第54話 満月

 月と星の光だけが頼りの夜道を今川と西郷は歩いている。

 アルコールの影響か、もしくは別の理由か今川の頬は赤く染まっていた。


「なんやの? 話って」


 森を抜けた先の、見晴らしの良い崖。

 遮るものがないこの空間は、夜空の祝福を目いっぱいに受けている。


「俺が、す、好きな女のことだ」


 今川の胸に針が刺さったような痛みが走った。固く拳を握りしめながら、彼女はそれを顔に出すまいと堪えている。


 ――あぁ、これで終わっちゃうんや。


 初恋というのは、実らないものである。

 恋愛小説の中で読んだ、必死に頭から追い出したはずのその文言を、彼女は思い出してしまった。


 ――あんなに認めて欲しいなんて思ってたのに、嫌やなぁ。


 歯を思い切り食いしばる。目からこぼれそうになる雫をせき止めるために。


 だが、その流れは止まらず、堪えようとしたことでより大粒の涙が目から零れた。


「ちょ、どうしたんや! 」

「ご、ごめん。なんでもないねん……ほんと、なんでも」


 いくら拭っても流れは止まらない。堰を切ったように溢れ出してくる。


「う、うち、ちゃんと応援できるからな。しゃあないよなぁ、葵ちゃんはうちと違って良い子で優しいし、可愛いし」

「なにを言うてるんや? 」


 しゃくり上げる喉を何とか押さえ込みながら、彼女はまくし立てる。

 自分を論破するように。


「あの子、人の悪口なんて言わんし、どんな人でも仲良うできるし、おまけに討魔官としても強いし、勝てるとこなんて……」


 ――勝てるところなんて、ないわ。


 尚も喋ろうとする今川を、西郷は肩を強く掴んで制止した。


「なぁ今川、俺の話聞いてくれんか? 」


 任務中にしか見せない彼の真剣な表情に、思わずときめく自分の胸を心の中で嘲笑しながら、彼女は小さく頷いた。


「俺が好きなのは、お前や。今川明菜」


 細い彼女の目が見開かれた。

 西郷の言葉を脳内で反芻する。


 ――好き? うちのことが……?


「で、でも……西郷はん、最近はよく葵ちゃんとデートに行ってたやん! 」

「デートやない。喫茶店で恋愛相談してただけや。今川には吊り橋効果が有効だって聞いてな。だから今日、ここに来た」


 今川は必死に理由を探す。

 彼の告白が嘘であるという理由を。


「う、うちは性格悪いし」

「お前は優しいやろ。命がけで俺を救ってくれたやないか」

「可愛く、ないし」

「本気で言ってるんか? お前みたいな美人、そうはおらんで? 」

「口、悪いし」

「そのツッコミがええんやろ」


 彼女が出した自分の欠点を、西郷は全て、即座に否定した。

 取り繕った標準語ではなく、彼本来の言葉で。


「悪口言われるのがええとか、変態やろ」

「そうそう! それがええんや! 」


 今川は泣き笑いしながら目尻を拭った。

 そして、西郷の腰に腕を回し、彼を上目遣いで見上げて囁いた。


「なぁ、今、うちが求めてること。分かるやろ? 」


 西郷は何も言わなかった。

 言葉を交わす必要は無かった。


 2人分のシルエット。唇が重なり合って、夜空に溶け込んでいく。

 満月が、2人を照らしていた。

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