領と知り合いだったとは思いもしなかった。
「魔除けの勾玉じゃ。10年ほど前か、あやつが妾を討伐しにきてな」
「え!? お母さんと戦ったの? 」
「うむ。その時の討魔庁長官が大妖怪の力を危険視してな、紗奈を派遣したのじゃ。あの時は死んだかと思ったぞ」
母は麗姫を追い詰めたのだろう。頭領クラスの大妖怪をも相手にできるとは、やはり彼女は凄まじい巫女だ。
「あやつは、不思議な人間だった」
***
「はぁっ、はぁっ……。お主、本当に人間か? 」
至る所にクレーターが生まれた荒れた森の中、九尾の狐と巫女は向かい合っていた。
九尾は口から一筋の血を垂らし、全身に傷を作っているが巫女は無傷である。
狐にとって、人間相手にここまで歯が立たないのは初めての経験であった。九尾の頭領として君臨してきた彼女は、大妖怪の中でも上澄みの存在。
そんな自分を圧倒する人間に、焦りを感じていた。
巫女がおもむろに手を上げる。
次なる攻撃の準備かと身構える九尾。
しかし、攻撃はやってこなかった。
「はぁー、やめやめ。なによ、やっぱり悪い妖怪なんていないじゃない」
巫女は手をヒラヒラと払って、見るからに力を抜いた。
拍子抜けする九尾に、彼女は言った。
「もう戦うの止めましょ。善人を殴り殺すほど気分が悪いことはないわ」
***
「結局、あやつは妾を殺すこともなく、宴会でしこたま酒を飲んで、詫びの品としてそれを置いて帰って行きおったわ」
おそらく、そのあとの事は、まぁ良くないことが起きたであろう。
主に討魔庁長官の身に。
「しかも、この里を守るための結界も、元はあやつのものじゃ」
彼女は随分と顔が広い。
母が私達の家に張った結界は、霊力移送型の結界。霊力を結界として設置するため、本人が死亡したりしてもそのまま残り続ける。その代わり、術者の霊力はその分削られるが。
まだ結界が残っているところを見ると、この山の結界も同じものだろう。
「あやつの遺したものは日本中にある。他の妖怪の里にも、あやつが張った結界があるじゃろう」
彼女は顔を私に近づけて続ける。
身長の高い彼女の方が腰を曲げる形だ。
「九条紗奈が目指していたものは、知っとるか? 」
「……知らない。教えて」
お母さんが長く共に過ごす中で口に出さなかった、巫女としての目標。
私は彼女の母親としての優しさは知っているが、その内面の奥底にある人格については、意外と不明瞭なものが多かった。
「妖怪と人間が手を取り合って暮らすこと」
私はもしかしたら、彼女が巫女の仕事を嫌っていた理由を、思いついたかもしれない。
力を振るって、相手を殺めることが嫌いだったのだ。
例えそれが妖怪であろうとも。
1口に妖怪と言っても様々なものがある。
言葉が通じない者。人を食う、凶暴な者。麗姫達のように穏やかな者。
だが、人間に害を与えることのない九尾達であっても、外界との繋がりを避けて暮らしている。
討魔庁から討伐命令が下されるほどに、その存在が危険視されているのが現状だ。
母は夢想したのだろう。
昨夜の私達のように、妖怪と人間が同じ食卓を囲んで、酒を酌み交わして笑い合う姿を。
果たしたいと思った。彼女の夢を、形にしたいと思った。
「お主と空亡の姿は、紗奈が幻視した光景じゃ。本来なら、妖怪と人間が式神契約をすることはほぼ無い」
だからお母さんは、殆ど前例の無い妖怪との式神契約を、私に教えたのだ。
私達を術師から遠ざけつつも、いつか手を取り合える妖怪が現れるようにと。
「莉子。お主なら紗奈の夢を叶えてやれるかもしれん」
「……うん! 」
強く頷いた。誰かに見せつけるように。
そして麗姫に手を振って、彼女に背を向けて歩き出す。
「じゃあ、行ってきます。またね」
「また……? 」
私は振り返って、笑って伝える。
「また宴会しましょう。今度はもっと大人数で」
麗姫はしばらく口を空けていたが、時が経つと微笑んで返す。
「ああ。また会おう」
『また会いましょうね、麗姫。今度は私の娘にも会わせてあげるわ』
「お主は、守ってくれよ。約束」
小さな彼女の独り言は、私の耳には届かなかった。
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